高遠 誠一郎③

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高遠 誠一郎③

「教育実習で来ました園部七海です」  健康的に日焼けした快活そうな女の子は白い歯を見せてニッコリと笑った。教育実習生という事は大学四年生、自分より一回り以上も下の後輩だ。なんでも女子野球の選手で高校時代は日本代表に選ばれた事もあるという。私は野球にそれほど精通していないが女子にもプロ野球が存在する事は知っていた。しかし男子のそれとは違い、それだけを職業として生活していくにはまだまだ発展途上だと言う事もなにかのニュースで見た記憶がある。おそらく彼女も先行き不透明な未知の世界よりも公務員という手堅い職業を選んだのだろう。などと、ぼんやり私は想像した。  教育実習生というのは、その肩書きだけで生徒から人気が出るものではあるが、彼女は歴代の実習生の中でも群を抜いていた。パッと明かりが灯ったように向日葵のような笑顔で笑う女性で、サバサバしているのか天然なのか判別が付かない危うさと、幼さの残る純粋さが同居したような人間性はこれからの人生経験で如何様にも変化していきそうな柔軟性があったのである。生徒たちはそこに親近感を得て、大人である先生たちはまるで孫の成長を見守る好々爺のように目を細めて彼女を見守っていた。 「美人なんだ! やだねー、おじさんが鼻の下伸ばしちゃってさぁ」 「ねー」  娘の玲菜と顔を見合って首を横に折る妻。何のことか理解しているのかは怪しいが、とにかく楽しそうなので妻に乗っかる娘。いま在籍する先生の中では若い方だし四十前でおじさんと呼ばれる事に、多少の抵抗感があったがしかし、確かに世間一般的な常識に照らし合わせれば三十九才は立派な中年、つまりおじさんだ。 「そんなんじゃないよ、まぁ確かに可愛い子だけど」 「ほらほらー」  妻がからかうように言うと娘も同じような口調で復唱した。いつも賑やかな食卓である。 「でも教育実習なんて懐かしいなあ、あの頃は若かった」 「玲子さんは生徒から人気だったでしょう?」 「あっ、得点稼ごうとしてるな。そんな事言ってもお小遣いは増やしませんよー」 「そうですよー」  娘の合いの手に私はタジタジだ。女性二人に男一人。多勢に無勢。発言には気をつけなければならない。 「でも大変だよね、今の子供達は何考えてるか分からないしさ、なんて言うか知能犯? みたいな」  知能犯とは言い得て妙だが、確かに最近の小学生は良い意味でも悪い意味でも賢くなっていると感じる事が多々ある。 「高学年にもなると普通にスマホ持ってるしね」 「そうそう、玲菜が欲しがったらどうしようかしら」  玲菜はまだ九歳、小学三年生だ。流石にまだ早いだろう。 「防犯目的だと言われると禁止する事も出来ないしなあ」 「持ってないと仲間外れにされたりするから、親も渋々買い与えてるみたいよ。中にはスマホ触らせておけば大人しいからって人もいるみたいだけど」  彼女は出産を機に退職した。子育てをしながら続けるには職場環境が整っていない。教師不足を解消するのならば、まずはその辺りにテコ入れをしなければ女性教師は益々減っていくに違いない。もっとも今どきは結婚、出産はしないで自立して生きていく女性も多い、その辺のデリケートな部分にうっかり口を挟むとやれ昭和の考えだの、やれ女性軽視だのと集中砲火を浴びるものである。彼女たちが声を荒げるほどに、男女間の隔たりを自分自身が一番意識しているのだと吹聴している事に当人は気がつかないようだ。  真の平等とはつまり、不平等である事を忘れてしまう事なのだと思う。お茶を淹れるだけで今どきお茶汲みさせる会社などないと憤る時点で本末転倒なのだ。どちらでも良いじゃないか。手が空いているもの、気が付いた人間がやれば。 「こんど連れて来なよ」 「え?」 「その子」 「なんで?」 「なんて言うか、今の教育現場の感想? みたいなの聞いてみたい」  教育実習の時期が来ると妻は毎年同じ事を言ったが、残念ながら実現した事はない。当然だろう、教育実習に来たからといって教師になるとは限らない。とりあえず教員免許を取得しておこうと考える学生も多い。なにより先輩教師の家にわざわざ飯を食いに来るような若い先生など現役の中にでさえ滅多にいない。皆プライベートを大切にしているのだろう。現代的だが少し寂しい。 「まあ、聞いてみるよ……」  期待はしないでくれ、と暗に匂わせながら私は答えた。
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