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男を視界に捉えたまま、後ろにあるテーブルの前に座っている死体に視線を向ける。それはつい数時間前カフェで話していた紗里奈と同じ服を着ている。
ーーそもそもあんたを拾ったのは私よ? 任せなさい!
耳の奥で彼女の明るい声が何度も繰り返し思い出されたが、そのうち誰のものともわからない低く機械的で不気味な声に変わった。
「何で……殺した……」
「殺しちゃダメだった?」
「てめえ、ふざけてんのか?」
「ふざけてないよ。灯真くんの言う通り、ちゃんと頭を落としたでしょ? 今までこんなふうに殺したことはないんだけどね、灯真くんが言うならと思ったんだ」
「……そうじゃねえ。何で殺したのかって理由を聞いてんだよ」
ヤクザでも犯罪者でも、灯真が自分以外の誰かに対して恐怖心を抱いたことは一度もない。所詮は生きている人間だ。心臓さえ止まれば動かなくなるものに恐怖を抱くはずがない。しかしこの男は違う。どんな悪い人間とも違う、異質で奇妙で気持ち悪い存在だ。
「だって、そうじゃないとデートの続き、できないでしょ?」
「……は?」
「俺ね、本当はファミレスを出たあとも灯真くんと一緒にいたかったんだ。でもこの街は未成年が夜に出歩くと条例違反になる。だからさ、昨日みたいにたくさんを人を殺せば、灯真くんが会いに来てくれるんじゃないかって思ったんだ」
目の前の男の言葉を理解することができなかった。まるで聞き慣れない言語をずっと聞かされているように、頭に一つも残らず耳から耳へと抜けていく。
「やっぱり、キス以上のことは夜にしたいでしょ?」
ほんの一瞬で男は灯真との距離を詰めた。男の顔が視界いっぱいに入った瞬間、たしかに息が止まった。それをたしかめるように男は灯真の唇に自分のものを重ねた。
「んっ……!」
逃げられないように腰を、化け物を呼び出せないように右手を掴まれる。手首は骨が折れてしまうのではないかというほど強く握られ、足を一歩でも後ろにずらそうものなら、腰を強く手前に引かれる。何度も口内を男の舌が這い回る。喉の奥に苦味が広がる。
力では勝てないとわかった灯真は男の舌を噛み切ろうとしたが、その瞬間口内を蹂躙していた男の舌はゆっくりと離れていった。酸素不足に陥った灯真は、右手を掴まれたままその場にしゃがみんだ。口の端から涎が垂れ、足は震えている。必死で肩を上下させ、体内に酸素を取り入れる。
「はあっ……はあっ……!」
「ごめんね、苦しかった?」
「てめえっ……何飲ませた……」
精一杯の殺意を込めて男を睨みつける。男と唇を離した瞬間、全身が熱を帯び始めた。まだ四月の、夜の涼しい季節に、灯真は体は熱くて仕方ない。
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