15、波紋

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15、波紋

早川葵は、そのニュースを夜のテレビで知った。自分の患者の一人である15歳の女の子が殺された。 最初に頭に浮かんだのは一木のことだった。一木の心は持つだろうかと本気で心配になった。 次に(よう)の父親、神澤哲郎のことが頭をよぎった。去年、妻を亡くしたばかりだ。そして、娘。 (よう)と懇意にしていた田中家の家族もやり切れない想いに苛まれていた。 特に亜衣の嘆きは凄まじかった。亜衣は少林寺拳法の型を決めながら、泣きながら叫んでいた。 「一意専心!」(よそ見をせず、ひたすら一つのことに気持ちを集中すること) 「雲外蒼天!」(雲『困難』の上には青空『明るい未来』が広がっていること) 「堅忍不抜!」(辛いことに負けず、我慢強く心を動かさないこと) 田中家の中で翔太だけが全く違う想いを抱いていた。 珠を取った瞬間に翔太は完全に消えた。カケルは市松人形が死んだのは可哀想だとは思っていた。 でも、亜衣ほど感情を揺さぶられることはなかった。珠をしなくても平気だと分かった。自由だという思いが強かった。 大学入学まで派手なことはしないと決めていた。日々の経済活動だけは実行していた。 (よう)が通学していた白百合女学院はカトリック系のミッションスクールだった。 突然、命を絶たれた(よう)のために特別なミサが聖堂で行われた。 小、中、高の全ての生徒が受洗が済んでいるものは自らのロザリオを持って「聖母マリアの祈り」をささげた。 アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、 主はあなたと共におられます。 あなたは女のうちで祝福され、 御胎内の御子イエスも祝福されています。 神の母聖マリア、 わたしたち罪人のために、 今も、死を迎える時も、お祈りください。 アーメン。 カトリックのミサも儀式的である。 この聖母マリアの祈りは主の祈り10回の後に10回捧げられる。ロザリオの珠を数えながら行う。ロザリオは珠なのである。 アクセサリーではない。首には掛けない。 この祈りは、聖母マリアを讃えるものではない。主の祈りと同じく主、イエス・キリストに捧げる祈りである。 カトリック信者においては、毎日唱える祈りなのだ。 仏教徒の南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華教みたいなものだ。 神道には「お祈り言葉のテンプレ」は何もない。 宗教とはなんだろうか。 宗教は決して現世利益を約束しない。 そして、ノルマを課すものはカルトだけである。 一般信者に許されるのは祈りを捧げることだけなのだ。この地獄としか思えない自分の世界の中に救いを求めている。 祈ることだけが救いの道に繋がる唯一のものだ。カトリックの祈りの中には罪人である自分の姿が見えている。 聖櫃ではない自分と向き合いながら祈る。 そこに救いをもとめている。 他者を断罪しない。断罪するのは自己なのだ。 自分は何もしていないと言うのは簡単だ。 自分は誰も傷つけたことがないと言い切れる人間は少ない。 自分が吐いたふとした言葉で他人(ひと)は傷つく。その想像力もない人間には、救いはない。 「アーメン」というフレーズは合いの手のようなものだと或る牧師が言っていた。 次の章に入ります…だ。
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