園部七海③

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園部七海③

 通夜とお葬式はあっという間に取り行われていった。敢えて忙しくする事で故人への悲しみを紛らわすのだと聞いた事がある。私はその様子を傍で見つめながら今だに半分夢の中にいるような気分で自らの葬儀を眺めていた。虚空さんはその間もずっと私の側にいる。まるで保護者のようにそっと。  喪主は最年長のママがやってくれた、実際のところ年齢は不詳だけど人生経験が長いのが分かる。テキパキと、場を仕切っていた。綾子と姫はずっと泣き腫らしていて、つられて弥太郎くんも泣き始めた。メガネさんと陸人は黙って俯いたまま微動だにしない。でも昨日の夜ベッドで啜り泣く陸人を見た時には胸が痛くなった。  参列者の中にはあの時の親子がいた。女の子は肘に絆創膏を貼っていたけど、とても元気そうで何よりだ。焼香の時に母親が泣きながら「ありがとうございます、ありがとうございます」と呟いていた。  不思議そうにお母さんを見上げる娘に「里奈ちゃん、命の恩人なのよ、お礼を言ってね」と言われ「お姉ちゃんありがとう」と元気に右手を上げた。横断歩道を渡った時と同じように。それを見て私はこの子を救えて良かったなと心の底から思えた。本当に。 「虚空さんはもう長いんですか? このお仕事」  何となく無言の空気感に耐えきれずに話しかけると軽く私を一瞥した後、いつもの様にタバコに火を付けた。先端がポッとオレンジ色に光る。 「自分は人に気ぃつこてばっかりやなぁ、そんなんやから依存されんねん」  別に気を使ったわけじゃないけど、何となく非難された気がして何も言い返せなかった。確かに言われてみたら他人に干渉しすぎるきらいがあるのは自分でも自覚している。  昔からそうだった。捨て猫や捨て犬はすぐに拾ってきちゃうし、クラスでイジメがあれば何がなんでも解決するように動いた。その結果イジメの対象が自分になる事も往々にしてあったけど誰かが酷い目にあってるよりもずっと良かった。正義感からの行動じゃないと思う、単純に悪い奴が許せない、ムカつく。そんな感情だった。だからイジメっ子には暴力も厭わないし、やられたらやり返す。倍にして。  遺影の中の私は穏やかに微笑んでいた。いつの写真だろうか。きっとメガネさんが用意してくれたに違いない。本来なら彼が喪主を務めたかったと思う、でも私たちの事はみんな知らないから。もしかしたら永遠に秘密のままかも知れないけど。 「ほいで願い事は決まったんか?」  軽く咳払いをした後に虚空さんが質問してきた。先程の突き放した態度を挽回するような感じで。意外と気にしいなのかも知れない。なんだか可愛かった。 「うーん。サッパリ思いつかなくて、差し支えなければ他の方がどんな願いをしたか教えてもらえませんか?」  これから成仏していく人間が一体どんな願いをするのか興味があった。少なくとも私には何も思いつかない。 「そんなん人それぞれやな、美味いもん食いたいとか、海外に行きたいとか、生前隠しとったエロ本を処分したいとか」  意外にも俗的な願いに内心ホッとした。そんなんで良いんだ、と。 「自分は隠したエロ本とか平気なん?」 「あるわけないでしょ、そんなもん」 「お、ええやん、タメ口でいこうや、他人行儀なの苦手やねん」  そう言って笑う虚空さんはまるで、近所のお兄ちゃんみたいで親近感を覚えた。なんだか安心する。  それから私は自分が火葬される所を見送った。肉体が無くなって煙になった事で本当に自分が死んでしまったのだと実感すると、ようやく深い悲しみが追いついて来た。  もう二度とみんなと話せない――。  陸人は大丈夫だろうか、まだ中学生の彼は両親だけでなく姉まで失った。たった一人の家族がいなくなりこの先どうなってしまうのか。陸人だけじゃない、弥太郎くんも、姫も、綾子も、ママも、メガネさんも。菫荘の人達はみんな何か心に傷を負っている。それでも前を向いて歩き出した。希望の光に向かって。 