山・千日詣り・修験

1/1
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/5ページ

山・千日詣り・修験

 「京都の良さは山が見えるところだ」というようなニュアンスの言葉を川端康成だか司馬遼太郎だかの京都にゆかりがある文豪が残していたと聞いたことがある。明治や昭和のはじめのときのように低い建物ばかりではないけど、いまでも京都市内のいたるところから山を見ることができる。言わずもがなだけど京都市中心部は碁盤の目となっているため、四条烏丸や堀川御池のような中心地からでさえ山が見える。建物の隙間から東山、北山、西山のすべてが見わたせたときにはなぜかうれしくなってしまう。  生まれ育った群馬では常に山が身近にあった。学校からの下校時は赤城山から吹き降ろされる名物からっ風と日々戦っていたし、小学校では毎年近くの標高200mちょっとの低山に登る行事があった。ちょっと高い建物に上れば赤城山だけでなく、浅間山や男体山までみることができた。東京に移り住んでからは山を見ることがなくなった。だからといって寂しや物足りなさを感じたことはなく、むしろ東京で暮らした20年以上にわたって山の有無について意識したこともなかった。京都に移住してきて山を強く意識するようになった。なぜ急にそうなったかはわからない。もしかしたら子どものころに生活していた環境を意識の奥底で自分自身が求めていて、京都に住んだことが引き金となりそれが表面に現れてきたのかもしれない。いづれにしても、山が周囲にある生活はいいものだと感じながら日々暮らしている。  「週末は何やってたん?」 万城目学の鴨川ホルモーを読みながらモチモチした明石鯛の刺身と共に青森の日本酒である陸奥八仙を飲んでいると、辰吉の店主である山口さんが話しかけてきた。山口さんは、近くの飲食店仲間と『公費』で青森視察旅行に行ったためか、最近辰吉のメニューにはやたらと青物産の食材や酒が多くなった。 「2日連続で山登ってたよ。1日は修学院から雲母坂ルートで比叡山延暦寺にまで行って、そこから大原まで。もう1日は鷹峯から京見峠を越えて神護寺まで歩いてきた」 「長ちゃんはあいかわらず山好きやなー。俺はもう登りたくないわ」 「それは愛宕山でだけじゃないの?」 「山なんてどこも一緒やろ」 「乱暴だなあ。まあつらいのはたしかに同じようなもんか」 山口さんの地元は嵐山のほうなので、高校時代は何度も愛宕山に登らされたらしい。というより走って登っていたらしい。それ以来、愛宕山には登りたくないそうだ。だから、自分の子供の3歳参りも、愛宕神社の千日詣りも行ってないとのことだ。 「長澤さんは佐野さんと夜中に千日詣り行ってきたんですよね?どうだったんですか?」 今日のホールスタッフの一人であるカズミさんが話しに入ってきた。 「予想以上にきつかったよ。愛宕山に登るのは3度目だけど一番しんどかったかも」 「深夜とはいえ暑いですからね。私も一度愛宕山に登ったことありますよ。私の場合、登りは大丈夫なんですけど、下りがつらくって。膝が痛くなっちゃって登りの倍以上時間がかかりましたよ」 「下りがきついって人いるよね。膝痛くなるときあるし、足ひねりそうで怖いし。でも自分は登りの方が体力的にきついから嫌かな」  カズミさんは九州生まれで中学生の時に京都に引っ越してきた。辰吉のオープン時から働いているホールスタッフの中では一番の熟練者だ。歳は私と同じくらいで昼間は普通に会社員として働いているが、週末は辰吉でも働いている。昔からの常連客とはもちろん、一見の1人客に対しても積極的に話しかけて場を和ませてくれる稀有な存在だ。  愛宕山は京都市の北西に位置し、標高924mの頂上に全国約900社からなる愛宕神社の総本社があり「火伏せの神」として信仰を集めている。