後藤 翔⑥

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後藤 翔⑥

「父さん、株を覚えたいんだけど三百万円ほど貸してくれないかな?」  珍しくリビングで晩酌をしていた父に懇願した。答えは分かっているが、流石に額が多過ぎるので不安だった。 「なんだよ藪から棒に、まあ良いだろう。お前なら運用できそうだしな」  優秀な息子に頼られる事がよほど嬉しいのだろう、父は破顔しながらワイングラスを傾けた。 「サンキュ」  それだけ言ってリビングを後にする。背後から「一杯付き合えよ」と声をかけられたが、聞こえないフリをして二階に上がった。   ――許せねえ、許せねえ、許せねえ、許せねえ、許せねえ、許せねえ。ぶっ殺してやる。俺を舐めた事を後悔しろ。あのくそ女!    自分の部屋に入り、デスクに置かれたノートパソコンを広げて『ゴーストチャット』のアプリを立ち上げた。ゴーストチャット、通称GCは無料のメッセージアプリだが、いわゆる『消える系』と呼ばれるメッセージを残さないタイプの通信手段で、お互いのやり取りが自動的に削除されて履歴に残らない。十代の利用者は多く、その理由は万が一メッセージを第三者に覗かれてもトーク内容が消えているので、流出を防ぎ精神的に安心するといった所が人気の秘密だ。  しかし、現実には不倫や犯罪のやり取りに多く利用され重宝されている。証拠を残さないと言う点でもGCはもはや、反社会的組織に無くてはならない存在だ。海外の会社が運営している点も大きなメリットで、例え裁判所から情報開示請求がなされたとしても、よほどの事件でない限り当該会社からの返答はないらしい。現にこれまでGCがメッセージ内容を開示した事例は一度もない。 『シゴトダ』  グループメッセージは全てカタカナで送る。奴らは頭は良いが漢字が怪しい。 〈コンニチワ ワタシ ヒマ オカネナイ〉  すぐに返信があったのはルース、もちろん偽名だし本名は知らない。 『アルオンナヲラチカンキン レイプシテホシイ』 〈ラチカンキン?〉 『ヒトサライ』 〈キケン ツカマル〉  チッ。不法滞在のくせに警察を恐れるな。いや、不法滞在だからこそか、捕まったら強制送還。日本には二度と来られなくなる可能性が高い。  他人を使うのは小学生の時の反省からだ。いくら隠蔽しても自らの手を汚せば、僅かな綻びから悪事が露呈する可能性はゼロじゃない。あの事件を教訓にして俺は人を使う事を覚えた。考えてみたら現場に出る社長はいない、社員を駒のように操り、自らは涼しい部屋でふんぞり返る。それが俺のような選ばれ人種の正しい生き方だろう。  中二の時、生意気だと言う訳のわからない理由で上級生に殴られた。サッカー部のエースだったそいつに復讐する為、俺は地元からは離れた河川敷にあるホームレスの溜まり場に足を運んだ。日本の底辺と呼ぶに相応しいその場所では、彼らなりのコミュニティが構築されていて、一つの町、いや、村として機能していた。  手土産に酒やタバコ、つまみを大量に持参すると、彼らはまだ幼い俺を歓迎してくれた。 「坊主みてえな、未来ある若者が来るところじゃねえぞ」  スルメイカをライターで炙りながら髭の伸びた老人が説法してくるが、むろん貴様らと同じ人生を歩む気などない。俺は笑顔ではにかんだ。  ホームレス達の中で比較的若くて、腕っぷしが強そうな男に俺は目を付けた。田代と名乗るその男、元は外資系の金融会社で営業マンをしていたと言う。その頃の年収は一千万を超えていたと鼻息荒く自慢していたが、その程度の年収でイキがるレベルの低さに俺は鼻白んだ。 「リーマンショックだ! あれさえなければ俺は今頃……」  カップ酒を煽りながら愚痴をこぼす田代に周りのホームレスも辟易している様子だった。眉唾物の昔話でマウントを取ってくる男に、我慢の限界と言ったところだろう。  コイツを使おう――。  誰にも必要とされない、ホームレスのコミュニティですら疎まれる男、コイツが消えても困る奴はいなさそうだ。翌日、俺は田代のダンボールハウスを訪れた。 「田代さんは、ホームレスで終わるような人じゃありません」  昼間からパックの日本酒をストローで煽る田代は酒臭い息を撒き散らしながら、「あったりまえよ!」と紫の歯茎を見せた。 「しかしながら、現状では住所もない状態でアルバイトすら採用されない」 「そうなんだよ、ハローワークに言ったらまずは住所を構えてくださいだと、それがねえから仕事を探してるんだろーが!」  思い出して怒りが込み上げたのか、田代はパック酒を握りしめて酒をストローから噴射させた。 「そこで相談なんですが……」 「ああ? 相談」  俺は鞄に忍ばせておいた封筒を田代の前に差し出した。 「なんだこりゃ」  田代は封筒の中身を確認して目を剥いた。中には現金が三十万円ほど入っている。俺の小遣いやお年玉の一部だ。 「差し上げます」 「は?」 「そいつで部屋を借りて新しい人生をスタートさせてください」  田代は金魚のように口をパクパクさせている。 「ただ、お願いがあります」  俺が目を見て言うと、顔色に警戒の色が浮かぶ。中学生が大金持参でホームレスにお願い、普通じゃないと察したのだろう。 