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園部 七海⑤
スウスウとみんなの寝息が聞こえてくる。私はすぐに扉と窓を開いて換気した。念の為に換気口に貼られたガムテープは剥がしたら「現世のもんにあんまり触れたらあかんで」と注意されたけど止められはしなかった。
みんなの顔を順番に見た、穏やかな寝顔はとても自殺を図った後には見えなかった。それだけ精神的に追い込まれていたのかも知れない。私という存在を大切に思ってくれていたみんなの気持ちは嬉しい。でも結果としてそれが彼らを苦しめたのだとしたら……。
私という存在は彼らの薬であり、毒でもあったのだろうか。
虚空さんは陸人の前でしゃがむと手のひらを陸人の額に当てた。目を閉じて数秒、虚空さんは立ち上がり隣に座る弥太郎くんの前で同じように手のひらをかざす。それが私の記憶を消す作業なんだと分かると、胸の奥がギュッと傷んだ。みんなと過ごした日々が、出会いが、私の存在が消えていく。
みんなごめんね――。
もう少しみんなでワイワイ暮らしたかったな。引き寄せ合うように出会った菫荘で。
「終わったで、ほなそれぞれの部屋に運ぼか」
「神様なんだからパッと瞬間移動とか出来ないの?」
「それが願いなら出来るで」
「えー、じゃあいいや」
なんだかんだで虚空さんはみんなを部屋から運び出すのを手伝ってくれた。巨漢の弥太郎くんは二階まで運ぶのに苦労したけどなんとか全員、無事に運び終えた。
これで明日の朝、起きたらみんなの中で私の記憶は無くなっていて、おだやかな日常生活が再開するだろう。それで良い。生きている人たちが死んだ人間の後を追うなんてあってはならない。私は二段ベットの梯子を上り穏やかに寝息をたてる陸人の髪にそっと触れた。
「ほな、あとは自分の荷物を残らず片したらしまいやな、まあこれは記憶を消す願いの一部って事でサービスしといたる」
「ありがとう……」
声が震えた、いつの間にか涙が溢れてた。自分が死んだと理解した時にだって出なかった涙が止まらない。人は誰かと繋がって生きている。記憶を消すという事はその繋がりをぷっつりと切断するのと同じ事だ。みんなの中に園部七海はもう存在しない。そう考えると嗚咽が止まらなかった。
「ちょっと夜風にあとーてくるわ」
虚空さんの声を背中で受け止め、振り向かないで頷いた。震える肩をみて察してくれたんだと思う。神様にまで気を使わせてすごく申し訳ないけど、私はその場でずっと泣き続けた。夜が明けるまで。ずっと……。
勢いよく目覚まし時計が鳴ると綾子はむくりと上半身を起こして辺りを見渡した。一瞬、私と目が合った気がしたけど気のせいだろう。気だるそうにベットから這い出ると目を擦りながら部屋を出て階段を降りていく。
「珍しいな、いつも最後まで寝てるのに」
私が呟くといつの間にか隣でタバコを吹かしている虚空さんが紫煙を天井に向かって吐き出した。
「少しだけ記憶を書き換えた」
「え?」
「自分がいなくなるだけやと矛盾が生じるやろ、今まで作っとった食事、家計の管理、責任の所在うんぬん」
「ああ、そっか」
「食事はあの姉ちゃんが今まで作ってた事にする、それが、自然やろ」
「うーむ、綾子かぁ……」
ど天然の綾子で大丈夫だろうか。一抹の不安を覚えながら私は彼女を追いかけて一階に降りた。
「ふんふんふーん」
キッチンに入ると綾子は鼻歌混じりで目玉焼きとベーコンを焼いていた、昨日の晩に自殺を図ったとは思えない。そして手際も、まあ悪くない。
「ほら朝ごはん出来たよー! みんな起きてー」
二階に向かって綾子が叫ぶ、ガタガタっと起きる気配がすると踵を返してキッチンに戻っていく、途中テレビのリモコンで電源を入れると焼き上がったパンをテーブルに並べ出した。
最初に降りてきた陸人が気だるそうに椅子を引いて真ん中の席に座った。誰がここ、と決めたわけでもないのにいつの間にかみんなの指定席は決まっていた。ちなみに私は長方形のダイニングテーブルのお誕生日席。でも今日からそこに食事が並ぶ事はない。
陸人は目玉焼きに箸を入れて丁寧に黄身と白身を分けていく。真ん中がぽっかりと開いた白身を口に放り込んでまんまるの黄身を隣のお皿に移した。
「あ、まーた黄身を残して!」
『本日も梅雨とは思えない晴天で、私も梅雨入りしたとはつゆ知らずに過ごしておりましたが――』
テレビを凝視する陸人の隙をついて隣のお皿から黄身をつまんで陸人の皿に戻した。
「あ、こら、現世の物に触るなっちゅうねん」
虚空さんに怒られていると弥太郎くんが起きてきた。陸人の横に座る。
「もー、ママと姫が起きてこないなあ」
そう言って綾子はパタパタと階段を駆け上がって行った、コンロは付けっぱなしでフライパンを熱し続けている。
「もー! 危ないでしょうが」
私がコンロの火を止めると虚空さんがジロリと睨みつけてくる。触れるな、と。
慌ただしい朝食、まあ私の時もこんな感じだったかな。やっと全員が揃った頃には陸人はすっかり食べ終わっている。
「なんで七人分あるのよ?」
ママの声にハッとした。みんなの記憶から消されたはずの園部七海、誕生日席のその場所にいつもと変わらず朝食が用意されている。私はおもわず口に手を当てて絶句した。
「あれ? なんでだろ」
天然の綾子のうっかりミス、だとしても心の中がジンワリと暖かくなった。もしかしたら遠い記憶の彼方に私はいるのかも知れない。虚空さんもそう言っていた。完全に記憶は消せないと。
四十九日まであと二週間、彼らを見守ってから天国に旅立とう。そんな穏やかな気持ちで迎えた朝は気持ちのいい青空で、まるで新しい菫荘を歓迎してくれてるみたいだった。
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