「自分、学校の先生やったんやな」  誰もいなくなった葬儀場で虚空さんが何やら紙の束をめくって見ている。どこから取り出したのだろう。 「あ、うん、まあね」  せっかくタメ口で良いと言うので甘える事にした、実は敬語は苦手だ。堅苦しい。 「すぐに辞めとるやんけ」  どうやら私の略歴が紙の束に書かれているようだ。虚空さんは興味深そうに視線を私に向けた。 「生徒をぶん殴ったら首に……」 「なんでやねん!」  おお、初めて聞いた生のナンデヤネン。 「イジメをしてたから制裁を」 「めっちゃ体罰やん、そーゆーのは言葉で諭したりするちゃうん?」 「いや、でも絶対にあいつら大人になったら昔のいじめ自慢とか飲みながらするじゃん。あの頃は若かったなあとか言いながら。でも、ぶん殴られておしっこ漏らしたら人には言わないでしょ」 「せやな、思い出したくもないやろ。トラウマなるわ」 「良い思い出になんてさせない」  嫌いだった。喧嘩が強いだとか頭が良いだとか、自分たちで勝手にスクールカーストを作ってその頂点にいるのが自分だと疑いもしないような連中が。小さなコミュニティで大した事のない能力をひけらかしては他人を見下して悦に浸る。こういった連中は大人になっても変わらない。会社、ママ友。小さな世界でのさばっている。その陰で不遇な扱いを受けるのはいつだって気が弱い優しい人達だ。 「そーいえば私を轢いた奴はどうなった?」  あのおやじ絶対に居眠りしていた。 「ピンピンしとるわ」 「くっそー!」  反射神経には自信があったけど流石にあれは避けきれない。 「復讐するか?」 「え?」 「願い事でアイツを殺したってもええんやで」 「いやいや、あんた神様なんでしょ。殺したらダメでしょ」 「それが自分の願いならしゃあないわな、それに……」  虚空さんは呆れたようにため息を吐いた。 「それに?」 「あのオッサンはもう終いや。半年前にも居眠り運転で事故っとる。執行猶予中やから今回で実刑やな。あの年じゃあ出所しても仕事はないやろ、もう人生詰んどる」 「そっか……」 「復讐するか?」 「あのおじさんが刑務所から出てきたら仕事をあげてくれないかな。車に乗らないやつで」 「は? なんて」 「出来ないの?」 「アホか、そんなん朝飯前や。それより自分を殺した奴になんでそないな事すんねん」 「あの人、子供いるよね」  スローモーションで目の前に迫った車のバックミラーには可愛いキャラクターが付いた御守りがぶら下がってた。あのおじさんの趣味とは思えない。 「ちょい待ち」  虚空さんは持っていた資料をパラパラとめくり出した。そんな事も記載されているのだろうか。改めて目の前にいる男に奇異な視線を送る。するとめくっていた手がピタリと止まった。 「あったあった、コレやな。えー、三村さとし、四十三歳。六歳の子供がおるな、何でわかってん?」  私がフロントガラス越しに御守りを見た事を説明すると「動体視力えぐっ!」と軽く引いていた。 「居眠りするほど疲れてたんだよ、お父さんは大変だよね」  虚空さんは呆れたように私のことを一瞥すると再び資料に目を落とした。 「委託配送やな、運んだ荷物の数で給料が決まるからアホみたいに働いとるわ。最近は何でもネットで注文するから大変やなぁ」  便利になる一方で不幸に見舞われる人間がいる。誰かの不幸の上に人の幸せは成り立っている。社会的弱者に世の中は冷たい。そして私には何も出来ない。 「よろしくね」 「ああ、自分がええならしゃあないわ。ほんじゃ残りの願いは六つやで」 「うん、ありがとう」  その日を境に、いや。正確には私が死んでからみんなの生活は一変した。元に戻ったとも言える。目から光を失い自分の存在価値を疑うような哀しい瞳。出会った時のような投げやりな生き方は、この世界に絶望した人間が発する負の連鎖を生み出す事しかなかった。    だからお願いした。  少し寂しいけれど。  死んだ人間なんて忘れて前を向いて生きて欲しいから。  「虚空さん、みんなの記憶から私を消して……」
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