第8話 都の視察

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第8話 都の視察

 女帝・経朱――の中の人、鈴華と四皇子のひとり、最猟陰の打ち立てた政策により、宝菜国は徐々に活気を取り戻しつつあった。  重税は緩和され、民たちは前よりも暮らしやすくなっているようだ。女帝が毒蛇のプールに向かって受刑者を蹴落とすような恐ろしい処刑や、ムカデや毛虫などの害虫を無理やり飲み込ませるような拷問もなくなり、国の人々の間に走っていた緊張もずいぶん和らいだように思える。  ただ、やはり宝玉宮に篭っているだけでは民間の事情は感覚としてわからないと鈴華は思っていた。 「というわけで、今日一日、都に降りて民たちの様子を見てみたいんだけど」  その提案に難色を示したのが猟陰である。 「陛下、政治に熱心なのはいいけど、こないだの祭りで暴漢に襲われかけたのを忘れるほど鳥頭じゃないよね?」 「猟陰、あなたちょくちょく私を馬鹿にしてない?」  むぅ、と頬を膨らませる女帝に、猟陰はちょっと笑った。猟陰府の執務室で、彼と鈴華はお茶を楽しみながら談話しているところである。 「まあ、言いたいことは分かるよ。でも陛下がわざわざ重い腰を上げなくても、拙たち役人に任せればいいじゃないか」 「私は自分の目で見て確かめたいの。確かに政策を実際に作るのも、それを実行するのも役人の仕事だと思う。でも、一番上に立つ者がそれを理解する必要もあると思わない?」 「まあ、そりゃあねぇ」  猟陰は鈴華の言葉に感心したように、片眉を上げて彼女を見つめる。どうも驚いたときに片眉を上げるのはこの男特有の癖のようだった。 「正直、君がそこまで深く物事を考えられるとは思わなかったな」 「やっぱり馬鹿にしてるでしょ!」 「いやいや、社会や政治のことはよく知らないと言っている割にきちんと自分なりに考えているんだなと思っただけさ。それにしてもどうしたものかな。また君ひとりで都に行かせるわけにもいかないだろう?」  それもそうである。前回、暴漢に囲まれた時にパニックになって龍を顕現できなかったという苦い過去があった。その後、最百華のトレーニングを受けて丹田に気を集中させるということは習ったが、また何らかの事件に巻き込まれた時にちゃんと龍を呼び出せるか、不安は残る。 「誰かお付きの者を付けた方がいいんだろうけど、君の側近たちや侍女たちに事情を説明したら引き止められるのがオチだ。かといって拙は猟陰府で仕事があるから一緒には行けないし……」 「できれば信頼のおける四皇子の誰かに頼みたいものだけど……」  ――百華と一緒に都を歩きたいな。  鈴華がそう願ってしまった、そのときである。 「猟陰、先日の戦で損傷して、補充が必要な備品の一覧を作ったので見てほしい」  執務室にちょうどその最百華本人が入ってきたのである。 「む、陛下とご一緒であったか」  百華は無表情のまま、女帝に一礼した。 「百華兄さん、いい時に来てくれたね」  猟陰がにこやかに百華に事情を説明する。 「陛下が、都に視察にいらっしゃると?」 「う、うむ。百華さえ良ければ、その、妾と一緒に……」  柄にもなくモジモジする女帝を、猟陰は冷やかすようにニマニマ笑って見つめていた。百華はやはり、感情の読めない目で女帝を見下ろしている。 「陛下をお守りしろということであれば、もちろんお供いたします」  やったぁ! と叫びそうになるのを、鈴華は必死でこらえていた。  これはいわゆるデートと言うやつでは……!? と、有り体に言えば浮かれていたのである。  ――それから三十分ほどで、鈴華は支度を終えた。  どこからどう見ても町娘スタイル。祭りの際に都に降りた時と同じ姿である。  百華はといえば、同じく町人の格好をしているが、何故か狐のお面をつけていた。 「なんじゃ、その仮面は?」 「いえ……わたくしは顔を知られてしまっておりますので、目立ってはいけないと思いまして……」  たしかに、百華は宝菜国でも人気者の将軍、しかも国一番と謳われる美貌である。彼が町を歩けば、一瞬で正体がバレるだろう。  しかし……お面をつけたらもっと目立ってしまうのでは? 「顔を隠すよりも、髪型を変えてみてはどうじゃ? 顔が同じでも、髪型と服装が違えば案外気付かれないものじゃぞ」 「そんなものですか?」 「そんなものじゃ」  首を傾げる百華に、女帝は頷き返す。  服装はいつもと違うのでこれでいいとして、鈴華は手持ちの髪紐で、百華の髪を結ってあげることにした。  