陸人と弥太郎

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陸人と弥太郎

「大丈夫、ただの熱中症だと思うわ」  小野崎のおばさんは、そう言って弥太郎に水をたっぷり飲ませてからベッドに寝かせた。弥太郎は額に冷たいタオルを載せたまま遠くを見ている。  こんな場所に弥太郎がいたことにも驚いたけど、コイツは血の気の引いた青白い顔で呟いたまま、膝から崩れ落ちるように倒れてしまった。玄関先からその様子を見ていたおばさんがすぐに駆けつけてきて、弥太郎を介抱してくれたので助かった。 「陸人……」  起き上がろうとする弥太郎を、おばさんが「少し横になっていたほうがいいわ」と言って制した。 「お兄さんかしら?」 「え? ああ、はい、そうです」  答えるとおばさんはニッコリと微笑んだ。俺たちの関係を他人に説明するのは困難だ。不本意だけど、とりあえずは兄弟だと言うことにしておいた。 「フルーツ切ってきて上げるから、ちょっと待っていてね」  そう言っておばさんは立ち上がり部屋を出ていった。  「すみません、ありがとうございます」   遠ざかる背中に蚊の鳴くような声で呟くと、おばさんは振り返ってまた微笑んだ。 「弥太郎どうして……」   どうしてこんな所に、と聞こうとして口を閉じた。そんな事はどうでもいい。 「陸人……僕、忘れていたんだ、ついさっきまで……。園部先生のこと」    「ああ」   知っている、だからこんな所までヒロの痕跡を探しに来たのだ。 「先生に助けられた事も、先生との思い出も、先生が死んだことさえ」 「ああ」   俺も忘れてた、どうしてだろう。ヒロは死んだ。もうこの世にはいない。 「僕たち、すみれ荘で……」 「ああ」  確かに俺たちは集団自殺した。      ――七月二日(日)    もうどうでも良かった。ヒロの突然の死は、両親が一変にいなくなってしまった時とはまったく違う、異質の虚無感を俺に与えた。両親が死んだ時、ヒロが必死に俺を励ましてくれたのを、今更になって思い出す。もちろん悲しかった、でもたった一人残された姉ちゃんを困らせたくない。何よりも、男の俺がしっかりしなければと、小学生らしからぬ使命感のような気持ちさえあった気がする。  もう無理だ――。  いなくなって初めて、自分がどれだけヒロに依存していたのかが分かる。それはすみれ荘の住人全員に当てはまるのかも知れない。  最初に自殺したのはメガネさんだった。浴槽の中で手首を切って、ぐったりとしている所を姫が発見して一命を取り留めた。次にママが睡眠薬を飲んで自殺を図った。救急車で運ばれてなんとか助かったけど、「もういいって……」と病院のベットで呟いたママに勇気づける言葉を言える人間なんて一人もいなかった。 「みんなで七海さんの所に行かない?」  そう提案したのは彩ちゃんだった。このままじゃ遅かれ早かれ順番に自殺していくのは明白、だったらみんな一緒に天国にいるヒロに会いに行こう。それはなんだかすごく魅惑的な提案で、俺たちは久しぶりに笑顔を取り戻した。 「飛び降りは?」  弥太郎が提案する。 「ええー、痛いのはヤダなあ」  姫が返す。 「高層階からの飛び降りは、途中で気を失うから痛みはないのよ」  ママが豆知識を披露すると、みんなが感心した、 「ヒロと同じように車に轢かれるってのはどう?」  両親も車の事故だった、だから俺も。 「相手に迷惑が掛かる上に、確実性にかけるんじゃないかしら」  彩ちゃんが珍しくマトモな事を言っている。  まるで文化祭の出し物を決めるような雰囲気で、俺たちは自殺の方法について議論した。結局は確実性があって、眠るように死ねる練炭自殺に落ち着いたのは五時間後だ。  むかし、有名なミュージシャンが日曜日に深夜のお笑い番組を見て、自殺を考え直したと言っていたのを思い出し、テレビを付けた。今日はちょうど日曜日だ。俺たちはまだ火の付いていない練炭を囲みながら、そのミュージシャンが見た番組を見つめた。めちゃくちゃ面白い回で、みんなゲラゲラ笑っていた、俺も腹の底から笑った。でもその番組が終わると同時にリモコンでテレビを消して、誰がともなく言った。 「さぁ、いこうか……」  みんなが首だけで頷いた。  来るはずがない、七月三日の月曜日。俺たちはなぜか生きていた。大切な人の記憶と引き換えに。
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