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終電の車両の中にてメイド女が暴虐を振るい、それに抗う乗客達を片端からドーナツへと変えて貪り食うという理不尽で意味不明な惨劇は唐突に終わりを告げた。
気が付くと、俺は自宅の最寄り駅前に呆然と立ち尽くしていたのだ。
駅前の店々はシャッターを下ろしていて、歩む人影は疎らだった。
時刻は日付も変わったばかりで、終電で到着したのと変わらぬ時間だった。
そんな俺の耳には、あのメイド女の怒鳴り声が谺していた。
『貴様らは! 地獄行きだ!!!』
あの出来事は、そしてあのメイド女は一体何だったのだろう?
こうして何事も無く駅前に立ち尽くしていたことから考えると、恐らくは電車に揺られるなかで知らず知らずのうちに微睡みに落ちてしまい、その中で見た刹那の夢だったのだろう。
辺りの光景は普段と何も変わらぬものであって、『地獄』なんて露ほども感じられない。
安堵を抱いた俺は、家に帰るべく歩みを進め始める。
歩み行く最中、ふとスマホを取り出しそれを見遣る。
一緒に終電に乗っていた葛西から、何かメッセージでも入っていないだろうかと思ったのだ。
けれども、彼からのメッセージなど届いてはいなかった。
それどころか、彼とやり取りしていた今までのメッセージの一切が見当たらなかった。
いや、そもそも葛西の情報そのものがスマホに登録されていなかったのだ。
酔っ払っている時に操作を誤って消してしまったのか、それとも何かのエラーで消えてしまったのかと考えた俺は、首を傾げながら歩みを進める。
ようやく家の前へと辿り着いた時だった。
仄かな違和感が胸中へと湧き上がる。
家の窓には明かりが灯っていたのだ。
時刻はとっくに日付を過ぎていて、妻も娘も本来ならば寝入っていて真っ暗な筈なのだ。
首を傾げつつ玄関へと歩み行き、解錠してからドアを開ける。
「ただいま~」と声を響かせつつ家の中へと上がり込む。
けれども、「おかえりなさい」などといった迎えの言葉が響き来ることは無かった。
訝しく思いつつも廊下を歩み、リビングへと辿り着く。
リビングのライトは煌々と灯っていて、テーブルの前の椅子には妻が腰掛けていた。
俯き気味のためか、その表情を見ることは叶わなかった。
白いテーブルの上には大振りの茶封筒が置かれていた。
暗然たる予感が、心をじわりと染め上げつつあった。
恐る恐る茶封筒へと視線を遣る。
それには、とある興信所の名前が印字されていた。
依頼人の蘭もあり、そこには妻の名前が記されていたのだ。
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