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真っ青な夏空に、入道雲がもくもくと湧き上がる。
まるで海原に浮かぶ島のように雄大で力強い雲。朝はあんなに清々しかったのに、昼になればやっぱり暑い。
蝉の声が盛大に響き渡る道を、瑛茉はゆっくりと歩き始めた。右手に日傘、左手に弁当を携えて、祖父の職場へと向かう。
自宅から歩くこと三分。〝佐伯診療所〟と書かれた看板が見えてきた。今年七十五歳になる祖父は、現役の〝島のお医者さん〟だ。
島の裏側に公立の総合病院はあるけれど、それでも身近な主治医として、祖父は地域の人々から頼りにされている。
敷地に入り、芝生の中の石畳を進んで玄関へ。引き戸を開けると、白衣姿の祖父が、午前の診療の後片づけをしていた。
「わざわざ弁当持ってきてくれたんか。ありがとな」
「おばあちゃんが『おじいちゃんとふたりで食べておいで』って、わたしの分も詰めてくれたの。ここで一緒に食べていい?」
「もちろんや。先に給湯室行っといてくれるか? ここ片したら、じいちゃんもすぐ行くけん」
「何か手伝おうか?」
「いやいや、もう終わる。ここ来るまで暑かったやろ? 冷蔵庫にペットボトルのお茶があるけん、それ飲んで休んどけ」
祖父の言葉に従い、診察室脇の廊下を渡って、奥の給湯室へ。十七年ぶりの遊び場は、どこを切り取ってみても、瑛茉の記憶のピースにぴたりとはまった。背が伸びた分、見える景色は違うけれど、あの頃と同じ優しさが、ここには詰まっている。
給湯室に入ると、またまた祖父の言葉に従い、冷蔵庫からお茶を取り出した。キンキンに冷えた500mlの緑茶。まるまる一本は多い気がしたので、ふたり分のコップを用意し、祖父と分けることにした。
弁当をテーブルに並べた数分後。
白衣を脱いだ祖父がやってきた。
「おー、うまそうな弁当やな」
「ほとんどおばあちゃんが作ってくれたけど、きんぴらと紫蘇つくねは、わたしが作ったの」
「ほー! すごいやないか」
朝のだし巻き卵も絶品だったと褒めちぎると、祖父は両手を合わせ、まずはきんぴらに箸を伸ばした。
「んっ、うまい!」
実に美味しそうに、嬉しそうに、次々とおかずを口に運んでいく。そんな祖父の姿に感化され、瑛茉もきんぴらをひとくち頬張った。
味見をしたときとはまた違う、懐かしい風味が、口の中に広がる。
「午後の診察は何時から?」
「二時からや。……っていうても、三十分前には患者さんもう待っとるけんな。誰か来たら診察開始や」
「そっか。じゃあ、一時過ぎには帰るね」
「急がんでええ。ゆっくりしていけ。……なあ、瑛茉」
と、不意に祖父の声のトーンが下がった。不思議に思い、「なに?」と短く訊き返す。
そうして投げかけられた質問に、瑛茉は目を見開いた。
「なんか悩んでることでもあるんか?」
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