第一章

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 運良く警察官や犯罪者と鉢合わせすることなく、目的の廃倉庫に到着したところには、肌寒いこの時期に額に汗をかいていた。錆びた鉄の匂いのする汚いシャッターの前で呼吸を整える。  ここは昨日灯真が行った工場で使われていたプレハブの大型倉庫だ。工場が潰れると同時に使われなくなり、はじめこそ学生が肝試しに使っていたが、密輸組織が利用するようになってから一般人は寄りつかなくなった。  シャッターは灯真の膝の高さほどまで上がっていた。そのまま上まであげようと取手に触れた瞬間、息が止まった。  とてつもない違和感が灯真を襲った。自分は何か重大なことを見落としているような気がする。いや、違う。とても重大なことを無視してしまった、と言ったほうが正しい。  決して無視していいことではなかった。そう思うのに、それが何なのかわからない。昨日の廃工場での件と今日のことを一から思い出してみる。普段の灯真なら絶対にその違和感に気づいたはずだ。寝不足でさえなければ、ちゃんと気づいて対処できたはずだ。  しかしどれだけ考えてもわからなかった。今はそれよりも先に紗里奈の安否を確認しなければならない。灯真は一旦違和感のことを忘れて、シャッターを持ち上げようとした。 「入らないの?」  シャッターの向こうから聞き覚えのある声がして、違和感の正体に気がついた。全身から血の気が引き、手が震える。  入ってはいけない。ここに入ってはいけない。  逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ、逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ逃げろ。  今ならまだ間に合う。逃げるんだ、ここから。何もなかったことにして、一刻も早くここから逃げなければならない。  頭の中で警鐘が鳴り響く。しかし足は地面に縫いつけられたように動かない。それどころか指一本自分の意思で動かすことができない。  灯真が立ち尽くしている間に、自動でシャッターが上がっていく。恐怖を前に逃げることすらできなかった絶望を抱えたまま、灯真は目の前に広がる光景に吐き気を覚えた。 「な……ん、だ……これ……」  廃倉庫の中にいたのは、死体。死体、死体、死体。何十体もの死体。出入り口側に体を向けて行儀よく椅子に座っているそれらは、すべて首から上がなかった。 「おはよう、にはまだ早いかな」  透き通るような声だった。この場には似つかわしくない、美しい声だ。
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