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「こっちにいらっしゃいな」
そう言って狼に声をかけ、自身の隣をポンと叩く。
私と狼はお互い目を逸らす事なく出方を伺う。数秒後動いたのは狼の方で、音もなくテラスに上がると大人しく私の隣に座った。
「あら、賢い。どなたかの飼い犬かしら?」
私はわざとらしくそんなセリフを並べる。
「あなた、大人しいのね」
さて、ここからどうやって本人を呼び出す足がかりにしよう? そんな事を思いながら時間稼ぎのようにそっと手を伸ばしその背を撫でた時だった。
「………!?」
ちょっと興味本位で触ってみただけなのに、この世で最も高貴な色とされる黒色を纏った狼の毛並みは驚くほど触り心地が良くて思わずモフる。
「ふわぁぁぁ、え、何これ!? ちょっ、びっくりするくらいふわっふわなんですけど!?」
耳もしっぽもふわふわで全部が全部手触りが良く、私のモフる手が止まらない。
そして心なしかちょっとドヤ顔の狼様。
皇帝陛下の使い魔をモフるだなんてどう考えても不敬でしかないんだけど。
「えっ、ちょっとブラッシングさせて頂いてもよろしくて?」
あまりに魅力的なモフモフを前に私は一旦作戦の遂行を中断する事にした。
「ヤバい。何この触り心地はっ!!」
完全にモフモフに籠絡された私はそれはそれは丁寧にブラッシングする。
皇帝陛下の使い魔にこんなことをするなんて、いけない。絶対いけないんだけど。
「尻尾ふっさふさ。はぁぁ、モフモフ素敵過ぎる」
けしからん、といいつつ私は思う存分モフモフを堪能しながら真っ黒な耳をマッサージする。
気持ちいいのか紺碧の瞳はすっかり閉じられリラックスしているようで。
そんな姿が可愛くて私は穏やかな時間に目的も忘れて癒されていた。
「はぁ、満足」
揉みくちゃにされても怒るどころか一声も発さず、私にされるがままだった狼がもういいのか? と目で尋ねる。
「ふふ、ありがとう」
私は黒い狼に礼を述べ、天色の目を瞬かせる。
散々モフって満足した私はじっと狼を見つめ、仕切り直すように机に視線を流す。
「珍しいモノがあるのよ」
私はそう声をかけながら、箱に手を伸ばす。この子から、皇帝陛下を引きずり出す、と決意しながら。
「とっても甘くて美味しいのよ」
私はそう言って箱を開ける。中身はカカオ含有量が高い最高級のチョコレート。
ダイスを使った目新しい娯楽の提供は目眩しに過ぎない。私が本当にこの後宮に持ち込みたかったもの。
それはゲームの合間に提供される"チョコレート"だった。
クローゼアではごく当たり前に食べられている、人々に好まれる甘味。勿論、後宮に持ち込まれた時点で毒味済み。
普通の人間ならただただ美味しいお菓子であるチョコレートはゲームと共に人々の中に定着していった。
おかげで私も日常的にハイカカオを口にすることができている。
ループ病を患う私にとってチョコレートはただのお菓子ではなく、薬だ。
カカオに含まれる成分には血管を広げたり炎症を抑える効果がある。
一方で、それは"犬"にとっては猛毒だ。
これだけ多くの人が口にし、絶賛されるチョコレートが毒物に成り得るなんて、きっと誰も気づかない。
使い魔に毒を盛り、不調を起こしたこの子を助ける事で皇帝陛下に恩を売る。謁見条件としては、十分でしょう。
今まで私が散々毒を盛られてきたように、今度は私が毒を盛る。
やらなくては。
狼は私と箱を見比べて、音もなくするりと近寄り受け取ろうと顔を近づけて来た。
そう、このまま食べさせるだけでいい。
はず、なのに。
「……あなたはダメ」
パタンと私は箱を閉じた。
「わぅ?」
私の行動に紺碧の瞳が丸くなり、不思議そうに首を傾げたあと、くれるんじゃないのかよと小さな声で抗議の声をあげる。
「いけません」
「うぅ、バゥ」
と狼は未練ありげな唸り声をあげ私の膝をカリカリと爪を立てないようにしながら引っ掻く。
「ダメったらダメなの」
「くぅぅ」
頑なに箱を開けなかったら、私の膝に顔を乗せ紺碧の瞳で上目遣いに見上げながら小さな鳴き声を上げる。
くっ、あざとい。なんだこの可愛い生き物はっ!!
私がモフモフに弱いと知っての作戦か!? と内心忙しい私は、大きくため息をついて箱にリボンをかける。
「ワンコがチョコレートを食べちゃダメ。下手したら死んじゃうのよ?」
私はそっと黒い毛並みを撫でながら、これは毒だと告げた。
「ヒトが食べる分には問題ないから、あなたのご主人様に渡してくれる? あなたには今度ワンコが食べられるモノを用意するわ」
お願い、と言うと驚いたように私の方をじっと見て、小さく吠えると箱を口で咥えて受け取った。
「絶対、途中で食べちゃダメよ」
念押しをしたあと、そろそろおかえりなさいと私は外を指さす。
「また、ね?」
紺碧の瞳はじっと私を見たあと、くるりと方向を変え音もなく去っていく。
その背を見送った私は、小さくため息を吐く。
(ごめん、イザベラ)
絶好のチャンスだったのに、逃してしまった。
でも、毒を盛られたときの、寒くて熱くて苦しかった経験が頭の隅でチラついて。
モフモフ相手に毒を盛るなんて、私にはどうしてもできなかった。
「手段を選んでいる場合じゃ、ないんだけどなぁ」
狼にはモフっている僅かな時間に情が移ってしまったけれど、セルヴィス様本体ならきっと強硬な手段も取れるはず。
仕方ない、次よと私は見上げた月にそうつぶやいて、チョコレートを一粒食べた。
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