「ある男の、足の骨を折って欲しいのです」  単刀直入に要求を述べた。 「足の骨って、お前……」  田代は呆然としているが、握った封筒からは手を離さない。 「右足でも左足でも構いません」 「いや、そーゆー問題じゃあ」 「成功報酬であと七十万円、用意します」  田代は再び目を剥いた。 「百万円あれば新生活をスタート出来ると思います、元々能力の高い田代さんなら絶対に大丈夫」  なんて毛の先ほども思わない、どうせコイツは競馬やパチンコに全額突っ込んでホームレスに逆戻りだ。 「でも、いったい誰の?」 「僕の先輩です」  俺は用意していた話をでっち上げた。田代は今、良心の狭間で戦っている。どんなクズでも金を受け取って中学生の足を折るなんて、道徳に反した行為を右から左に受け入れることは困難に違いない。だから理由を、折られるだけの理由を添えてやればいい。 「僕はその人から暴行を受けました」  まあ、これは本当の話だ。 「足を複雑骨折して二度とサッカーは出来ません、ご覧の通り日常生活に支障はありませんが……。僕の夢はサッカー選手でした……」  パタパタっと、尻に敷かれたダンボールを涙で濡らした。俺は俳優でも成功するかも知れない。 「許せないんです、せめて僕と同じ目に……」 「坊主……気持ちは分かるが、そんな事したら警察に捕まっちまうだろう、俺は牢屋はちょっと」 「大丈夫、奴の行動パターンは調べ尽くしています、闇夜に紛れて後ろから金属バットでも喰らわせれば一撃ですよ、田代さんはすぐに柄をかわしてください、元々なんの接点もない田代さんに操作が及ぶ可能性なんてありませんよ、お願いします田代さん! 兄さんしか頼りになる人が僕にはいないんです」  しばらくすると、田代は俯いた俺の頭をポンポンと叩いた。今日は念入りにジャンプーをしなければならない。心の中でため息をついた。 「分かった。わかったよ。まかせろ、でも決して金に目が眩んだわけでね、坊主の仇を討ちてえだけだっぺ」  動揺して方言が丸出しだぞ。なんとか笑いを堪えて顔を上げた。 「田代さん……」 「残りの金は?」  眩んでんじゃねえかよ、モロに。俺はポケットからメモ書きを取り出して田代に渡した。 「僕の連絡先です、首尾が確認できたら落ち合いましょう」  もちろん出鱈目だ。 「了解」 「あの、言いづらいのですが……」 「なんだ、俺とおめの仲だっぺ、なんでも言え」 「骨は一本折る毎にボーナスで十万円追加しますね」  田代は畏怖と軽蔑が混在したような目で、俺を見下ろしただけで返事はしなかった。  しかし結局、田代は俺を殴った先輩の両手両足の骨、右手の小指、左手の指全てを折った。もちろん追加報酬など支払っていないし、田代はすぐ警察に捕まった――、  画面を眺めていると新しいメッセージが入った。グリフィンからだ。 〈ホウシュウハイクラデスカ?〉 『ヒャクマンエン』 〈ワタシガヤル〉  速攻で返信があったのはルース。数分前に芋を引いたくせに現金なやつだ。まあ金で動く人間は信用できる。 〈オマエコトワッタオレガヤル〉 〈ダメダワタシダ〉 〈ワタシダ〉 『シンパイスルナ コンカイハフタリデウゴイテモラウ』  もう少し泳がせても面白かったが、今回のミッションはコンピプレーが大切だ。会う前から歪みあっていたら仕事に支障をきたすかも知れないので早めに止めた。 〈ダメ フタリ ワケマエヘル〉  ルースの返信は秒で来る。 『シンパイスルナ ヒトリヒャクマンエンダ』  すると猫のようなキャラクターがガッツポーズしているスタンプが二人から送られてきた。流行っているのだろうか。まあ興味はないが。 『オッテレンラクスル』  今度は猫が敬礼しているスタンプが二つ送られてくる。馬鹿みたいな顔をしているが憎めないキャラクターだ。無料配布なので、せっかくだから俺もダウンロードした。よろしく、とおじきするスタンプを送ったが、二人からの返信はそれ以上無かった。  ノートパソコンを閉じてキングサイズのベッドに倒れ込んだ。天井を見つめながら橋本瑠璃菜をどうするか考える。本当なら俺が直々に犯してやりたいが、自らの手を汚すなんて言語道断。強姦剤なんかで逮捕されたら、例え未成年でも実刑、少年院は免れまい。  かと言ってルース達にレイプさせて、その動画を海外の動画エロサイトに投稿、日本で拡散っていうのも味気ない。もっと一生のトラウマになるような、そんな圧倒的な心の傷、記憶に深く刻まれるような陵辱行為がベストなのだが。  自分がされたら自殺を考えるほどに屈辱的なこと。目を閉じて数秒、俺はカッと目を見開いて指を鳴らした。パチンッと乾いた音が心地よく部屋に鳴り響く。 「うんこだ!」  俺が受けた屈辱、うんこじゃないけど排泄物を他人の前で放出する行為は、体験した人間にしか分からないが絶大な屈辱感を味わう事になる。並の精神力では耐えきれない辱め、それを動画に撮影して世界中にばら撒いてやる。コレだ!  俺は頭の中で綿密に計画を設計すると、ノートパソコンを開いてGCにアクセスした。あの美しい女が、国籍不明の不良外国人に陵辱される様を想像すると、俺の股間はギンギンに勃起してはち切れそうだった。
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