高遠 誠一郎⑥

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高遠 誠一郎⑥

 結局、夜中の二時まで二人の酒に付き合わされた。妻はともかく園部先生まで酒豪だったとは計算外だ。彼女は終電もないと言うことで我が家に泊まり、週の二日目から二日酔いで登校する羽目になったのである。 「玲子さん最高ですねー! 美人でサバサバしててカッコいいし、あんな女性になりたいです」  言うことを聞かないと離婚をチラつかせるような横暴な女性になってはいかん。と、喉まで出かかって止めた。 「玲菜ちゃんも超可愛いし! 玲子さん似ですよね?」  まあ、そうでしょうね。  昨日まであった先輩教師としての僅かばかりの威厳は綺麗に消滅したようで、彼女は友達のように気さくに話しかけてくる。まあ悪い気はしない。 「高遠先生の夢も聞けたし」 「え? 私なんか言ってましたか」 「はい、いじめや差別のない、何年経っても集まれば思い出話に花が咲くような仲の良いクラスをたくさん作るのが俺の夢だと熱弁してましたよ」  最悪だ。まったく覚えていない。しかも、新任教師のような青臭い夢を堂々と語るとは、穴が無くても入りたいほど恥ずかしかった。 「いや、参ったな。みっともない」 「そんな事ありませんよ、素敵です! 私も今日からその夢にします」  笑顔が弾けるとは彼女の事を言うのだろう。きっとこの子なら素敵なクラスを作る事が出来るだろうな、朝からそんな事を考えながら満員電車に揺られていた。  朝礼では引き続き自殺未遂については黙秘を続けるようにと教頭から指示があった。担任の九条は病院に寄ってから学校に来るようだ。あっさりと丸野愛子が虐めの事実、首謀者を言ってくれたら対処のしようがあるが。しかしどうだろうか、暴露する気ならば遺書の一つも残しておくはずだ。今回それは見つかっていないらしい。  胸ポケットのスマートフォンを取り出してメモ機能を開く。昨夜、園部先生から聞いておいた丸野愛子と虐めの疑いがある生徒の情報だ。  ・丸野愛子(被害者)  学業成績は優秀、スポーツが苦手で読書は趣味。家はごく普通のサラリーマン家庭で一人っ子。時折り吃音症が出る為、あまり積極的に話すタイプではない。  ・上田桃華(容疑者)仮  成績、スポーツ共に中の上。二人姉妹の妹で姉は一学年上の上田絵梨華。クラスの中心的存在。両親は共働き。    ・下村由梨恵  成績は悪いがスポーツは得意。上田桃華の腰巾着的な立ち回り。目立ちたがり。    ・仲田由衣  成績は中の上、大人しいタイプで丸野愛子とは幼稚園からの幼馴染。引っ込み思案。  「ふう」と一息ついてスマートフォンをデスクに置いた。小中学生の虐め問題は私が子供の頃。いや、もっと前から変わらず続いている。ただそのやり方、手段に至っては時代と共に変化していて、有り体に言えば最近のやり口は陰湿だった。  一昔前のようにシンプルに暴力を振るったり、上履きを隠したりと直接的な行動に出る生徒は高学年になるほど減ってくる。すなわち教師や親に露見する機会は少なくなり、被害者の生徒が一人延々と問題を抱えたまま学校生活を送る事になる。自分のクラスであれば細やかな変化や空気感で何となく察する事もあるが、かなり注意深く観察していなければ気が付かないだろう。丸野愛子の担任である九条は良くも悪くもビジネスライクとして教師の仕事をしている傾向があるので、実害がなければスルーしてしまう事は大いに考えられる。  首謀者とされる上田桃華、彼女の存在は良く知っていた。姉の絵梨華が六年一組、私のクラスにいるからだ。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経まで抜群のスーパー小学生である。何年も教師をしていると男女問わずに時折り現れるレアな生徒だ。そして、彼らに共通するのは性格まで真っ直ぐな人格者だと言う事。曲がった事は嫌いで時には大人にも真っ向から意見をする、弱者を守り強者に立ち向かう精神力を持ち、あくなき探究心と己の鍛錬を欠かさない。皆から期待されそれに応えるために更に努力し、その結果、他の生徒との差はどんどん開いていく。上田桃華の姉もまさにそんなタイプだった。  教育実習生の観察眼など眉唾物だと鷹を括っていたが、上田桃華の名前を聞いてさもありなんと納得したのである。園部先生が言うには彼女は器用で何でもこなし、クラスでも人気の女の子のようだ。可愛らしい容姿もしている、と。 「さて、どうしたものか……」  一人呟いてからぬるくなったコーヒーに口を付けた。二日酔いでムカムカした胃に苦い液体が収まっていくと少し楽になった気がした。
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