1.宇津美万吉の憂鬱

14/32
前へ
/68ページ
次へ
「……俺、死んだの?」  開口一番、放った言葉はそれだった。寝かされていたソファの傍に置かれたテーブルの上、菊の花が花瓶に生けられている。恐らく自分が持ってきたであろうそれが、やけに不吉に見えた。  ところが、一は軽く笑ってから言った。 「死んじゃいないよ。死んでたら、頭から血は出ないと思うぞ?」  確かに万吉の額には、大きな絆創膏が貼られていた。 「ぶつけたってより、切ったって感じだね。多分自転車のペダルの辺りで。とりあえず安心しなよ、先生?」  からかうように言われて、万吉は思わず目を逸らした。聞かなかったことにしようとしたが、一の言葉に食いついたのは旭だった。 「先生? おじさん、先生なの?」 「この人は、僕の高校時代の友達なんだ。宇津美万吉。お医者さんなんだよ」 「じゃ、キンダイチと同い年?」 「そう。だから『おじさん』なんて言っちゃ駄目だよ」  二人の会話をぼーっと聞いていた万吉だったが、何か引っかかるものを感じていた。  すると、旭が一の耳元へ、わざと聞こえるような小声で言う。 「お医者さんが怪我するなんて、おかしな話だねえ?」  その声色に、万吉は声を上げた。 「お前! あのとき俺にちょっかい出してきた!」  墓の前で手を合わせたときに傍で聞こえた、不気味な一言。紛れもなくその声だったのだ。  案の定、正体は旭だったようで、彼はまた面白そうに大きな笑い声を上げた。 「この人、ほんとは幽霊が見えてるのに、見えてないふりしてたんだぜ! そんなのふりだって、みんな分かってたよ! それで僕が悪戯したら、この人、すたすたーって逃げてって!」 「お前のせいでこんなことに!」 「でも、僕のお陰で、会えただろ?」  はっとして、万吉は一を見やった。確かにそこには、生きていた頃と全く変わらない、親友の姿がある。 「本当に……一なのか?」 「ご覧の通りさ」 と一は微笑んだ。 「僕も死んだときはびっくりしたけどね。案外生きてたときと変わんないなあって」  その言葉通り、彼の様子は生前と全く変わらなかった。それは学生時代とおんなじように、へらへら笑って、なんの心配もないふうにそこにいた。
/68ページ

最初のコメントを投稿しよう!

5人が本棚に入れています
本棚に追加