天動

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天動

「現在、各地の戦況は一進一退。一部帝国側に押されている地域はあるものの、ひとまずは善戦と言って良い戦いぶりかと」 「うむ……」  エーテルリア連邦軍本部。  帝国軍との再びの開戦を受け、連邦軍元帥デキムスを初めとした将帥達は、各地から届く〝自軍優勢〟の報告にひとまずの安堵を見せていた。 「素晴らしい! やはり我々が本領を発揮さえすれば、野蛮な帝国軍など敵ではなかったということ!」 「しかり。後先考えぬ帝国の犬共は、連邦の眠れる牙を目覚めさせたのだ!」 「待たれよ! 優勢とはいえ戦いはまだ始まったばかり。そのような慢心は、奴ら帝国を連邦から一人残らず追い出してから口にして頂きたい!」 「…………」  だがしかし。  かつてとは見違えるほどの戦いぶりに沸き立つ連邦の将帥達の姿に、部屋の隅に一人座っていたニアは眼鏡の奥に覗く瞳を曇らせていた。 〝危うい、あまりにも〟  数年に渡って屈辱の敗戦を重ねた連邦にとって、初めてとも言える優勢に喜ぶなというのも無理がある話だ。  だがそうだとしても、わずか数日の優勢で子供のように浮かれる将帥達の姿に、ニアは近いうちに必ず訪れるであろう〝連邦の大敗〟を予感した。 (帝国の力はこの程度じゃない……そう、今の帝国軍の動きは、〝セトリスで私達が見た動きに似てる〟。まるで、こちらの力を測っているような……)  ニアの脳裏に過ぎるのは、彼女自身も一度は陥った帝国の用意周到さだ。  そもそも、連邦側で最強とも呼べるシータ達独立騎士団が辺境の戦線に赴いたのにも確固たる理由があった。  イルレアルタを狙う帝国の二将軍――黒曜騎士団(こくようきしだん)団長のガレスと、炎翼騎士団(えんよくきしだん)団長のイルヴィア。  帝国でも屈指の強者であるこの二将軍を、イルレアルタを餌に〝辺境へと釣り出す〟――その狙いの元、独立騎士団は囮として主要戦線から遠方に配置されていた。だが――。 (私達の前に二人が現れる気配はない……それどころか、他の帝国騎士団が差し向けられた形跡もない。帝国にとって、イルレアルタの脅威度が高いのは間違いないはずなのに……)    際立つのは、帝国軍の底知れぬ不気味さ。  しかし現状でいくら考えても、彼女一人で実行に移せる策はあまりにも限られている。  ニアは内心に沸き上がる強烈な不安をぐっと飲み込み、今の自分にできる最善を求め、思慮と策とを深めていった――。  ――――――  ――――  ―― 「――そうかい。ま、初戦は上出来ってとこかね」  連邦側が初戦優勢の報せに歓声を上げているのとほぼ同時刻。  連邦領内の征服地にある帝国本陣。  対連邦戦役の帝国側総大将――雷竜騎士団(らいりゅうきしだん)団長ルイーズは、次々ともたらされる戦況報告に笑みを浮かべていた。 「あんたらも、今回はよく堪えてくれたね。本当なら、真っ先に星砕きの首を獲りに行きたかっただろうに」 「一度ならず二度までも星砕きを取り逃したのは、全て私の不手際と詰めの甘さがゆえ……この身に刻まれた汚名を晴らすためならば、いかなるご命令にも従いましょう」 「おいおい、そんなに重く考えるなって。あの時だって、間違いなく私らは〝星砕きに勝った〟んだ。その後であいつらが円卓ごと吹っ飛ばしてくるなんて、ルイーズ婆さんだって考えてなかったんだからさー!」 「そういう問題ではない。星砕きの乗り手も、次に相まみえる時はより手強い相手になっているはず。だが……君のその心遣いには感謝する。ありがとう、イルヴィア卿」 「いや、だからそーいう堅苦しいのをだな……」  ルイーズの横に控えるのは、それぞれ帝国軍第三席と第五席を預かるガレスとイルヴィアだ。  ニアの狙いにも関わらず、精強で知られる帝国の二将軍は未だ出陣すらしていなかった。 「はっはっは! あんたら二人、合わせてちょうどいいくらいの心がけさね。知っての通り、私らの〝本命〟はこれからさ。向こうがどんな奇策を打ってこようが、ひっくり返せないくらいの絶対的優位で押し潰す。そのためにあいつを――」 「――閣下! 〝カシュラン・モ(偉大なる城)ール〟の船影を視認! 間もなく本陣上空に到達いたします!」 「ほう……随分と早いお出ましじゃないか。なら、アタシらも気合いを入れて出迎えてやるとするかね」  報せを受けたルイーズはガレスとイルヴィアに目配せし、腰を上げて幕営の外へと向かう。  薄暗い幕営の外には無数のテントと抜けるような青空が広がり、ルイーズは思わず眩しそうに目を細めた。 「あ、あれが例の奴か? いくらなんでもデカすぎるだろ……!!」 「なんと凄まじい威容……! これが剣皇陛下の〝新たなる居城〟……」 「ほっほー! 噂には聞いていたが、こいつはまたとんでもない化け物が来たもんだ」  外に出た三人の視界に飛び込んできたのは、青空だけではない。  本来ならば、決してそこにあるはずのない異物――明らかに不自然な〝超巨大構造物〟が、どこまでも広がる蒼穹を黒く塗り潰していた。  カシュラン・モール。  そう名付けられたその宙に浮かぶ巨大構造物こそ、帝国が総力を注ぎ込み、十年を超える歳月をかけて建造した空中要塞である。  その巨大さはエリンディア王城など、各国の王城の規模すら遙かに超えている。  無論、それだけの重量を飛行させるために用いられる空鯨の数も桁外れで、黒色と金縁の軍装を装備した〝五十頭の空鯨〟が、この大質量を空へと持ち上げていた。  周囲の大気を押し潰し、猛烈な突風を巻き起こしてカシュラン・モールが悠々と大地に降下する。  兵士と共に整然と並ぶ帝国騎士たちの前。  ついに大地に根を下ろした帝国の天空城は、その巨大な城門をゆっくりと開いていく。そして――。 「――出迎えご苦労」 「ハッ! アンタにしちゃあ随分と手こずったみたいじゃないか。〝東の奴ら〟がそれだけ手強かったのか……それとも、さしもの剣皇も寄る年波には勝てないってことかい?」 「お前のその減らず口も相変わらずだ。だが、今となってはそれも心地よい……息災でなによりだ、ルイーズ」  分厚い金属製の城門から現れたのは、鍛え抜かれた鋼の肉体に豪壮な甲冑を纏い、その瞳にはまるで飢えた狼のような眼光を宿す老境の男。  男の出現を見た歴戦の騎士達はみなぴくりとも動かず、しかし瞬時にしてその心奥に凄まじい士気の炎を燃え上がらせる。 「間もなく連邦の名はこの大陸から消える。俺が衰えたのかどうか……この戦場で、お前の気の済むまで確かめるがいい」  その男こそ、ヴァース・オー・アドコーラス。  アドコーラス帝国皇帝にして、希代の征服者――剣皇ヴァースが、ついに連邦との戦場に現れた瞬間であった。 
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