6、王宮マンション

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6、王宮マンション

実果は、行きたくて行きたくて堪らないところがあった。 市松人形の家だ。市松人形が「神澤工業」の会長の娘だと知った時から、「本当の金持ちの家」に行きたい想いは募っていった。 あの大会社の創業者一族。今は会長の父親とその娘。なんて不公平なんだという憤りと憧れを含んだ気持ちを実果は抱いていた。 住まいは「麻布」だと聞いて益々行きたくなった。港区女子!自分は多分一生なれないだろうソレを聞いたら更に行きたくなった。 翔太と実果は、いつも外でヤッていた。ラブホテルもないこの山奥に実果はうんざりしていた。実果の家は実果の家じゃない。叔父の家だ。ご飯の心配さえしてくれない叔父夫婦と暮らしていた。 実果が生まれたのは東京都O田区。高級住宅街の方じゃない。以前はマッチ箱のような町工場がひしめき合う街だった。近くに羽田空港があり、昔はドブの匂いがしたという、そんな街だった。 実果は、その中では割と恵まれた家庭に育った。経済的には。ただ、実果の成績が芳しくないところから両親の関心は優秀な弟にのみ注がれた。生活の何もかもが弟中心で、両親は実果には無関心だった。一つ年下の弟は中学受験でKOの中等部に入った。弟は嫌な奴だった。KOに入った途端。姉である実果を下民扱いする言動をするようになった。 両親は、それを嗜める訳でもなく、実果に「マシな都立高校」に入れと強要した。マシなというのは「偏差値が高い」ということだ。 最低でもここと偏差値60の学校に入れと両親は言った。実果の成績では偏差値50がやっとだった。地元の普通科。結局は余分なお金を実果に使っても仕方ないと両親は言った。その偏差値50の地元の高校に入った。弟はその年の夏休み、カリフォルニア州ロスアンジェルスに短期留学をした。本当に実果にはお金をかけたくなかったらしい。 女の子なのに洋服もろくに買ってくれなかった。それで、他の女子から虐められた。中学の頃だ。家のお金は全て弟の教育費につぎ込まれた。自分で稼ぐしかないと思うのは至極当然のことだったと実果は思う。援助交際という経済活動を始めたのだ。 女子中学生というだけで、客はついた。1日に3人客を取ったこともある。罪悪感なんて皆無だった。親からも大事にされない子は自分を大切にできない。お金を手にして、洋服を買ってブランドのロゴが入ったバッグを買って、化粧をして「完全武装」をするようになった。 学校では、校内のパワーゲームの勝者である男子と寝て、男の力を借りて自分を苛めた女共に仕返しをした。みんなの前でマッパにしてやった。中学で一応仕返しは終わった。 実果には信条があった。「やりすぎないこと」だ。それは警察のご厄介にならないための知恵だった。マッパにしても、それ以上はしない。学校には来なくなっても当然の報いだと思った。 高校生になっても同じようなことをしていた。中学生の頃よりは稼げなくなった。同じ商売をやる相手との競合が結構激しかった。そこでも、お嬢様学校の方が強い。エセお嬢様学校でもだ。でも、欲しいものは欲しい。金がない。そこで新規事業「窃盗とユスリ」をするようになった。オヤジをターゲットにして実果が寝て、男友達が軽くボコって強請る。「淫交罪」という錦の御旗を掲げて。 グループで連携して高級品ばかり万引きしたり、色々派手にやっていたらパクられた。強盗だけはしてなかったし、オヤジをターゲットにした強請りも「淫交罪」があるからオヤジ達の方が訴えない。立件されたのは大した数じゃなかった。 それで、実果は奥多摩に島流しの刑になったのだ。刑を決めたのは両親だ。 全部、弟のために両親はそうした。 叔父に金を払って娘に何とか高校を卒業させてほしい。そうじゃないと〇〇ちゃんの将来に傷がつくだとさ。ここでも弟が出てくる。 実果は、翔太に賭けている。翔太はウチの弟なんか問題にならないほど勉強ができる。実果は、この男がこれから作り上げるステイタスに乗っかろうと思っていた。
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