1.宇津美万吉の憂鬱

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 鞄を放ると、薄っすら埃を被ったベッドはそれをまき散らした。錆びついた椅子に腰かけると、ぎこっと、嫌な音が響く。背もたれにうんと体重をかけ、たった一つしかない診察室の中を見回すと、四隅ともしっかり蜘蛛の巣が張られていた。  その日は結局、診察室の掃除だけで終わってしまった。  すっかりくたびれて、ぼーっと天井の隅を眺めていると、その休憩を許さないかのように、一本の電話がかかってきた。 「あっ、先生、無事に着きました?」  仁からだった。さっき役場に挨拶に行ったときから相当時間が経っているのに、これで着いていなかったらどうするつもりだったのだろう。 「はあ、一応、診察室の掃除を」 「そうですかあ」 と、気の抜けた返事の後に、仁は言う。 「先生のお食事をご用意しておりますので、宜しければご一緒に」 「いえ」 と万吉は鋭く制した。 「もう疲れたので、ここで休みます。お休みなさい」  返事を待たず、万吉は電話を切った。  この様子では、きっと患者なんて暫く来ないだろう。若干の安堵を噛み締めて、彼は綺麗にしたばかりのベッドに飛び込むと、あっという間に眠りに就いた。
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