13人が本棚に入れています
本棚に追加
/55ページ
田村弥太郎④
翌日、学校の教室に入ると、いつもとは違う雰囲気が漂っていた。普段は空気のように僕の存在感は薄いのに、今日はみんながチラチラと視線で追いかけてくる。察しがいい方でもないけど、すぐに原因は分かった。動画が拡散されたのかも知れない。
俯いたままで席に座ると隣、前、後ろの机がいつもよりかなり離れている。まるでそこだけ空間が出来たかのように、ぽっかりと空いた中央に僕がいた。惨めだった。こんなあからさまに避けられるのは初めてだ。まるでバイ菌、クラスの癌、嫌われ者。
チャイムが鳴ると担任の菅谷先生が入って来て、すぐに僕の席だけ異様に孤立している事に気がついた。
「なんだなんだー、田村から変な匂いでもするのかー?」
そう言って僕に近づいてくるとクンクンと匂いを嗅ぐ仕草をした。
「美味しそうな匂いじゃないかー」
どっとクラスが笑いに包まれたけど、僕はまったく面白くなかった。暗に太っている事をイジられただけだ。この先生に悪気はないのだろうけど、笑いを取るために度々僕を揶揄うような発言をした。
「ほらほら、ちゃんと席を戻せ」
先生が僕の周りの生徒に指示をすると、みんな渋々元の位置に席を戻した。しかしその表情は苦渋に満ちていて、なんだか逆に申し訳なかった。
先生は満足そうに教壇に上がる、きっと日常の瑣末な問題を、ジョークを交えて解決した気の利いた教師だとでも思っているのだろう。生徒一人を犠牲にしたお笑いで人気取りをするこの担任が、僕は前から嫌いだった。
もともと仲の良い友達なんていなかった、けれどこの先生になるまではクラスのおとなしい生徒として、ひっそりと過ごしていた。
『立派な体格だなぁ、めざせ両国国技館』
『田村の腕はチャーシューみたいだな、糸で縛ってもいいか?』
『給食係、田村は大盛りにしないと放課後までもたないぞ』
こうしてすっかりデブキャラが定着すると、クラスメイト達が僕を段々と軽んじてきた。コイツはイジっていい人間なんだ、だって先生がそうしているのだから。そうしてイジりと称したイジメは次第にエスカレートしていって、ついには昨日のような直接的な行動に発展する。
休み時間も好奇の目に晒されるのが耐えられなくなってトイレに向かった。別に尿意はもよおしてないけど、教室に一人でいたくなかった。
教室を出ると隣のクラスから園部先生が出て来た。心臓がヒュッと持ち上がる。先生もあの動画を見たのだろうか。僕に気がつくと先生は笑顔で手を上げてコチラに向かって来た、慌てて視線を逸らす。
「弥太郎くん。ちょっと聞いてよ。昨日のお墓なんだけどさ、アイスの棒なんて刺したから他のアリが沢山集まって来ちゃってね、なんか参列してるみたいなの、凄くない? それでね――」
「すみません、トイレに」
僕は園部先生の言葉を遮って歩き出した、先生は目を丸くしていたけど、すぐに「いってらっしゃーい」と呑気な声を出した。おそらく動画は見ていない。それもそうだ、あんな物を大人が見れば誰が撮影したのか、なぜそんな事をしたのか質問される。後藤くん達だってそれは本意じゃないのだろう。少しだけ安心した。
「よーし、じゃあ三人一組になってくれ。男女混合でも良いぞ、おっと女二人に男一人はダメだ、ハーレム禁止」
理科の授業中に菅谷先生が言った。僕には入るグループがない。いつも人数が足りない所に無理やり押し込められるだけだ。今日も黙って顛末を待っていた。
「弥太郎、組もーぜ」
俯いて存在感を消していると頭上から声をかけられた、名前を呼ばれたのに、それが自分の事だと理解するのに数秒かかる。ゆっくりと顔を上げると後藤くんと鎌田くんが目の前に立っていた。
「え?」
なんで? とは聞かなかった。
「友達だろ? 俺たち」
と鎌田くん。
「ああ、俺たち約束は守るぜ」
後藤くんが胸を張って言う。
約束、昨日の嫌な記憶を思い出した。でも、おかげで友達が出来た。もしかしたら、ちゃんと供養したのを神様が見ていて、ご褒美をくれたのかも知れない。なんて都合のいい想像をしてみる。
「よろしくな」
二人はこぶしを軽く突き出した、僕は遠慮がちに自分のこぶしをコツンと当てる。
「斉藤は〜、江口の所に入れてもらえ」
菅谷先生が一人余っていた生徒を人数が足りない所に押し込んだ。いつもは僕の役割だったけど、今日からはクラスで二番目に存在感が薄い斉藤くんの役目になりそうだ。胸の奥がズキンと痛んだ。
放課後になり帰る準備をしていると、教室の中をキョロキョロと伺う怪しい人影があった。園部先生だ。先生は僕を見つけるとパッと笑顔になって、小走りで近づいて来た。何をやってもトロイ僕は帰るのも一番遅い、教室に他の生徒はもういなかった。
「おあつらえ向きね」
先生はそう言って不敵な笑みを漏らすと、ポケットから何かを取り出して僕に見せる。何かの御守りみたいだった。
「これは弥太郎くんを護ってくれる優れものだから、先生からのプレゼント」
「え?」
一瞬、困惑した後に喜びが押し寄せてきた。人気の先生に特別扱いされたような優越感。「ありがとうございます」と言って受け取り、ランドセルの横に括り付けようとした。誰かに質問された時に園部先生から貰ったと言えるように。
「あ、だめ」
だけど、すぐに先生に静止された。
「先生から貰ったのは内緒にして欲しいの、ほら、贔屓してるって思われちゃうでしょ? だからランドセルのココに入れて、二人だけの秘密」
そう言って御守りをランドセルの冠裏、時間割が入っている場所に差し入れた。これじゃあ表からは見えないけど園部先生の言う事には納得した。
確かに自分だけ御守りを貰ったら他の生徒は面白くないだろう、それに二人だけの秘密はなんだかドキドキした。
「分かりました、ありがとうございます」
園部先生はうんうんと頷いて目を細めた、若くて綺麗な先生だけど、お母さんみたいな優しい顔をする人だった。
ランドセルを背負って帰ろうとすると入り口から人影がサッと消えた。気のせいだろうか、じっとその先を見ていると園部先生が「どうかした?」と聞いてきたので「何でもありません」と言って歩き出した。
最初のコメントを投稿しよう!