ゴマすり社員と年上彼女は、あの言葉をなかなか言えない

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ゴマすり社員と年上彼女は、あの言葉をなかなか言えない

 会社のそばの公園で、桜が見ごろを迎えている。  燈次(とうじ)は休日に、会社で仲がよい人を花見に誘ってみた。  場所取りをしてくれたのは後輩社員の奥田(おくだ)だ。  彼が確保した場所は、太い桜の木の下だった。丘になっていて見晴らしもよい。  燈次は、はしゃいだ声を出す。 「いいところ取れたな!」 「4時間前から場所取りしましたから」 「いいのに、そんな早くから。暇だったろ」 「いえ、やりたいことがあったので」  そう言って奥田が見せたのは自社製品の研究ノート。ひとつひとつの商品に対し細やかな情報が並んでいる。  別のノートを見ると、各社員の担当業務から好物までが詳細に記されていた。 「社員のプロフィール? こんなのまとめてどうすんだ」 「上司が悩んでいるときに好物を差しだすためです。上司は僕を気に入り、出世の道を約束する、ってわけですよ」 「幹部昇進、支部長就任、いい感じ?」 「目指すは立身出世。そのために媚びて媚びて媚びまくる!」  奥田はせわしなく両手をこすりあわせる。媚びへつらう人特有の仕草だ。 「そんなにこすると、手の甲の皮がなくなるぞ」 「ツラの皮は厚いので大丈夫です」 「お、こっちはうちの会社のカタログか。休日くらい仕事を忘れりゃいいのに」 「あ、それは」  そう言って奥田はカタログを燈次の手から奪った。妙に優しい手つきで、カタログの表紙に振りかかった桜の花びらをよけている。  花びらの隙間から、椅子や机の写真が覗く。  彼の丁寧な仕草に、燈次は何か特別な意味を感じた。 「そういえば前野(まえの)さん、まだかな」 「そろそろ来ると思いますが」  きょろきょろと見回すと、彼らに近づいてくる人がいた。前野さんかと思ったが、見覚えのない相手だった。しかも3人組だ。  彼らはふんぞり返った男を中心にして歩いている。  偉そうな男は、胸を張りながら言う。 「あ、狙っていた場所が取られてやがる」  子分らしきひとりが肩を落とす。 「昨日せっかく見つけたのに」 「では、おれさまの交渉術を見せてやろう。……おい、そこの奴ら!」  指をさされた燈次と奥田は、無意識に背筋を伸ばした。  燈次は相手を睨みながら言う。 「何か」 「おれさまにその場所を譲れ」 「俺たちが先に場所取りをしていた」 「おれさまが誰か知って言ってるのか」 「誰だ?」 「聞いて驚け。おれさまはかの有名な流星スターダストホテルの社員だ。入社早々に営業成績トップ、現在第一営業部の部長に最も近い大天才エリートさまだ」  燈次は表情筋の力を抜いた。過剰に威張る姿に呆れたのだ。  しかし奥田は違った。目を輝かせ、高速で揉み手をしはじめた。 「えーっ! かの有名企業の、大部長さまのお候補さまであらせられるとは」  燈次は横から「おいおい」と突っ込む。しかし奥田は目に星を浮かべたままだ。 「ここで媚びておけば、今後我が社の家具を使ってくれるかもしれませんよ。僕はここで功績を上げ、出世街道まっしぐら!」 「そのために花見の場所を譲るのか」 「さあお座りください大偉人さま」 「うむ」 「粗末でよければペットボトルもつけましょう」 「ふん」  奥田は腰を折りに折って、頭が地面につく寸前だった。  荷物をまとめ、燈次たちは歩く。次に見つけたのも桜の下だが、景観は先ほどの場所より劣って見える。 「あんな奴ら、追いはらえばよかったのに」 「僕は将来を見据えて媚びたんです」 「前野さんに幻滅されても知らんぞ」  前野。その名前が出た途端、奥田は背中を丸めた。しばらく黙った後、彼は急にシャキッと背を伸ばす。 「僕が出世すれば、彼女も誇りに思ってくれます」 「どうかな」 「見られたときに考えても遅くないでしょう」 「いや、手遅れだ」  燈次が躊躇いがちに奥田の背後を手で示す。  そこには背の高い女性が立っていた。  彼女は苦い顔で黙って奥田を見つめている。  彼女は少し口を開いたが、何も言わず、背を向けて早足で歩いていった。 「前野さん」  燈次は追いかけようとしたが、花びらが顔に当たり、ひるんでしまった。 「おい、奥田。前野さん行ってしまったぞ」 「あ……あ……」 「追いかけてこい」  しかし奥田はその場にしゃがみこんだ。何をするかと思ったら、弁当の包みを開いた。重箱の他、海苔とチーズ、そして小さなハサミが出てくる。 「キャラ弁を作って前野さんに喜んでもらいましょう。