高遠 誠一郎

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高遠 誠一郎

 すみれ荘のリビングには誰もいなかった。椅子に座りコンビニで買った弁当を、温めもしないでそのまま箸をつけるが、喉を通る異物のように不快で味が無い。いや、味を感じる事が出来ないのだろう。箸を置いてふと天井に目を向けるが二階に人の気配はなかった。物音がしなくても誰かが居れば不思議と分かるもので、つまり今この家には私一人と言う事になる。メガネを外して目頭を強く揉むと、少しだけ目の疲れが取れたような気がした。  壁に掛かった丸い時計に視線を移すと、十時を少し回った所だ。夜の仕事をしているママはともかく、学生の三人と綾子がこの時間に留守にしているのは珍しい。それがここ数日の倦怠感と関係がない事は分かっていても、何かしらの理由を付けなければ拭いきれない憂慮が纏わりついて離れない。とは言え元教師という立場、いや、すみれ荘の年長者として、夜遊びをする不良学生達に一言注意をしなければな。私はプラスチックの蓋をとじて、殆ど口にしなかったそれをゴミ箱にそっと捨てた――。      決してコミュニケーション能力が高いとは言えない私が小学校の教壇を目指したのは、両親が二人とも教師だった事が多分に関係しているだろう。大学の在学中にその旨を伝えると、当時まだ現役だった父は眉をひそめ、引退していた母は手を叩いて喜んだものである。思えば父は教育現場の厳しさや難しさが年々上がってきている事に気が付いていて、それはもはや減速するどころかグングン加速していくと予見していたのだろう。  それでも私には夢があった。もちろん教育界を根本からひっくり返すような大胆な改革を目論んでいた訳じゃない。ただ、イジメや差別のない仲の良いクラスを作り、成人すれば同窓会が開かれ、招待された私は教え子たちの立派になった姿を肴に酒を飲む。  そんなささやかな願いはしかし、実現するにはかなり困難な道のりであると私自身、大いに理解していた。なぜならば小学校を卒業して十年が経っても同窓会など一度も開かれていないからだ。もちろん私が呼ばれていないだけ、という可能性も捨て切れないが。  私は希望通りに小学校の教員として働く事となったが、すぐに父が賛成しなかった理由を痛感した。もちろん噂には聞いていたがとにかく激務なのだ。  まず、学校に生徒たちが登校してくるのは朝の八時からなので当然それよりも早く出勤しなければならない。新米の私は誰よりも先に職員室に到着して準備に勤しむ。出勤簿にハンコを推してお茶やコーヒーの準備をするのは最近では男の仕事だ。下手に女性に任せるとやれ男女差別だやれ時代錯誤だと騒ぎ立てられる。だったら男性が率先してやれば職場は丸く治るのだ、と先輩の男性教師が肩をすくめて言っていた。  それから必要なプリントの印刷をして教室の掃除、その日に使う教材を運び出してから校庭にラインを引く(アーバンコートの学校が羨ましい)冬はストーブに灯油を入れるのが面倒だが、扇風機しかない夏よりはまだマシだった。  子供達が登校してきたら校門に立って挨拶をして迎え入れる。通勤と準備ですでにクタクタだが疲れた顔を見せる訳にもいかず常に笑顔を振りまいていた。  普通の企業であれば始めの三ヶ月くらいは研修だったり見習いだったりと、まずは会社の仕組みを理解させるのが一般的だが教員にそんな余裕はない。新卒でいきなり担任を任されてぶっつけ本番、母親の中にはあからさまに嫌がり、クラスを変えてくれと私に直接交渉してくる強者もいた。 「彼は両親共に教師をしておりまして、非常に優秀な先生なんですよ」  頭の禿げ上がった教頭にそう諭されると、母親はホッとしたように釣り上げていた眉根をスッと下げた。さっそく親の七光が威光を発揮したわけである。  二時間目が終わると中休みになり、子供達は校庭で遊んだり教室で本を読んだりと皆、思い思いの時を過ごす。しかし教師に中休みなど存在しない。提出物のチェック、テストの採点、次の授業の準備をしていると。 「せんせーい! 池田くんと原田くんが喧嘩してまーす」  喧嘩の仲裁。 「せんせーい! 島村さんが倒れましたー」  保健室に様子を見に行って、場合によっては親御さんに連絡。  せんせーい! せんせーい! せんせーい!  とても一人では足りない。薄給とまでは言えないが労働時間と児童への管理責任の重さを鑑みたならば、やはり労働者が年々減少していくのにも頷ける。  三、四時限目を終えると昼休みだが、その名称とは裏腹に私たちに休みなどはない。むしろ昼休みこそ緊張感が最もピークに達する時間帯である。  白衣、帽子、マスクのチェックから始まり給食当番の確認、一階にある給食室から給食を運ぶのを監視しながらこぼしたり、盛りつけすぎて足りない時の対応をする。公平なおかわりチェックをしなければたちまち内乱が起きてクラスの秩序は失われる、今も昔も、大人も子供も等しく食べ物の恨みと言うのは後を引くものだ。  さらにはアレルギー対応をしながら自分も食べる早技をしつつ、時には吐いたり具合の悪い子への対応もする。皆が食べ終わり後片付けが終わった頃には嵐が去った後のような徒労感に見舞われ、やっと私はしばし解放されると思いきや。 「せんせーい! ドッチボールやろー」  やれやれ。と、溜息を吐いては見たものの、生徒たちから両手を引っ張られて職員室から拉致される私に『ご愁傷様』と憐れみの目を向ける同僚に、僅かばかりの優越感が宿る私はきっとまだ若かったのだろう。昼休み中に終わらせようと考えていたテストの採点は放課後にスライドされ、炎天下の中で無尽蔵の体力を持つ小学生とのドッチボールで体力はさらに削られる。しかし、確かにそれは私の夢に繋がっているはずで、自らが選んだ『道』であることに相違ない。そう信じて疑わなかった。  午後の授業を終えて生徒を帰してやっと一息つく事ができる。とは言ってもゆっくりコーヒーを飲もうとしたら電話が掛かってきたり、急な来客があったりで実際にはその限りではない。  それから打ち合わせや会議、研修、保護者からの連絡に対応、地域の人から苦情が入れば実際に出向き、何かあれば家庭訪問。個人面談、出張、提出書類作成、校内研究の準備、校務分掌の仕事、行事に向けた準備、学年の話し合い、校外学習の予習、総合的な学習の時間や生活科のための渉外、プリントの印刷、教材の注文、ブログ更新、ノートチェックなどなど眩暈がするような仕事が山積みだった。  なんだかんだで帰宅するのは九時を過ぎて、自宅に到着する頃には十時を回っている。風呂に入り夕飯を食べ終えた頃にはもう寝る時間なので、趣味の読書に費やす時間もない。それでも布団に入りミステリー小説を少しでも読み進めようとページを開くがいつの間にか寝落ちしていて、どの程度読めたか次の日に確認するが二ページも進んでいない事が殆どだ。このペースでは犯人に辿り着くのに二年はかかりそうだ。  それでも幸せな疲れ、やり甲斐のある職場、可愛い子供たちに囲まれて給料が貰えるこの仕事は私の天職だと思えたし、私の夢も時間が経てば実現されるものだと、そんな風に考えていた――。
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