第10話 ベーレンズ伯爵の来訪

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第10話 ベーレンズ伯爵の来訪

 花をくださってから、ヴェッセル様の態度が明らかに変わりました。  別邸に顔を出される機会が増え、何かと理由をつけては、プレゼントを持ってきてくださるのです。  偽物である私がプレゼントを受け取るなどおこがましすぎて、何度もお断りはしているのですが押し切られてしまい、物が増える一方です。  チェス様に相談したのですが、 「別にいいんじゃね? 遠慮せずに使えば? もったいねーし」  と、取り合って頂けませんでした。むしろ、 「これなんて、お前に似合うんじゃね?」  などと仰い、ヴェッセル様からのプレゼントを私に身につけさせる始末。  しまっておくのも勿体ないので、結局プレゼントはありがたく使わせて頂くことにしました。  チェス様に「似合う」と言われて嬉しかったからなのは、秘密です。  トルライン家で過ごす日々は、穏やかに過ぎていきました。  ベーレンズ家にお仕えしていたときとは、比べものにならないほどの幸せを感じていました。  だから私は、愚かにも忘れてしまっていたのです。  自分が偽物であることを。  ヴェッセル様を騙している罪人であることを。  ベーレンズ伯爵ダミアン様が、シャルロッテお嬢様を連れて、トルライン家に来訪されるまで――  ◇  私はダミアン様のご訪問の件でヴェッセル様に呼ばれ、別邸から本邸に続く廊下を歩いていました。  背中には、恐怖と緊張からくる汗が流れています。恐ろしくて前を見ることができません。  角を曲がろうとしたとき、何かと私がぶつかってしまいました。  謝罪をしようと顔をあげて目の前の人物を見た瞬間、言葉を失ってしまいました。  シャルロッテお嬢さまがいたのです。  彼女は黙って私の腕を掴み、誰もいない部屋へ連れ込みました。 「久しぶりね、テレシア」 「お、お嬢様! お戻りになられたのですね? ご無事で何よりです」  変わらぬお姿に安心しました。  しかし、魔術師との結婚が嫌で逃げ出したお嬢様が何故、ここにいるのでしょうか。 「何故私がここにいるのかって顔してるわね?」  心の声が顔に出ていたのでしょう。  お嬢様は目を細めながら、ご説明くださいました。  結婚を嫌がったお嬢様は、密かにやりとりしていたとある貴族のご令息に頼み、逃亡の手助けをして貰ったそうです。  しかし逃げた後、ヴェッセル様の本当の姿をお聞きになったのだとか。 「まさかあんなに美しく、紳士的な方だとは思わなかったわ。知っていれば私だって逃げたりしなかったのに。ヴェッセル様の妻には私がなります。今頃、私の顔が知られていないのをいいことに、あなたが私を誘拐し、成り代わって嫁いだのだと説明されているはずよ」 「そん、な……アールトは……弟はどうなるのですか⁉」 「弟はあなたの共犯者にしているわ。ともに罰を受けるでしょうね」  両足から力が抜け、床に座り込んでしまいました。  全ては、弟を守るためだったのに……いえ、それは言い訳にすぎません。  弟を守るためだからと、罪のない人を騙していいわけがないのですから。    涙が溢れ、床にこぼれ落ちました。  絶望に打ちひしがれる私の上に、シャルロッテ様の笑い声が降り注ぎます。  そのとき、私たちの後ろから怒声が聞こえました。 「……てめえ、何テレシアを泣かせてんだ!」 「チェス様⁉」  振り返ると、怒りの形相のチェス様がいました。  でもおかしいのです。  部屋には誰もいなかったはずですし、ドアが開いた様子もなかったのに……  シャルロッテ様は、部屋にチェス様がいたのを見逃したのだと思ったのか、不機嫌そうに顔を歪めました。 「何よあなた。トルライン侯爵夫人になる私にそんな口を利くなんて不敬よ」 「お嬢様、その方はヴェッセル様の弟君であるチェス様です!」 「弟? ヴェッセル様に弟がいるなんて聞いていないけれど……まあいいわ。失礼いたしました、チェス様。この罪人はすぐに捕らえ、罰を受けさせます」  お嬢さまが笑いながら、私の髪を引っ張り上げました。  それを見たチェス様の瞳が怒りで燃え、 「何してんだ、クソ女! テレシアから離れろ!」 「きゃぁっ‼」  白い光が部屋を満たし、シャルロッテ様の甲高い悲鳴が空気を切り裂きました。光が消えると、お嬢様は壁に背をつけた状態で座り込んでいました。顔色は悪く、恐怖で歪んでいます。 「何が起こったの⁉ 壁に体をぶつけられて……も、もしかして、この男も魔術師なの? 気持ち悪いわ‼ ヴェッセル様なら我慢できるけれど、あなたみたいな陰険で気味悪い魔術師と一緒に暮らすなんて嫌!」 「お嬢様、チェス様はそのような方ではありません‼」  確かに彼は、お嬢様に魔術を使った。  でもそれは私を守るために――  シャルロッテ様が顔を背けながら吐き捨てました。 「あなたも戦争で人をたくさん殺したのでしょう⁉ 私に近付かないで、人殺しっ‼」  このとき、私は確かに見たのです。  チェス様が双眸をきつく閉じ、苦しそうに唇を歪められた姿を――  瞬間、心に怒りの炎が燃え上がり、沸き上がった熱が喉を通って噴き出しました。 「私の大切な方を、これ以上侮辱なさらないでください‼」  という言葉となって――
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