彼女の大好きなキャラを完璧に再現……」  謎の空回りを始めた奥田は、異様な熱量でハサミを動かしはじめた。こうなった彼はもう止められない。  燈次は奥田を残し、走っていった。 「前野さん!」  彼女はすぐに見つかった。前野さんは桜の花びらを1枚1枚、地面に並べて絵を描いていた。しかし彼女の表情は沈んでいる。  燈次は頭を掻き、言葉を選ぶ。 「奥田のことは……大目に見てほしい。あいつにもビジョンがあって。ちょっと行きすぎるだけで、根はいい奴だし」  などと口にして、燈次は後悔した。  奥田と前野さんはつきあっている。だから奥田の性格は、燈次よりも彼女のほうが知っているに違いない。  しかし前野さんが黙っているので、燈次は話を続ける。 「奥田が出世したいのは、前野さんのためもあると思う。だから」 「怒ってた?」 「え」 「奥田くん」  前野さんはそっと顔を上げる。彼女は薄っすらと微笑んでいた。どこか寂しそうな表情だ。 「動揺はしていたが、怒っているわけでは」 「ならよかった」  前野さんは桜の花びらを1枚ずつ拾い、指先でもてあそんで地面に戻す。何か言うための心の準備を整えているように見えた。 「何か気になることが?」  前野さんは花びらを1枚持ったまま、じっと見つめる。 「奥田くんは最近、出世、出世ってよく言うようになった」 「まあ」 「それが私、怖いの」 「奥田の態度にはたしかに狂気を感じるが」 「そうじゃなくて。……ねえ、ここだけの話にしてくれる?」 「というと?」 「私の元カレ、最初はすごく優しかったんだけどね。出世したら豹変しちゃったの。仲のよかった相手も自分の成績のためなら蹴落とすようになっちゃって」 「それは嫌だな……」  前野さんは手を広げる。花びらが静かに落下する。 「奥田くんは優しいよ。でも、これからも今と同じでいてくれるのかな」 「あいつは変わらないと思うが」 「私だけが好きってことになったら寂しいな」 「奥田に伝えたらいいんじゃないか? あいつはきっと分かってくれる」 「彼は今、前だけを向いている時期なの。私が邪魔なんてできないよ」  燈次は何か声をかけようと、手を宙に浮かせた。前野さんは立ちあがって伸びをする。 「私は奥田くんより大人なんだから。人生の先輩として、どっしり構えてればいいだけだよねっ」  前野さんは歯を見せてニッと笑った。一見すると吹っ切れたような、妙に物わかりのいい表情は、燈次をむしろ不安にさせた。  奥田のところへ戻ると、彼はレジャーシートをぴんと伸ばす作業に夢中だった。ほんのわずかなしわも許さないようだ。 「奥田」  燈次が声をかけても、奥田は作業を止めない。彼はわざと反応していないような気がした。  燈次が言葉に困っていると、先ほどの3人組が現れた。 「あれ、ダサ男くん。今度は何してんの?」  例の自称エリート男が、奥田の頭上から声を降らせる。奥田は顔を上げ、ヘラヘラと笑った。  その態度に気をよくしたのか、自称エリート男はクックッと喉を鳴らして笑う。 「さっきの場所、景色はいいのに虫が落ちてきたんだ。ムカつくから場所変えたいんだけど、今度も譲ってくれるよな?」  自称エリート男は決定事項のように告げる。奥田は不自然に頬を緩ませたまま黙っている。  自称エリート男はチッと舌を打った。 「返事しろよ、ダサ男!」  自称エリート男は奥田の腕を掴んだ。奥田は驚いて肩をすくめる。  すると、前野さんがふたりの間に入った。 「奥田くんに意地悪しないで」 「あんた誰だ」 「奥田くんの」前野さんは少し間を置いて続けた。「会社の先輩」 「おれさまはこいつと喋ってんだ」 「嫌がってるよ。謝って」 「邪魔すんな!」  エリート男は前野さんの肩を押した。前野さんはよろけて後退する。エリート男は得意げに胸を反らした。  前野さんの無事を確認した後、燈次は促すように奥田を見る。奥田は下を向き、身体を震わせている。 「奥田っ」  燈次が彼の名前を呼ぶと、奥田はぼそりと喋った。 「……先ほどは」  エリート男は「あ?」と意地の悪そうな返答をする。奥田はしゃがみ、クーラーボックスを漁った。 「先ほどはペットボトルもあげると言ったのに、受け取ってくれませんでしたね」 「そんなに言うなら、もらってやろう」 「では、たっぷり味わってください――怒りの味を」  そう言って奥田はペットボトルを逆さまにし、エリート男の頭にドボドボと注いだ。ブドウジュースの豊かな香りが周囲を包みこむ。 「おれさまの美しい顔が! なんてことを!」 「それは僕のセリフです。僕の恋人に乱暴なことをして、ただで帰れると……思わないでください!」  奥田はハッキリと言いはなった。