京都の、特に飲食店の厨房には必ずと言っていいほどこの愛宕神社で購入できる「火廼要慎」のお札が貼ってある。 愛宕山は古典落語の演目にもなっている。このネタは愛宕登山道中のきつい感じをユーモラスに話すのが特徴であるが、私が京都の愛宕山を知らなかった時分に聴いた時、東京の愛宕山をイメージしてしまい、まったく意味が分からなかった。数年後、京都で愛宕山登山をしてようやくあの時の勘違いに気付けた思い出がある。  この愛宕山の主な行事として『3歳参り』と『千日詣り』がある。3歳参りとは、3歳までに愛宕山に登ると一生火難に合わないという言い伝えからくるものである。もちろん1歳児や2歳児が自力で山を登ることは不可能なので、愛宕山に行くと幼い子をおぶって登る父親をたまに見かける。千日詣りのほうは、7月31日~8月1日にかけて愛宕神社に参拝すると千日間の功徳を得るとされる。そのため当日は社頭及び境内参道に明かりがつき夜を通して参拝可能となる。  この千日詣りに辰吉の厨房スタッフに応援として加わっている佐野くんとホールスタッフの大学生と私の3人で行ってきた。佐野君は毎年千日詣りに行っているらしく、知り合いの店に火廼要慎のお札を頼まれているので、購入して配っているとのことだった。その佐野君から「興味があるなら一緒に行きましょうか」と声をかけられたのがきっかけで、いろいろと悩んだ挙句行くことにした。7月31日の辰吉営業終わりに店で集合し、タクシー料金5000円程で愛宕トンネルまで行き、そこから歩き始めた。愛宕山登山としては王道の清滝ルートとなる。登山口は登山客や消防隊の人でにぎわっていて、少ないが露店も出ていた。0時40分頃から登り始め、頂上に着いたのは1時間半後の2時10分で、一般的にはそこそこ早いタイムであった。深夜であるが道中は人がそれなりにいて、すれ違う時には「おのぼりやす」「おくだりやす」と声掛けをするのがお決まりである。ただし、この掛け声は普段愛宕山に登っているときにはかけられたこともかけたこともないのが実情である。さらに登っている人に対して、下っている人が団扇で仰いでくれる。些細なことだけど風が気持ちよく、心遣いも素直に嬉しい気持ちになる。頂上では神社に参拝し、お札を購入したり京都市内の夜景を見ながら休憩した。深夜とはいえ登り中は暑く、汗だくになっていたが、頂上は涼しいというより風が出てくると寒いほどだったのであまり長居せず、30分ほど過ごし下山に向かった。下山は1時間程度で、登山口に近づくとひぐらしの鳴き声がけたたましく、道中のほのかな明かりと相まって異世界に連れていかれそうな幻想的な雰囲気が強く印象に残っている。帰りのバスを待つと2時間近くかかりそうだったので、愛宕トンネルを越える試み峠を越えたところでタクシーを呼び、再び辰吉に戻った時には空が明るくなり始めていた。  「長ちゃんは昔から山に登ったりしていたん?」 「いや、小さい頃は両親に毎年連れていかれたけど、いやいや行っていたから中学ぐらいからは登っていなかったかな。定期的にいくようになったのは京都にきてから」 「なんで?」 「山に行きやすくなったからかな。東京に住んでいた時は近場の山に行くのにも2時間近くかかるけど、こっちなら東北西どれも1時間以内で行けるから」 「そんなこと言って、暇なんちゃうんか?」 「まあ・・・それもあるかな」 「ええなあ、これだから会社勤めのサラリーマンは。うちらは店空けないとお金入ってこないからそんな時間ないわ」 「料理人でも鮎釣りいったりする人も多いでしょ。あと山菜なんかも取りに」 「ようあんな元気あるわな。今度山行ったとき山菜取ってきてや。キノコは怖いからいらへんけんど」 「山菜取りしたいんだけど、どう取っていいかがわかんないんだよ。