田村弥太郎⑩

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田村弥太郎⑩

 がらんとした図工室に僕は連れて行かれた、向かいには菅谷先生と教頭先生、横には後藤くんと鎌田くんが座っている。今何時だろう、お腹空いてきたな。 「翔、田村が動画を撮影したのはお前だって言うんだがそうなのか?」 「僕が? 何のためにそんな事をするんですか」  後藤くんは真っ直ぐ姿勢を正して菅谷先生に質問した。 「あ、いや、田村がそう言うから」  バツが悪そうにして僕を顎でしゃくる、どうしてこんなに気を使うのだろうか。成績が良いから? 運動が出来るから? 親がお金持ちだから? 確かにそのどれも僕は持っていなかった。 「あの投稿サイトは本人たちが目立ちたい為に、過激な動画を上げていて社会問題になっています。個人が海外のサーバーを使って運用してるから中々捕まらないみたいですけど、田村くんも日頃の鬱憤が溜まってストレス解消の為に、つい出来心でやってしまったのでしょう、許してあげてください、な?」  スラスラと台本を読み上げるように言葉をつなげると、後藤くんが僕の肩にポンと手を置いた。 「先生、僕たちが撮影したとしてどうやるんですか? まさか今からオナニーしろと命じたとでも、ハハッ。ありえませんよ、それにあの動画の田村の表情見ましたか? メチャクチャ興奮してましたよ、橋本瑠璃菜で」  今度は鎌田くんが俳優のように大袈裟な手振りを交えて説明した。 「あ、ああ、まあ、そうだよな」  そうなのか、あの動画は僕が自分で撮影して、自分でアップしたのか。そうなんだ、別にそれで良い。早く帰りたい。 「田村、そうなのか?」 「はい」 「田村〜、先生情けないぞ。いくら目立たないからってこんなやり方は卑怯じゃないか? 橋本が可哀想だと思わないのか。すぐに消してくれるな?」 「……」  早く、早く帰りたい。早く僕を解放して。しかし僕の願いとは裏腹に、菅谷先生はお母さんを学校に呼び出すと言い出した。それを聞いた教頭先生が一瞬ギョッとしたのを見逃さなかった。  僕はやっていません――。  そんな簡単な事を僕は誰にも言えない、だってどうせ誰も信じてくれないから。後藤くんたちの方が正しい、みんな言う、世界中の人が言う。そう、お母さんだってきっと言う。だから僕は言わない、言えない。でもそれで良い。もう疲れた。田村弥太郎で生きていく事に疲れた。価値の無い人間に居場所なんてない、この先もずっとない。それはきっと生まれた時から決まっていて、そうなる運命なんだと思う。誰からも信用されない、誰からも疎まれる、誰からも愛されない。  そんな惨めな人生――。 「ごめんなさい。僕……死にます」  ふらりと席を立った僕をみんなが茫然と眺めている、壁際に固定された道具入れを開けると、鋏や彫刻刀が入っていた。なるべく尖った鋏を手に取って幽霊のように図工室の出口に向かう、すると勢いよく目の前の扉が開かれた。あまりに勢いが良くて跳ね返り、閉まりかける扉を園部先生がガッと両手で掴む。ハァハァと荒い息遣いで目が真っ赤に充血している。その瞳が僕の虚な目を捉えてから、握りしめた鋏に落ちた。 「弥太郎くん!」  直立不動で固まる僕の手から、強引に鋏を奪い取った先生はツカツカと歩いて後藤くんたちの前に立ちはだかる。持っていた鋏を木の机に放り投げた。 「お前がやったんだろ?」  低く、それでいて教室内に響き渡る声だった。 「園部先生! 田村が自分でやったと白状しましたから」 「馬鹿かテメーは!」  肩だけ後ろを振り返り菅谷先生に言った。先生は目を見開いたまま固まってしまう。園部先生が再び後藤くんに向き合う。 「お前らだろ、早く消せ、今、この場で」 「ちょっと先生、僕たちが何でそんな事をするんですか?」  後藤くんが肩をすくめた。 「そうですよ、言い掛かりはやめてください」  鎌田くんはニヤニヤと下卑た笑みを隠そうともしないで言った。すると、園部先生は右手を大きく振りかぶって左足を上げた。野球のピッチャーのように大きく反動をつけながら腰を捻ると次の刹那、先生の拳が後藤くんの顔を吹き飛ばした。背もたれのない椅子に座っていた後藤くんは二、三メートル後ろまで吹き飛ばされた。びっくりして椅子ごと後ずさる鎌田くんの髪を無造作に掴むと、そのまま木のテーブルに顔面を叩きつける。「ゴッ」という音が静かな教室に響き渡った。 「ちょ、園部先生!」  駆け寄ってきた菅谷先生に向かい、またピッチャーのように大きく振りかぶると、その拳はまるで鞭の先端のようにしなやかに顔面にめりこんだ。弾けたように後方に吹き飛ぶ菅谷先生が、スローモーションのようにゆっくり見える。 「クズが!」  園部先生が吐き捨てると、テーブルをよじ登り後藤くんの元に向かう。まるで真っ直ぐにしか進めない殺人マシーンのようでカッコよかった。 「お前なんだろ?」  鼻血を出して怯える後藤くんの胸ぐらを掴んで問い詰めると、あまりの恐怖に耐えかねるように彼は泣き出した。それでも園部先生は容赦がない。平手を二発打ってから、「はやく消せ、今ここで消せ」と呟いた。  後藤くんはうんうんと頷いてポケットからスマートフォンを取り出す。あまりの恐怖からか失禁して床が黄色く濡れていた。そこでようやく先生から解放された後藤くんは泣きながらスマートフォンを操作していた。数分後に画面を先生に見せながら「消しまひた」と訴えた。頭が良くて、大人っぽくて僕なんかとは違う世界にいると思った後藤くんに、少し親近感を覚えたけど、園部先生は最後にもう一発平手打ちをおみまいした後に「今のは瑠璃菜の分だから」とシレッと言った。 「あ、あの、園部先生……」  僕が近づくと先生はしゃがんで、思い切り僕を抱きしめてくれた。それは痛いくらい強い力で、まるで僕の体から魂が抜け出てしまわないようにキツく抱きしめているみたいだった。どうしてだろう、僕は涙が止まらなかった。もちろんそれは苦しいからじゃない。優しくされても人は涙が出るんだって、僕はもう知っていたから。
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