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にっこりと笑顔を見せる一とは対称的に、佐々野 吾郎は、怪訝そうに眼鏡を押し上げてから言った。
「ほう、あんたが有名な、墓場の名探偵かい」
「いやあ、有名だなんて、そんなあ」
一は大袈裟に頭を掻いて、むず痒そうに照れて見せた。しかし一方で、吾郎は冷たい表情をぴくりとも変えない。
「あんたらが毎日隣で騒がしいんでな、もうここは出て行こうと思ったんだ」
途端、一の口角は、しゅんと元気を失くした。
「精々世間話でも頑張るんだな、名探偵」
嫌みったらしく言い放ち、吾郎は踵を返した。ところが、部屋を出ようとしたその足は、ぴたりと止まる。
足元に置いていたはずの、アタッシュケースがないのだ。
「うっひょー! 凄いねこれ!」
背後で上がったあどけない声は、吾郎を強張らせた。恐る恐る目をやると、そこでは旭が、あろうことかアタッシュケースを開いていたのだ。
「こらっ! 貴様!」
吾郎が声を上げた時にはもう遅く、旭は中身を手に持って、それを高々と掲げていた。
「わーい! 見て見て、キンダイチ! 億万長者ー!」
旭の手には、いっぱいの札束が握られていた。
「この! 早くしまえ!」
怒号を上げた吾郎だったが、それがかえって旭の悪戯心を刺激してしまった。旭は札束を抱えたまま、逃走し始めたのだ。部屋から出られてはたまらないと、吾郎は慌てて追いかける。
「待てこらあ!」
「わあ! 怖い怖い! 鬼は外ー!」
更に恐ろしいことには、旭が札束をまき散らし始めたのだ。吾郎はそれを拾うのに夢中になり、ますます米神に血管を浮かばせた。
「あ、旭くん!」
いよいよ吾郎の爆発を招きかねないと思ったのだろう、一は真面目に旭を止めに入った。しかし楽しさの絶頂に来てしまった旭には、もうその声は届かない。
「待てこのサルがあっ!」
とうとう激昂を上げ、吾郎は旭に向かって突進した。旭は当然、一層楽しそうに逃げ始める。
とは言っても、この狭い部屋で逃げ方など限られている。精々卓袱台の周りをぐるぐる回るくらいだ。身軽な旭は、反復横跳びをするように回ったり、わざと追い付かれそうにしてみたりして、吾郎を弄ぶ。
「このっ……」
遂に旭の背中に、吾郎の手が触れようとした瞬間だった。
旭が高く跳び上がった。卓袱台を飛び越え、反対側に着地しようとする。また吾郎との距離が遠くなる。だが吾郎も負けじと、旭の背中に手を伸ばした。
ところが、畳に着地しようとした旭の足は、がたん! という衝撃音と共に、固い感触を得た。
「うわっ!」
卓袱台の端に、足が引っ掛かったのだ。旭はそのままバランスを崩して、畳に叩きつけられる。卓袱台はそのまま立ち上がって、壁となって吾郎の目の前に立ち塞がった。
旭を追いかけ前のめりになっていた吾郎は、派手な音を立ててそこへ突っ込むのだった。
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