大文字山なんか行くとよく大の字のところでおばちゃんが取っているから混ぜてもらおうかな」 「今度私と一緒に行きましょうか」 一段落したのか厨房から佐野君が出てきて話しに加わってきた。 「君とはもう山には一緒に行きたくないなあ」 愛宕山の時のつらい思い出が蘇ってきたので慌てて否定しておくと 「なんでですか!京都トレイル東山コースを1日で走破しましょうよ!」 「やだよ。そういうのは求めてない」 「なんでや。佐野君と一緒にいったってあげてや」 山口さんは一部の従業員を除いては客である私よりも従業員の味方を必ずする。 「しゃあないなあ」 「イントネーションが違うわ。しゃあなしや。もういっぺん言ってみ」 相変わらず私(関東人)には厳しい。  今現在、なぜ山に登るのかを問われたら「大峰奥駈道を縦走するためのトレーニング」と答える。山に登ると疲れるけど気持ちがいいし、自然を感じることができるし、普段ではいかないような社寺仏閣についでに行くことができるし、京都市を一望できるようなスポットも数多くある。ただそれは私にとって今のところ副産物でしかない。大峰奥駈道とは修験道の修験場として開かれた道であり、総距離は約90km。標高差も非常にあり、上級者でも6日はかかるといわれている。その大峰奥駈道をいつか体感したいと思っているので体力づくりの一環として京都トレイルを中心とした山に登り続けている。大峰奥駈道を意識しいつか登ってみたいと思ったのは、京都で体験した2つの出来事が理由である。1つは鞍馬山で、もう1つは醍醐山で起きた体験である。  大学を卒業して働き始めて3年程が経ち、仕事の関係で京都に立ち寄って京都にハマった。それ以来、毎年2度ほど1人旅で京都へ行き、少なくとも3泊、長い時では5泊も滞在して京都を回った。主に社寺仏閣を観光していたが、何度も来ているうちに行っていない場所は限られてくる。そうすると必然的に京都市中心部より離れた山のほうにある社寺に足を運ぶことになる。北山の神護寺や鞍馬寺であったり西山の善峯寺であったり宇治の三室戸寺であったりといったところだ。 数年ほど前の冬、京都に旅行で来ているとき鞍馬寺まで行ったついでに山を越えて貴船神社まで行くことにした。鞍馬寺は一度行ったことあったし、せっかくなら義経が修行したという山中にまで足を延ばしてみようと思ったのだ。鞍馬駅からロープウェイを使わずに本堂まで行き、そこから霊宝殿を経由して貴船まで、道は険しくないし急登急坂でもなく2時間もかからないものだった。天気は良かったが冬の北山であるため気温はかなり低い。ただ、1時間以上歩いていると暑くなり、マフラーを外して手に持ったりしたがかなり汗ばむ。霊宝殿を過ぎて、なだらかな下り道にさしかかった所で30mほど前を一人の女性が歩いているのに気付いた。私とその女性以外に周りには誰もいない。背は高めで長い黒髪をたらし、茶色のダッフルコートを着てヒールを履いて、少し弾みながら歩いている。背中を向けているので顔は見えないが20代~30代前半といった若い印象を受ける。山に入る格好ではないので少し違和感を感じたが、自分も普段着だったので特に気にせず歩き続けた。見通しがよい道で両脇に大きな木が茂っている。その木が風に揺られてざわざわと山中特有のあの哀愁漂う孤独感を演出してくる。一定の距離で女性は見えるが、こちらを振り向かない。一本道でいままで姿が見えなかったのだから歩く速度は自分のほうが速いはずだが距離が縮まらない。何か嫌な予感がして、歩く速度を意識的に速める。しかしいくら速めてもなぜか一定の距離を保ったまま変わらない。20分ほどそんな状態が続き、ふと気づくと女性は消えていた。この経路なら間違いなく貴船神社には行っているだろう思い、すぐに向かって同じ服装の女性を探してみたが見つからなかった。  数年ほど前の夏、祇園祭りを見に京都に来ていた。