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帰宅準備を済ませた瑛茉が、店の裏口から出ようとしたとき。
不意に、月尾に呼び止められた。
「ごめん、瑛茉ちゃん。もっと早く確認しなきゃと思ってたんだけど……夏休み、おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行ったりしないの?」
振り返った瑛茉に向けられた、穏やかな表情。その瞳には、柔和な光とともに、少しばかりの心配が滲んでいた。
祖父母との再会、すなわち、島への帰郷。
来日して以来、瑛茉が一度も帰郷できていないことを、月尾は知っている。国内とはいえ、気軽に移動できる距離ではないため、長期休暇である今が最適なタイミングだと考えたのだろう。
そんな月尾の問いかけに、躊躇いがちに瑛茉が答える。
「実は、まだ何も決めてなくて。会いたいなとは、思ってるんですけど」
同居を始めてすぐ、崇弥からも提案された。あのときは、帰る方向で調整するつもりでいたけれど、このふた月が気づけば怒涛のように過ぎ去ってしまったので、考えるひまがなかったというのが正直なところだ。
「また、崇弥さんと相談してみます。……ありがとうございます」
崇弥は言ってくれた。時間の許すかぎり、ゆっくりしておいでと。月尾も、きっとそう言ってくれるからと。
「急な日程でも、店のことは気にしなくていいからね。もし帰るなら、ゆっくりしておいで」
崇弥の言ったとおりの月尾の反応に、瑛茉は胸の奥がきゅっとなった。感謝の気持ちを込めて深々と頭を下げ、茜色の帰路につく。
ひぐらしの鳴き声が響き渡る、まだ照り返しの強い路地。重い足取りで歩いていると、視界の端で何かが風になびくのが見えた。
なんだろう。不思議に思ってそちらに顔を向ければ、赤と白と黒の大きな切子灯籠が、軒先でゆらゆらと揺れていた。
「お盆……」
切子灯籠を吊るす意味を、以前瑛茉は崇弥から教わった。
あの灯籠には、亡くなった人が、迷わず家までたどり着けるようにという願いが込められているらしい。
年中行事を大切にする祖父母は、きっと、この時期も大切にしているはず。盆の入りの十三日まで、あと五日。今ごろ先祖を——母を、迎えるための準備をしているのだろうか。
灯籠の淡いあかりが、切ない郷愁を呼び起こす。茜色の空に浮かぶ雲は、まさに瑛茉の心にかかる靄のようだった。
彼のいない家に帰る気鬱さが、さらにかさを増した。
そのときだった。
「——ねえ」
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