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数分もしないうちに、白衣に身を包んだ四十代ぐらいの男性がやってきた。
「私が主治医をしている山下です。真田さん、ご自身のことが分かりますか? どうして自分がここにいるのかも」
山下先生の言葉に、僕はしっかりと頷いた。
「僕は、高校三年生です。歌手を目指していました。クラスメイトからの嫌がらせと、SNSでの誹謗中傷に悩まされて、自ら海で——」
思い出すと、頭にズキリとした痛みが走る。記憶はまだこの頭のなかにしっかりとこびりついている。ディーナスでのことも、もちろんすべて覚えていたのだが、さすがにこの場で話すことではないと思い止まった。
「そうですか。記憶障害はなさそうですね。なんでも君は、六ヶ月もの間、眠っていたのですから」
「六ヶ月……」
山下先生が、過ぎ去った月日の長さを物語るかのように深く息を吐いた。
僕は咄嗟に窓の外を見やる。枯れ木の枝が、寒々とした風に揺られて儚げに揺れていた。
僕が命を捨てようとしたのは八月のことだ。そこから半年となれば、今は二月……?。
まさか、そんなに長い間眠っていたなんて。
だが、ディーナスの世界でも約半年間の時を過ごしたことを考えると、辻褄は合っている。
「今から春樹さんの身体に異常がないか、検査をします。お母様は、一度外に出ていてもらえますか?」
「は、はい。よろしくお願いします」
母が部屋から出ていくと、山下先生は僕の身体の至る所を触り、異常がなさそうか確かめた。
あらゆる検査をして一時間ほどすると僕は解放された。
「検査、終わったみたいね。お疲れ様」
入れ替わるようにして再び病室にやってきた母親が、窓辺に飾っていた花瓶に、新しい花をさす。黄色とピンク色の、可愛らしい丸っこい花だ。僕はその光景をぼんやりと眺めていた。
「ねえ母さん。僕は半年も眠ってたんだね。今日は、何月何日?」
花を綺麗に整える母の背中に問いかける。
「二月十五日。半年前、あなたが眠ったのは八月のお盆のことだったから本当に綺麗に半年間ね」
「そうか。あのさ、聞いてもいい? 僕はなんで助かったの?」
現実世界で目が覚めてから、ずっと気になっていたことを母に聞いた。
ディーナスという異世界に飛ばされて、すっかり本当に命を失ってしまったと思っていたから、現実世界で助かったというのは予想外だった。誰かが自分の命を助けてくれたのだという事実に、ずっと胸がざわついている。
母は僕の瞳をじっと見つめた後、ベッド脇の椅子に腰掛けてから口を開いた。
「助けてくれた人がいるの。たまたま春樹が海に入った日にね、近くを通りかかった女の子が見つけてくださって。その方に、私は会ったことがないの。お礼はいいからって、連絡先も住所も教えてくれなくてねぇ。名前は確か……春木夏海さん、と言ったからしら。ニュースにもなっていたから、名前だけは知ってるのよ」
「はるき……なつみ」
どくん、と心臓の音が一際大きく鳴った。
夏海……夏海だ。
夏海が、現実世界にいるのか?
いや、違う。だって夏海は生まれてこられなかった魂だと言っていた。
ディーナスに住む夏海とは違う人物だろう。でも、夏海という名前に、僕はどうしても運命を感じずにはいられない。
しかも、苗字は僕の名前と同じ読み方の「はるき」。
そんな偶然が、本当にあるんだろうか——。
「その人に、会いたい」
気がつけば口からそんな願望が漏れ出ていた。
母さんは一度目を丸くした後、「ええ、そうね」と今度は優しい微笑みを浮かべた。
「春樹の命を助けてくれた恩人だから、お母さんもぜひお会いしたい。でも、居場所が分からなくて、どうしたらいいか……」
連絡先も住所も分からない。
でも、フルネームは分かっている。
それなら、なんとかまだ希望はある。
「なんとしてでも、探してみせるよ。自分の力で。母さん、今までお見舞いに来てくれてありがとう。父さんも、心配かけてごめんって伝えておいて」
死ぬ前に、両親に対して言えなかったことを、僕はようやく伝えることができた。
母さんの目尻から流れ落ちる涙を見て、帰ってきて心から良かったと思える。
あとは、この世界で僕を救ってくれたという春木夏海という人物を探すことだけが、僕の目標だ。
「何言ってるの。お母さんもお父さんも、本当は春樹の歌う歌が大好きだったんだから。これからもずっと、春樹の活躍だけをを祈ってる」
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