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どれくらい眠っていたのだろう。
ぼんやりと目を開けたクリスティーナは、壁の時計を見る。
時刻は深夜の二時だった。
(五時間も眠っていたのね)
だが夜明けまではまだ時間がある。
もう一度眠ろうと寝返りを打ったクリスティーナは、目の前に迫る端正な横顔に驚いて後ずさった。
(な、なに、誰?王太子様?どっちの?)
クリスティーナが混乱して見つめていると、んん…と顔をしかめながら、ゆっくりと目を開ける。
「あれ、起きてたの?」
「え、ええ、あの、はい。ところで、どちら様でしょうか?」
「ええ?寝ぼけてるの?同じベッドで寝てるんだから、君の夫に決まってるでしょ」
「おっっっと…」
「そんなにたくさん『つ』はいらないよ」
クスッと笑われて、クリスティーナは恐る恐る尋ねる。
「あの、あなた、フィルの方?」
「方ってなに?他に誰がいるの?」
「いえ、その、アンドレアかと…」
「ふうん…。君と毎晩一緒に寝ていたのはアンドレアじゃない。俺だよ」
そう言うと片肘をついて頭を支え、クリスティーナの瞳を覗き込む。
「君の無防備な寝顔を知っているのも俺だけだ」
「ひえ!な、なんてことを言うのよ」
「君が寝返りを打つ時、この唇から、ん…って甘い声がこぼれるのも知ってる」
人差し指で唇をなぞられ、クリスティーナは顔を真っ赤にする。
「そ、それなら、最初の夜に、君に触れたりしないって言ったのもあなたでしょう?たった今、その約束を破ったじゃない」
「ああ、それはまだ君が俺を欺いていると知らなかった時の約束だからね。今となっては守る必要はない」
「どういう意味?私がいつあなたを欺いたっていうの」
「へえ、この期に及んでまだそんなことを言うんだ。それなら仕方がない。分からせてあげるよ」
え?とクリスティーナが首を傾げると、フィルはいきなりクリスティーナの頬にキスをした。
「な、何を…!」
「油断は禁物、だろ?クリス」
いたずらっ子のように笑うフィルに、クリスティーナは絶句する。
(え、クリス?って、あの時の?男装して近衛隊にいた私のこと?)
「どうして…」
思わず呟くと、フィルが面白そうに語り始めた。
「まさかあの時は、男に化けてるなんて思いもしなかったよ。君が女装して、いや、失礼。ドレスを着てこの王宮にやって来た時も、同一人物だなんて夢にも思わなかった。だけど君の剣術はひと目見たら忘れられない。近衛隊にいた時のクリスと、嵐の日にドレス姿で舞うように剣を繰り出していた君が、直感的に重なって見えた。そして君のあの口癖もね」
あ!とクリスティーナは思わず口を押さえる。
しまった、と顔をしかめていると、フィルは更におかしそうに笑う。
「それと夕べのディナーの時も、君はうっかり口を滑らせたよ」
「え?な、なんて?」
「俺がアンドレアのことを、アンドレア=ギルバートって紹介した時、君はこう言ったんだ。『ギルバートって、フィルが最初に名乗っていた?』って。俺がフィル=ギルバートと名乗ったのは、近衛隊に入隊したあの日だけだよ」
なんてこと…と、クリスティーナはもはや呆然とする。
「という訳で、君に触れないと言った俺の最初の約束はなかったことにしてもらうよ。その代わりに、俺を見事に欺いたことを称えて、ずっと君をこの手で守っていく」
いつの間にか真剣な表情を浮かべたフィルが、クリスティーナの頬にそっと手を添える。
切なげに揺れるフィルの瞳に捉えられ、クリスティーナは何も考えられずに見つめ返す。
やがてゆっくりと目を閉じたフィルは、クリスティーナの唇に優しくキスをした。
初めてのキスにうっとりと胸を震わせたクリスティーナは、フィルが離れた途端、真っ赤になってうつむく。
「可愛いな。男にそんな顔を見せちゃいけない」
そしてもう一度、今度はチュッと軽く口づけた。
「ちょっと、もう、恥ずかしいから!」
ますます顔を赤らめるクリスティーナに、フィルはふっと笑みを浮かべる。
「隙だらけだな。油断は禁物だぞ?クリスティーナ」
もはや言葉を失ったクリスティーナを、フィルは優しく抱きしめた。
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