百華の黒髪は、長く美しいツヤがあり、日に当たると紫色を反射する。誰か従者に手入れをしてもらっているのか自分で手入れをしているのか、はたまた特に何もしてないのにこんなに綺麗なのかは不明である。  彼は普段それをポニーテールのように後ろで一つ縛りにしているが、今日は長い三つ編みにして、前髪も少しいじらせてもらった。これでパッと見はただのイケメンお兄さんである。とりあえず百華と知られて騒ぎにならなければいいだろう。 「これで良し、と」  鈴華が満足そうに頷くと、百華は目をパチパチさせていた。不思議そうに前髪をそっと触るが、やはりその顔に感情らしきものはさっぱり見えない。  しかし、鈴華は無表情に美を見出すタイプなので何の問題もなかった。 「それでは参ろうか、百華」  鈴華が手を差し伸べると、百華は静かに手を取り、隣を並んで歩き始める。  都は祭りのときほど大盛況というわけではないが、やはり活気にあふれていた。  野菜や魚を売る行商人の掛け声と、「もうちょいまけてくれよ」と値切り交渉をする客の声。  赤ん坊を抱えた夫婦らしき男女の足元を、幼い子どもが駆け回っている。  女帝の圧政に苦しんでいるかと思っていたのに、思いの外、平和な光景がそこには広がっていた。  それを意外に思ったことを百華に話すと、彼は眉一つ動かさず、淡々と答える。 「陛下が政策を変えようと立ち上がる前は、こんなに穏やかな風景ではありませんでした」  百華は語った。  毎日のように拷問や処刑で誰かが傷ついたり死んだりしていく、以前の都にこんなに笑顔があるはずがなく。  民たちはみな怯えた目をしていて、次は誰が女帝の生贄になるのか、お互い疑心暗鬼の状態。  さらに重税を課され、店も満足に営業はできない。店を開いてもお金に困った人々が盗みを働くようになる。  悪意ある者はすべてを女帝のせいにして、民草を扇動し、暴動の直前にまで至ったものを百華たち兵士が鎮圧することもたびたびだったという。  話の内容を聞くだけでも、凄惨な世紀末のような光景であっただろう。あるいは、国が滅びる寸前というのはこういうものなのか。 「……耳が痛い話じゃのう」 「まったくですな。ですから、わたくしは不思議です」  不意に、百華が女帝の手を絡め取った。  ――こ、こここ恋人繋ぎ!? どういう流れ!?  動揺する鈴華に、百華が囁くような小声で話しかける。 「わたくしは、貴女様が本当にあの陛下なのか、わからなくなってしまうのです。まるで、別人に生まれ変わってしまわれたようだ」  鈴華はまたドキッとしてしまう。今度は正体がバレたのでは、という心臓の鼓動である。  恋人繋ぎではなく、逃げられないように指を絡めているだけだ、これ。  はたから見れば、恋人が仲睦まじくイチャイチャしているようにしか見えないが、鈴華にとってみれば、これは百華による尋問である。  しかし、推しの美顔がこんなにも近くに、耳元には低音のウィスパーボイス……!  猟陰のときのように疑われているにも関わらず、鈴華はあっという間にくらっとしてきた。 「あ、あの、百華……」  ――もう真実を言っちゃってもいいんじゃないか?  猟陰にもバレてるし、百華は口の堅い男である。他の人間にバラすような人間ではないことは長時間ゲームで見てきた鈴華のお墨付きだ。  ……いやいや、ダメだ。百華は猟陰ほど柔軟な思考を持った人間ではないことも、鈴華は太鼓判を捺してしまう。自分が女帝ではないことを知れば、百華は十中八九間違いなく鈴華を「女帝をどこかに監禁して自らが女帝として振る舞っている影武者」か何かだと思い込む。そして、本物の女帝が見つからない限り鈴華を幽閉することも辞さないだろう。猟陰の説得に耳を傾けるかどうかもわからない。そういう融通が利かないところも好きなんだけども。 「――っと、失礼いたします」  突然視界が暗転する。  百華に抱きしめられて自分が彼の胸に顔を埋めている、と気付くのに十秒かかり、その後鈴華は自分が爆発するのではないかと思うほどカッと頭が熱くなった。  百華の肩越しに、馬が通り過ぎるのが見えた。どうやら、馬に道を譲るために女帝を抱きしめたらしい。 「お二人さん、熱いねぇ」  百華に抱きしめられて道を逸れた先にあったのは、青果店のようであった。そこの店主にヒュウ、と口笛を吹かれて、鈴華はさらに顔を赤く染めた。 〈続く〉
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