青柳さんからお手紙着いた。

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青柳さんからお手紙着いた。

子供は巣立ち、孫も生まれて主人と二人の気ままな生活。 ゴールデンウィークも過ぎて今日は大分暑い。 お昼前、私が日課の散歩から戻ってくると、丁度玄関の前にぶううん、ってバイクの若い郵便屋さんがやって来た。この人、この春採用になったそうだ。愛想がいいかわいい子。 「花柳さん。郵便です」 「はあい。ありがとう。ね、暑くないの?ジャケット」 「ああ。そうですね。脱ごうかな」 「今日は夏日になるって。配達の人は大変。気を付けてね」 「はい。ありがとうございます。じゃ」 ぶうん、ってバイクが角を曲がって行くのを見送ると、私は渡された手紙に目を落とした。銀行からのハガキと、ええと、これは、なんだ? 白い封書に毛筆で書かれた宛名の花柳正は主人の名前。 裏を見ると、出した人は、青柳幸子さん。 え?なぜ? 主人の小学生の時からの友達の名前は、青柳守さん。主人の郷里に住んでいる。その同じ住所から届いた手紙のこの青柳幸子って人は、その奥さんだ。でも、その奥さんから直接主人に手紙なんか、普通なら来るわけがない。 嫌な予感がする。 歳も七十を越えれば私だってお友達を何人か亡くしてる。 そんな嫌な感じ。 「ただいま」と家に入った私は、ダイニングで老眼鏡をかけ本を読んでいた主人に黙って手紙を渡した。主人は「あ」と一言、大きく息を吸って吐いてから封を切った。 「そっか、青柳」 「・・・」 「葬式は身内だけで済ませたと」 主人の老眼鏡越しの目に涙が光る。主人はティッシュの箱を取った。でも、ティッシュで涙を拭くかと思いきや、彼はそれをむしゃむしゃと食べ始めた。 「いけません。正さん。それは漂白剤なんかが入ってる」 私は急いで棚の化粧箱から和紙を一枚取り出すと主人に渡した。 「すまない」 「私も一度お会いしてます。青柳さん。明るくて楽しい方だった」 「ああ。いい奴が死んでいく。それに」 「ええ」 青柳守さんと主人は、人には言えない共通の趣向を持つ特別な仲だった。 「今も覚えてる。小学校5年の時、学校の帰りの空き地の塀の陰」 「はい」 「青柳が空き地に入るのを見て、何してんだろうな、ってちょっと覗いてみたら、あいつ、藁半紙を食ってる」 「藁半紙、でしたよね。昔は」 「うん。学校のプリントはみんなガリ版刷りの藁半紙だったね。あいつが食ってたのは算数の小テストのプリントだった。あいつ、できなかったんだな。家に持って帰ると怒られる。それで食っちまった。俺は驚いた」 「はい」 「俺以外にも紙を食べる奴がいる。俺は青柳に話しかけた。おいしい?って。あいつ、驚いてな。人には言わないで、って」 「誰にも言えず、隠れて食べてたんですね。かわいそう」 「ああ。それで、俺も自分の算数のプリントを出して食べて見せた。あいつ、びっくりしてた。で、おいしい?って聞いてくる」 「正さんがしたのと同じ質問」 「うん。で、おいしいと答えた。あいつも、ね、おいしいよね、って」 二人の仲はそれ以来らしい。 主人はやがて郷里を離れ、大学に入学し、就職して私と出会い、そして結婚した。私が主人の趣向に初めて気づいたのは、結婚して三年目のことだった。 「はじめはさすがに驚きましたよ。私にもずっと隠してたんですね」 「いつかは言わないと、と思ってたんだけどね」 「体に悪いです。私が気になったのはそのことだけ」 市販されている普通の紙は、漂白や保存のため、化学薬品が使われている。口に入れて大丈夫なようには作られていない。ネットのない世の中、私はあちこち回って薬品が配合されていない紙を探した。今で言うオーガニックペーパーだ。主人はそれを食べて目を丸くしていた。 「おいしかった。いままで食べたどんな紙よりも。素材の味がする」 「喜んでいただけて光栄です」 そして、主人は郷里に住む青柳さんにその紙をおすそ分けしたのだった。 「青柳さんたら読まずに食べた」 「手紙は読んだと思うよ。食べたのはオーガニックペーパーだよ」 「それで、青柳さんもうちに贈ってくれたんですね、地元の和紙」 それからは、新しいオーガニックペーパーを見つけたら贈り、贈られ、そんな関係が今まで。 「その青柳が。あいつしかいなかった、俺と気持ちを分かり合える奴は」 「はい」 またしんみりしてしまった。 とその時、ピンポンとチャイムが鳴った。 俺が出る、いや、私が、なんて言いながら結局二人で玄関に出てしまった。 ドアを開けると立っていたのは青いシャツのさっきの若い郵便屋さん。ジャケット脱いだのね。 「奥さん、すいません。書留がありました。忘れてた」 「あ。はいはい。ハンコね」 「はい。お願いします」 私は下駄箱の上の引き出しにハンコを探した。あれ?なかなか見つかんない。 主人は、さっき私が渡した和紙を手に持ったままだった。来訪者はそれが気になったようだ。二人は会話を始めた。 「いい紙ですね」 「あ。わかりますか?これ、飛騨の和紙。なかなか手に入らないんだよ」 「へえ」 「紙、興味あるの?」 「いや。まあ」 「まだあるよ。少し持っていく?待たせちゃって悪いし」 「いえいえ。そんな」 「書道とかするの?」 「いえいえ」 「食べたりするわけじゃないよね」 「え?普通に食べますよ。あ」 私は思わず、彼の方を見てしまった。 彼はやばいって、顔してる。 主人の方を見ると、口を開けたまま、私の顔をじっと見つめている。 私が再び若い郵便屋さんの方を見ると、青いシャツに留めた胸章が目に入った。 「八木」さんっていうのか。
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