前祭りの宵山を堪能した翌日、街の喧噪から離れたいなと思い、醍醐寺に行った。時間の余裕もあったしついでに山を登って上醍醐まで行ってみようと思った。ネットには上醍醐までは片道1時間ほどと書いてあったし、たいしたことないだろうと高を括っていた。梅雨が明けるか明けないかでジメジメした猛暑の日に、ビニール傘片手に登り始めて10分ほどで後悔した。運動不足で酒浸りの不健康体を具現化したような中年男性には真夏の登山は厳しすぎた。しかも水分などの準備もしていない。気温も湿度も高いためすぐに滝のように汗が出て、頭がくらくらする。おそらく熱中症のような症状が出ていたのではないだろうか。もちろんそんな日に他の登山者は1人もいない。なんとか中間地点あたりまで行ったところで汗の影響からか急激に用を足したくなった。我慢も限界となり、申し訳ないと思いつつ登山道から少し入って用を足し終えると、耳元からブーンと音が聞こえた。振り向くと大きな蜂らしき物体が近寄ってくる。明らかに祟りだと直感し、疲れとパニックで冷静な判断ができない私は走って登り始める。走っている最中に再び振り向くと蜂はまだ追ってくる。火事場の馬鹿力というやつか無我夢中で走りなんとか振り切った時には精魂尽き果てていた。その場で30分ほど休んでいるとき、木がざわざわと揺れ始めた。山全体がまるで生きているかのように私に警告を発しているかのようだった。すぐに下るとまたあの蜂ゾーンに行かなくてはならないため上醍醐まで登り参拝し終え、なんとか来た道を引き返し、醍醐寺入口の前を通ると「お兄ちゃん、本当に上まで登ってきたんか。ご苦労さん。顔色良くないけど大丈夫か」と受付のおばちゃんに声をかけられてようやく正気に戻れた気がした。  私は特定の神を信仰しているわけではない。では無宗教なのかと問われるとそうでもないような気がする。神社や寺に行けば手を合わせるし、初詣に行くこともあるし、お盆には墓参りをすることもある。神は死んだと言って、お守りを捨て去ることはできない。生活に根差した文化としての宗教心はどこかにあると考えている。そのようなある意味『軽い』宗教信仰と、本気で心の底から信仰する『重い』宗教の違いは何なのか。一つは決定的な体験だという人がいる。ある種神秘的な、傍から見ると偶然や非科学的と言われる類のものだ。その体験をすると人は強い信仰心を持つ場合があるという。私はどうしても信仰心を持ちたいわけではないが、この鞍馬寺と醍醐寺での2つの山での体験が何を意味するものなのかを知りたくなった。共通点は山であり、修験である。それならば修験道の最高峰である大峰奥駈道を歩いている時にはどんな体験が待っているのだろうか興味を持たずにはいられない。 「長澤さんちからの景色もいいですよね。私、長澤さんちのマンションの大家と知り合いなんでイベントがあるとたまに行くんですよ」 カズミさんは帰り支度をしながら言ってきた。 「ああ、あの辰吉の常連のね。最近は見ないけど体調は大丈夫なの?」 「一時期体調崩していたんですが、回復してきたのでそのうち辰吉にも顔を出すそうです。昔、そのマンションの屋上から送り火を見たんです」 「ベランダから西側はひらけているから眺め良いよ」 「船形まで見えますよね?」 「うん。船形と左大文字と鳥居形は見える。愛宕山に雪が積もって白くなっていたり、桜の季節に嵐山の色が変わっていったり、早朝に小倉山と嵐山の間に霧が立ち込める様子を観ていると京都に来て良かったと思えるよ」 「なんや羨ましいな。今度大家がうちに来たら長ちゃんを退去させるようゆうたろうかな」 勝手に私付で注いだビールを飲みながら山口さんが言った。 「京都人本当に怖いわ」 私が言い返すと、山口さんは笑いながら「お先に失礼します」というカズミさんに「ご苦労さん」と声をかけて見送った。
/5ページ

最初のコメントを投稿しよう!