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第十一話 春を待ち焦がれる
初めて会った日から、彼女の瞳は万華鏡のようだと思っていた。
ぱっと嬉しい時の瞳の輝き、悲しい時の揺らめき、コロコロと移り変わる感情の変化が、すべて榛色の瞳に映し出される。僕は、これほどまでに素直に揺れ動く感情を、現実世界で持ち合わせていただろうか。
ずっと、ただ歌で誰かの心を動かしたいという想いだけで生きてきた。そのために、両親と少しばかり揉めたって、学校で友達が少なくたって、構わないと思った。夢を叶えるには友達も、両親の願いも、いろんなものを捨てなければならなかった。それぐらいシビアな世界だったから。誰かと心を通わせる人生は、僕には不似合いだと諦めてさえいた。
でも、この世界で生きるうちに気づいたんだ。
彼女のように、全力で目の前の人間と向き合おうとしている人がいること。
自分も、誰かと真剣に心を通じ合うことを望んでいたこと。
たった一人では、寂しいのだと気づいた。
僕には歌があった。歌があればもう他には何もいらないと思っていた。だからこそ、現実世界で歌を歌うことすらままならなくなったとき、絶望したのだ。
この世界で夏海や龍介、理沙と関わるうちに、僕は自分の中で変わっていく心に気づいていた。
みんなで笑い合った日々は、最高に楽しかった。
夏海に恋をしたことも、彼女に自分の過去の話を打ち明けたことも後悔はしていない。でも、この声を失ったことはやっぱり悔しかった。
今日、彼女と久しぶりに話をした。
まさか、彼女が僕の“案内人”だったなんて。確かに、僕の案内人は女性の声のような気がしていたし、昼間は呼んでも出てきてくれなかった。それは、夏海が昼間、僕と同じように学校に行っていたからだと納得した。
それだけじゃない。予想もつかない事実が次々に浮かび上がってきて、僕は混乱していた。
ディーナスは、『Dean Earth』ではなかったこと。
『Near Death』——臨死状態にある僕たちの心を救うための世界であったということ。
半ば信じられない話だったが、普通に考えて、ただ死後の世界をもう一度生きるというだけでは、なんのためにそんな実験のようなことが為されているのか確かに分からない。
だから夏海が言ったように、現実世界で自ら命を絶った僕たちが、再び生きたいと強く思うようにするためにつくられた世界だという話は腑に落ちた。
まったく、すごいよ、夏海。
夏海や龍介たちは。
自らは生まれてこられなった命で。本当は生きたくてたまらなかっただろう。
そんな彼らとは対照的に、与えられた命を蔑ろにした僕たち。
夏の海で僕の生前の告白を聞いた夏海は、いったいどう思ったんだろう。
やるせない気持ちだったに違いない。
運良く神様に生を与えられた僕が、自分で命を絶った話なんて、聞いていられなかったんじゃないだろうか。でも、そんなことは口には出さず、ただ僕のことを救おうとしてくれた。
夏海が嘘をついているというのは、その素直な輝きを放つ瞳を見ればすぐに分かった。
この世界は夏海たちの魂がつくったものだから、僕の受けた罰をすんなり元に戻せるのだという嘘。
バレバレだよ、夏海。
夏海はたぶん、自らの命を差し出すつもりなんだろう。
それがいつなのかは分からない。でも、あの決意の籠ったような瞳と、最後に見せてくれた笑顔を思い出すと、今日か明日、近いうちに実行するつもりだということはなんとなく気づいた。
だからその前に、僕はこの世界から退場しなければならない。
声を失ったまま現実世界に戻るのだとしてもそれでいい。歌は歌えなくなるけれど、夏海がこの世界で生きていてくれるなら。もともと僕は、夏海や龍介、理沙の三人の輪に後から加わった人間だ。それが元に戻るだけ。
夏海は僕に自分の正体を明かしたから、夏海だって罰を受ける。夏海の大切なもの——もし自惚れでなければ、それは僕だ。
夏海は罰として僕を失う。
そういう筋書きで、辻褄が合う。ぴったりだ。
死に場所はやっぱり——あそこしかない。
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