前編

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 休日、僕はセツナに『勉強に良い場所がある』と呼び出された。 「……ここで勉強しろと?」 「防音は完璧。冷暖房完備で、ドリンクも飲み放題。理想的じゃねーか」 「歌い放題までついてないか?」 「オプションでな」  ここは、駅前にあるカラオケボックス。  店の前は何度も通ったことはあるが、入店するのは初めてだ。   「私の美声を聞かせてやろう」 「やっぱ歌うのかよ」  セツナは、僕の知らない曲を歌い出す。  アップテンポな応援歌――きっと、同年代で流行っている歌なのだろう。  僕は彼女の歌声をBGMと思い込み、物理の問題に取り掛かる。  僕が目指しているのは、地元の有名大学だ。  前回の模試では『B』判定。  ここ最近ずっと同じだ。  『A』判定をとるために、勉強時間を増やしたが、集中力が持続しない。  今日はいつもと違う場所で勉強しているせいか、思ったより集中できていた。  BGMがなければ、もっとはかどったかもしれない。  僕は難しい計算問題に正解すると、ウーロン茶を一気に飲み干した。  セツナがタイミングを見計らったように、僕の前にマイクを置く。 「久我も歌ってみろよ」 「興味ない。最近の歌なんて分からないし」 「別に古い歌でもいいじゃないか。知ってる歌の一つや二つはあるだろ?」  僕が知ってる歌といえば、子供の頃に見ていたアニメの主題歌ぐらいだ。  セツナに披露したら、馬鹿にされるに違いない。 「早くしろ。変なウワサを流されたくなければな」 「分かったよ」  マイクを握ると、手がかすかに震えていることに気づく。  高校受験の時でも、緊張したことはなかったのに。  前奏が始まると、モニターに映る歌詞だけに集中した。  最初は緊張して声が上ずっていたが、少しずつ音程が合ってくる。  幼い頃、このアニメを万全の態勢で見るため、家に帰ってすぐ宿題を終わらせていたことを思い出した。  息を弾ませながら歌い終えると、モニターに点数が表示される。 「……69点」 「久我、平均点以下じゃねーか」 「うるさい」  僕はセツナから、顔を背けた。  低い点をとった恥ずかしさ、初めてカラオケで歌った高揚感――よく分からない感情が僕を揺さぶる。   「けど、私にとっては平均以上だったぞ」  振り向くと、セツナは歯を見せて笑っていた。
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