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後藤 翔⑤
「ナポリタン大盛りお待たせ〜」
好々爺が馬鹿でかい皿に盛られたスパゲッティを橋本瑠璃菜の前に置く。ものすごい量だ、まさか彼女一人で食べるのだろうか。
「きたきた、いただきまーす!」
橋本瑠璃菜は躊躇なくフォークを握りしめて、くるくると器用にスパゲッティを巻いて食べ始めた。その光景を俺たちはただ茫然と眺めている。皿に盛られた大量のスパゲッティは、見る見るうちに彼女の胃に収まっていった。一体この細い体の何処に収納されるのだろうか。
「真田くん、一口食べる?」
橋本瑠璃菜がフォークに巻かれたスパゲッティを真田の眼前に突き出した。その瞬間、カウンターの方から『ガタンッ!』と何かがぶつかるような音がしたが、そこには誰もいなかった。マスターはトイレにでも行ったようだ。
「と、と、とんでもない。姫の食べかけを拙者が口にするなど、言語道断でござる!」
真田は顔を真っ赤にして拒絶した。ふっ、間接キスくらいで動揺しやがって、ガキが。するとそのフォークの先がスッと俺の前に移動してくる。
「後藤くんは?」
「ば、ば、ば、ば、イラネっすよ」
何を言っているのだ俺は、ぜんぜん言葉にならない。意味不明な事を口走ってしまった。
「ふーん、美味しいのになぁ」
悪戯っぽく笑う彼女を見て確信した。
この女、俺に気がある――。
何も珍しい事じゃない、頭良し、ルックスよし、将来性抜群の俺に好意を抱く女は沢山いた。きっと橋本瑠璃菜もその一人だったのだ。クラスは違えど、いや、違うからこそ余計に燃え上がる恋心、何度も告白しようとチャレンジするも、最後の勇気が出てこない。躊躇しているうちに小学校を卒業、ロミオとジュリエットは引き離されて永遠の別れを余儀なくされた。
諦めきれないジュリエットは何とかロミオを探そうと奮闘する。しかし、中高生にできる事なんてたかが知れていて、その消息をつかむ事は叶わなかった。
ジュリエットは考える、二人が一つになれる道を。そして閃いた。自らが表舞台に立つ事でロミオに見つけてもらおうと。ジュリエットの作戦は功を奏す。そして二人は五年の時を経て再会することになった。
人探しをしてるの――。
つまりこの俺を探していた、そう言う事だったのだ。
「ごちそうさま〜」
妄想に耽る間に橋本瑠璃菜は全てを平らげていた。氷の溶けた水をグイと飲み干すと、彼女は再び身を乗り出してきた。
「アイドルをやってれば、いつか向こうから見つけてくれると思ったの」
「向こう?」
真田がキョトンとしながら呟いた。察しの悪い野郎だ。俺だよ俺。
「初恋の彼、よ」
『ガタンッ!』
またカウンターの方から音がしたが、やはりそこには誰もいない。マスターは入口近くの席でタバコを吸いながら新聞を読んでいる。
「初恋でござるか?!」
目を見開いて驚く真田。
「そうでござる……よ」
真田に合わせる橋本瑠璃菜。
「ちょっとはテレビ出たりする様になったのにさ、全然会いにきてくれないの……」
済まなかった瑠璃菜。お前の気持ちにもっと早く気が付いていれば。
「嫌われちゃったのかなぁ」
そんな事はないぞ。俺はこんなにも君を愛している。それに気付かせてくれた。ありがとう。瑠璃菜。
「姫の初恋はいつでござるか?」
真田が前のめりになる。
「小三でござる」
ふーん。そんなに前から俺の事がねえ。まあ、あの頃の俺はガキだった。気が付かないのも無理はない。
「で! 後藤くん」
橋本瑠璃菜はさらにグイッと前のめりになって顔を近ずけてきた。息がかかりそうな距離に心臓が飛び出しそうになる。
「お願い!」
おいおい、いきなり愛の告白か。まあここまで遠回りして来たのだから仕方ないか。受け入れようじゃないか瑠璃菜。
「俺で良ければ付き合ってやるよ」
「本当に?!」
瑠璃菜は目を輝かせて両手を胸の前で組んだ。
「条件がある」