ペットボトルを持つ手は震えているが、彼の眼光は鋭かった。  前野さんは思わず自分の頬を押える。彼女は光の浮かんだ瞳を奥田に向けている。  エリート男は奥田の手からペットボトルを叩き落とした。赤紫色の液体が地面に飛びちる。 「ナメやがって。痛い目を見せてやる」  エリート男は仲間のふたりに顔を向ける。ふたりはお互いに顔を向け、うなずきあった。  奥田はビク、と身体を揺らす。しかし前野さんの前に立ち、恋人を守ろうとする。  エリート男は唾を飛ばしながら、取り巻きたちに命令した。 「やれお前ら。この3人を――」 「――ジョージ・ワシントン」  取り巻きたちはきょとん、とした顔になった。脈絡のない言葉が聞こえたからだ。聞き間違いか、とばかりにふたりは声のほうを向く。  ふたりの視線の先には燈次がいた。燈次は悠々と桜の花を見上げている。  燈次は落ち着き払った態度で話を続けた。 「初代アメリカ大統領のワシントンは幼少期、たわむれで桜を切りたおしたそうだ。しかし木を大事にしていたはずの父親は怒らなかった。その理由はワシントンが正直に罪を告白したから」 「何が言いたい」 「人間も同じかと思って。気まぐれで腕を骨折させても、謝れば許されるだろうか?」  そう言って燈次はニヤリと笑い、太い桜の枝を片手で軽々と追ってみせた。  燈次の気迫が通じたのか、エリート男はさっと青ざめた。 「覚えてろ!」  そういって3人組は逃げていった。  燈次は首を左右に倒してストレッチをする。 「俺はハッタリの天才だな。ほとんど折れてる枝を折ったのに、悪党を撃退してしまった」  燈次は得意げに桜の枝を回す。しかし奥田たちの雰囲気に気づき、手をとめた。  先に口を開いたのは奥田だった。 「情けなくてすみません」 「かっこよかったよ。守ってくれてありがとう」 「気を遣わなくていいですよ。……出世出世ってそればかりで、僕は大事な何かを見落としていた気がします」 「奥田くんはどうして出世にこだわるの」  奥田はそばにあったカタログを拾いあげ、ぎゅっと握りしめた。 「前野さんに、言いたいことがあって」 「私に?」 「僕がもっと立派な男になったら……僕と、同棲してくれませんかっ!」  奥田はカタログを前野さんに向けた。表紙の椅子や本棚が目に入る。 「もしかして、同棲したときに使う家具を探してくれたの?」 「イメトレ、ですけど」  前野さんはカタログを開く。すると、開いたページからひらりと花びらが落ちてきた。 「わ」  不自然そうな前野さんの横から、燈次がひょいと顔を出す。 「もしや奥田、俺たちが来る前、桜の木の下でこれを見ていたのか?」 「あ、はい」 「どのページからも花びらがたくさん降ってくる。よほど長い間眺めていたんだな」  奥田は顔を真っ赤にし、自分のズボンをぎゅっと掴んだ。  前野さんはカタログをめくり続ける。ところどころに「前野さんが好きそうな色」「前野さんの身長的にはこっちの製品?」などとメモが書きこまれている。 「奥田くんは、出会ったときのままだね」  前野さんはぽつりと呟いてから、奥田に勢いよく抱きついた。 「奥田くん大好き。同棲、今すぐしよ!」  前野さんは奥田の頬に何度もキスをする。奥田はでれっと頬を緩める。  燈次は微笑ましそうにふたりを見ていたが、ふと気になったことを口にした。 「ふたりってまだ同棲してなかったんだな。ふたりの口から、家の中のお互いの様子をよく聞いていたが……」 「まあ、前野さんは最近ずっと僕の家で寝泊まりしてますからね」 「私の部屋に帰るのは掃除と郵便物の整理くらいだよ」  状況は今とほとんど変わらないようだ。 「それでもあえて言葉にするのは勇気がいるよな。ふたりの日々に幸せな出来事がたくさんあることを願うよ」  奥田は微笑み、レジャーシートの上で弁当を広げはじめた。カラフルな総菜が顔を覗かせる。 「何はともあれ、一見落着」  そう言って燈次は手に持っていた桜の枝を振る。  しかし……燈次の背後から、恐ろしい威圧感が襲ってきた。 「桜の枝を勝手に折ったのはお前か」 「え、誰」 「ワタシは公園の管理人。公園の木を傷つける者を許さない」 「謝るから許してください」 「許さん!」 「うわーん!」  燈次は半泣きで公園の管理人から逃げまわる。  奥田と前野さんは燈次に目もくれず、「奥田くんが食べさせてくれなきゃ、やだやだーっ!」「駄々をこねる姿も可愛いですね。タコさんウインナーあげましょうね。あーん!」などとイチャついていた。
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