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万吉が学生時代、この町に住んでいたときも、確かあの祠はあった。噂で聞いただけだが、源平合戦で逃げだした平家の武士が、あの場所で息絶えたという。
「本当にお侍さんなのー?」
と、突然口を挟んだのは旭だった。
「本物に決まっているだろう!」
「じゃー、なんていうお侍さんなんだよう」
ところが、吾郎は首を傾げて視線を逸らす。
「それが……本人は生きていた頃のことを全く覚えていないらしい」
「そんじゃ、本物かどうかなんて分かんないじゃん!」
「絶対に本物だ!」
「どうしてそう思うんですか?」
いよいよ吾郎と旭の内輪もめに歯止めがきかなくなりそうになったのを察知してか、一が間に入って尋ねた。
吾郎は自信ありげに、こう答えた。
「語尾に時々『ござる』が付くんだ!」
「ええ……そんな分かりやすく武士っぽい人っているのかなあ……」
「分かってないなあ、探偵小僧。あいつは、最初は私の真似を一生懸命して、言葉を現代に寄せて喋るんだが、そのうち気が抜けてくると、昔の言葉が端端に出てくるようになるんだ」
さっきまでのしかめっ面が和らいで、落ち武者との思い出に想いを馳せる様子が、吾郎から見て取れた。
「健気でいい奴なんだよ、あいつは……」
祠に祀られている落ち武者は、そこに置かれた要石のせいで、自由に動き回ることができないと言った。だから話題はいつも、今はどんな世の中なのかとか、吾郎が生前どんな生活をしていたかとか、といっても難しい話ではなく、軽い世間話ばかりだった。
「吾郎さんも、お侍さんであられたんですか?」
「侍が洋服を纏うか。私は銀行員だったんだ。ああ、なんて言うんだ……金貸しで伝わるのか?」
「じゃ、利息で大儲けしておられたのか!」
「そういうあくどいことはできんよ、民主主義国家なんだから……」
一方的に吾郎が話しているだけだったが、落ち武者は一つ一つ目を輝かせながら聞いてくれた。
「次はいつ、来られますか?」
落ち武者はいつもそう聞いてきた。
「そうだな、そろそろあそこは出て行こうと思ってるから、三日後くらいにはこっちへ定住するつもりだ」
「楽しみです! 待ってるでござる!」
落ち武者は本当に嬉しそうに叫ぶのだった。
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