囚われの人質

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囚われの人質

まだ日が昇る前の真っ暗な早朝四時。 霧が立ち込めるひんやりとした空気の中、三台の馬車が裏庭に停まっていた。 「アンジェ様、本当にこちらの馬車に?」 真ん中の大きな馬車を見上げて泣きそうな表情で尋ねるロザリーに、クリスティーナは笑って頷く。 「ええ。とっても豪華だもの。快適な旅になりそうだわ」 「ですが…」 「いいから、ほら。ロザリーも急いで」 「はい。アンジェ様、どうかご無事で」 大きく頷いてから、クリスティーナはロザリーを前の馬車に促した。 「アンジェ。俺は父や母と一緒に後ろの馬車に乗る。君はこのフィルと乗ってくれ。君の身は必ずフィルが守る」 「かしこまりました。殿下もどうぞお気をつけて」 「ああ」 手短に会話を終えると、皆はそれぞれ馬車に乗り込む。 近衛隊第一部隊が脇を固めて一行は静かに出発した。 「ええっと、確か名前はフィル、でしたかしら?」 「そうですが、何か?」 ふかふかのシートに座り、ゆったりとくつろぎながら馬車に揺られていたクリスティーナは、沈黙に耐えかねて向かい側に座るフィルに声をかける。 王妃のカモフラージュとして大きな帽子を被り、落ち着いたモスグリーンの色合いのドレスをまとったクリスティーナと、国王を真似て立派な装いのフィル。 遠目から馬車の窓を見ると、二人のシルエットは国王と王妃に見えるだろう。 「あの、あなたは王族の方々と血縁関係があるの?遠い親戚とか?」 「なぜそのようなことを?」 「いえ、なんだか少しあなたに王太子殿下の面影があるような気がして…」 「気のせいですよ。そう言えばあなたこそ、遠い親戚の方はお元気ですか?」 「は?わたくしの親戚?」 「ええ。近衛隊に私と同じ日に入隊して、あっという間に故郷に帰ったという」 ん?と眉間にしわを寄せてから、ああ!とクリスティーナは慌てて取り繕う。 「ええ、元気にしていますとも」 「名前は確か、クリス、でしたよね?」 「そ、そうですわ」 「彼の剣術は見事ですね。軽やかに立ち回り、敵の隙を見て一気に懐深く飛び込む。左手をまるで利き手のように鮮やかに繰り出し、左右どちらの剣もさばく両刀使い。力任せではなくテクニックで相手を仕留めていく。あまりないタイプだし体格も小柄だから、敵としては面食らって戦い辛いでしょうね」 「あら、そうなのですね。どうしてまた急に、彼の話を?」 クリスティーナは探るように尋ねる。 「いえ、昨日ふいに思い出したものですから。スカートをふわりと翻しながら、軽々と敵の剣を弾き飛ばすあなたを見ているうちにね」 「そ、そうでしたか。おほほ」 口元を手の甲で隠しながら、クリスティーナは引きつった笑顔を浮かべた。 (どういうこと?フィルは何か勘づいているのかしら) その時、ガタン!と馬車が大きく揺れた。 うわ!っと声が聞こえてきて御者台に目を向けると、見知らぬマントの男が手綱を握るのが見えた。 (馬車が乗っ取られた!) クリスティーナとフィルは一気に表情を引き締めて、互いに顔を見合わせる。 馬車は速度を上げて乱暴に走り出した。 酷い揺れに身体をあちこちぶつけながら、二人は窓の外を見る。 警護に当たっていた近衛部隊は、大勢の敵に囲まれて応戦していた。 「馬車を止めさせる」 そう言って激しく揺れる馬車の扉を開けようとするフィルに、クリスティーナは首を振ってみせた。 「このままにしましょう」 「なぜだ?!敵地に連れて行かれて捕虜にされるぞ?」 「それが目的です」 「は?何を言っているんだ?」 「こっそり移動するはずだったこの計画さえ敵に知られていた。もはやこちらの行動は筒抜けですわ。ならばいっそ、敵地に乗り込んで相手の状況を探りましょう」 「本気で言っているのか?どんな危険な目に遭うか…」 「承知の上です」 静かにじっと目で訴えるクリスティーナに、フィルは小さく息を吐く。 (やっぱり口では勝てないな) 二人は覚悟を決めて馬車に揺られていた。
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