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田村弥太郎③
家に帰るとお母さんが化粧鏡の前で鼻歌を歌いながら口紅を塗っていた。最近はずっと機嫌がいい、理由は分かっている。彼氏が出来たからだ。
「ただいまぁ」
「あ、おかえり。おやつ冷蔵庫に入ってるよ」
「うん」
「今日はちょっと遅くなるけど、晩御飯はカレー作っておいたから温めて食べてね」
「うん」
お母さんは優しい。けど、彼氏が出来ると僕を放ってどこかに行ってしまう。昔からそうだ、お父さんの記憶はない。小さい頃に離婚したと言っていた。
冷蔵庫を開けると大好物のモンブランが三つ入っていた。いつもなら狂喜乱舞しながら喜んで食べるけど、今は食欲が湧かない。
後藤くん達は、僕がアリを踏み潰す所をスマートフォンで撮影していた。あの動画をみんなに見せるのだろうか。元より友達はいないけど、あんな動画を拡散されたら誰も僕には近づいてこないだろう、それだけは分かる。
なにより園部先生はどう思うだろうか。先生は僕がうっかりアリを踏み潰したと思っているはずだ、だから一緒にお墓を作ってくれたし、アイスもくれた。それが本当は自らの意思で殺したと知ったら。考えると怖かった。
「あら、食べないの?」
冷蔵庫から何も取り出さないで閉めると、お母さんがびっくりした顔で聞いてきた。
「うん、後で食べる」
「あら、どうしちゃったのかしら。好きな女の子でも出来た?」
お母さんが立ち上がる、若い人が履くような短いスカート、両肩が露出してる服は三十二歳の人が着るのは違うような気がした。もっともそれが今の彼氏の好みなのだろう。
「そんなんじゃないよ」
「ふーん」
怪訝そうな顔をしてお母さんは家を出て行った。今回も三ヶ月もすればフラれて、二ヶ月は落ち込むのだろう。そうして新しい彼氏を作り……。繰り返しだ。
僕は不安な気持ちのまま、夜になるとカレーを食べた。モンブランを一つ食べてお風呂を出るとすぐに睡魔が襲ってくる。
お腹いっぱいになると放課後の出来事も遠い過去のように思えて安心した。ベッドに入り楽しい未来を想像する。友達が沢山いて、好きな女の子がいる。そんな普通の未来を夢見た。
今日もお母さんは帰って来ないだろう、でも大丈夫。彼氏と別れたらまた僕を見てくれるから。ほんの少しの辛抱だ。
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