「なになに?」
「アイドルは辞めてもらう」
俺だけのアイドルになるのだから当然だ。
「全然やめる!」
罪な男だぜ。みんなのアイドルを独り占めしちまうなんてな。
「で。どこにいるの?!」
「はい?」
「弥太郎くん、田村弥太郎くん!」
タムラヤタロウ? もちろん、その名前を忘れるはずもない。俺がぶん殴られたキッカケを作った奴だ。しかし、瑠璃菜から発せられたその名前がアイツと関連付ける事が出来なくて頭が混乱する。
「同じクラスだったからもしかしたらと思ったの。何度か一緒にいる所も見かけたしさ」
「弥太郎とは渋い名前でござるな」
「でしょ? まぁるくて可愛いの」
まぁるくてカワイイ。フルスピードで記憶を巻き戻して、田村弥太郎の事を思い出す。小太り、以上。それ以外の身体的情報が思い浮かばない。
「で、翔はその弥太郎殿の連絡先を知っているのでござるか?」
真田に問われて現実世界に舞い戻された。同時に怒りにも似た羞恥心が腹の底から込み上げてくる。あんな雑魚に、スクールカースト頂点の俺が、あんな下民に負けただと? ふざけるな。
「翔?」
「――るかよ」
「え?」
瑠璃菜が訝しんで俺を見つめてきた。
「そんな雑魚の連絡先を俺が知るかよ!」
「翔?」
「冗談だろ瑠璃菜? お前とあの小太りじゃランクが違うだろうが。なんだ? ドッキリかこれ」
俺は立ち上がって瑠璃菜の華奢な肩をテーブル越しに両手で掴んだ。彼女が「痛っ」と小さく悲鳴をあげた刹那、カウンターから人影が現れた。赤いチェックの塊が飛び出してきて一気に間合いを詰めてくる。瑠璃菜を掴んでいた腕をあっという間に捻り上げられて、関節を決められた。物凄い力でなす術もない。
「イダタダダダ!」
「貴様、姫に触れたな。死罪だ」
後ろから耳元で呟きながら、右腕をギリギリと捻りあげられた。
「折れるって、折れ……」
「織田くん、ハウス」
「しかし姫」
瑠璃菜がもう一度命じると、チェックシャツの力がふっと抜けた。俺は脂汗をかいて椅子に倒れ込む。奥に座る真田はアワアワするだけで言葉を発っすることも出来ないでいる。ボディガード失格だ。
「後藤くん?」
瑠璃菜は先程までの笑顔を剥ぎ取り、能面の様な顔で俺を見下ろしていた。
「田村弥太郎くんの連絡先や居場所は知らないの?」
「知るかよ! 俺がなんであんな豚の、レベルがちげんだよバカ」
俺は座り直して姿勢を正し。精一杯の虚勢を張った。チェックシャツが「口の利き方に気を付けよ」と俺の頭を引っ叩いてきたから、軽く睨みつけると鼻に拳がめり込んだ。目の前が暗くなり、涙が出たが鼻血は出ていないようだ。
「何なに、仲間割れ?」
マスターが新聞越しに、興味なさそうな口調で聞いてきた。
「ごめんね、大丈夫だから」
瑠璃菜が答えるとマスターは再び新聞に目を落とした。大丈夫じゃねえよ、立派な傷害だろ。
「知らないんだったら、あなたになんて用が無いわ、さっさと帰りなさい」
瑠璃菜は汚物でも見るような嫌悪感を滲ませた目で俺を見下ろしている。先程までの彼女と同一人物とは思えない有様だ。何か言い返したいが、その瞬間にチェックシャツから暴行されそうなので我慢した。悔しさと恥ずかしさでブルブルと震えながら立ち上がり、出口に向かう。
「あんた、馬鹿みたいにホイホイ待っててさ、まさかなんか期待でもしてた? うんこ漏らしのくせに気持ちわるっ!」
背中にかけられた罵声にカッと頭に血が昇る。こんなど底辺の奴らに恥をかかされたのは初めてだ。ワナワナと震えながら扉に手を掛けた。
「ちょっと、お代」
マスターが新聞を読みながら右手を差し出してきた。
「いくら?」
「五千円ね」
高っか――。
俺は財布から一万円札を抜き取るとテーブルに叩きつけて店を後にした。その程度の反抗しか出来ない自分に歯噛みしながら夜の街を歩いて帰った。
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