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高遠 誠一郎⑧
園部先生はあらかじめ母親に見舞いの旨を伝えておいたらしく、あっさりと病室に通された。狭いが窓の付いた個室は明るくて快適そうな印象を受ける。丸野愛子は窓際に設置されたベッドに横になっていた、目は薄く開いていてその視線は窓の外を見ている。
「お忙しいところ、娘のために申し訳ありません」
母親は私たちが見舞いの品を渡すと仰々しく低頭した。意外だ、てっきり娘を自殺に追いやった学校側に対して、憤慨醒めやらぬ態度で迎えられると覚悟していたからだ。
「とんでもない、お怪我の方は?」
私が尋ねると母親は苦笑いしながら娘の足先に目をやった。ドラマで登場するような天井から足を吊っているような事はなく、薄いシーツの中に両足とも収まっている。一見して骨折とは分からない。
「左足を、踵の部分を骨折しているようです」
飛び降りた際に踵から着地したと言う事だろうか、いくらトタン屋根とは言っても頭から落ちたらひとたまりも無いだろうから、足から落ちたとなれば合点がいく。
「丸野さん、大丈夫? 痛くない?」
「……」
園部先生の問いかけに彼女はピクリと反応したが返事はなかった、変わらず窓の外を虚ろな視線で眺めたままだ。
「ほら、愛子。先生がお見舞いに来てくれたんだから挨拶なさい」
母親は少し声を尖らせた。私はここで若干の違和感を覚えた。仮に体育の時間での不注意や、友達同士で悪ふざけしていた時の事故で怪我をしたのであれば、この母親の対応にも納得がいく。「へへっ、やっちゃった」などと言って舌を出す丸野愛子に「おてんばなんだから」と言って冗談混じりに叱責し、笑いの一つも起きるだろう、しかし。
彼女は、丸野愛子は自殺をはかったのである。打ちどころが悪ければ死んでいた。それにも関わらずこの母親の態度はどこかサバサバしていると言うか、軽く考えている様な節がある。
母親の問いかけに彼女はまったく反応しなかった。すると、分かりやすくため息を吐いて「申し訳ありません」と我々に向かって会釈した。
「すこし、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」
園部先生が母親に言うと、立ち話も何だということで病院内に併設されたカフェに案内された。幸いな事に大きな病気や怪我に見舞われた経験がない私は、病院の中に全国チェーンのコーヒーショップがある事にまずは驚いた。良いか悪いかとても賑わっている。
ちょうど四人組の若い男女が席を立ったのを見て母親がすぐにキープした。私は三人分のアイスコーヒーをカウンターで注文して受け取り、園部先生と並んで席に着いた。財布から小銭を取り出そうとする二人に「大丈夫ですよ」と伝えると二人は恐縮したように頭を下げて礼を言った。
「申し遅れましたが、六年一組の担任をしている高遠と申します、彼女は教育実習の園部先生で丸野さんのクラスを担当していました」
「あ、それはそれは、どうもご丁寧に」
「いえいえ、しかしかなり精神的なショックを受けているようですね」
「みなさんにご迷惑をおかけして本当になんて言ったらいいやら、情けない」
「あ、あの!」
園部先生が身を乗り出して丸野愛子の母親に迫ると、彼女は口を付けようとしていたストローから視線を上げた。
「丸野さんはどうして自殺なんて……」
隣の席に配慮したのだろう、最後の方は掠れるような小声だったが母親には通じたようだ。
「昨日、担任の九条先生にもお話したのですが。先日あの子が飼っていたピヨ彦、あ、インコなんですけどね。死んでしまったんです。大切に育てていたからそりゃあ落ち込んでました」
なるほど、九条の話は流石に作り話では無かったようだ。
「ちゃんとペット用の火葬もして供養したんですけど、まさかそこまで思い詰めているとは考えもしませんでした、すみません」
よく謝る母親だ。何についての謝罪なのか、もはや分からないが、このタイプの人間は大人にも子供にも時々見かけるのでさして珍しくもない。
「クラスで孤立、虐めがあったなんて話は丸野さんからありませんでしたか?」
園部先生の質問に一瞬、ドキリとした。彼女はまだ自殺未遂の原因を虐めだと疑っているのだ。当事者の母親がペットの死による精神的苦痛、突発的な事故だと言っているにもかかわらずだ。
「イジメ? ですか……」
のほほんとした母親は、右斜前方に視線を泳がせながら思案していた。よく見るとかなり若い、三十そこそこだろう。だとすると二十歳くらいで産んだ子供という事になる。
「いえ、そう言った事は……。お友達も遊びに来てましたし、ええ、ないと思います」
「お友達と言うのは?」
彼女は食い下がった。
「えっと、桃華ちゃんと下村さんと、あと名前なんだったかしらねえ」
「仲田由衣さんではないですか?」
「あーそうそう、由衣ちゃん。背の高い子」
園部先生のブラックリストに載っていた三人である。
「その三人と喧嘩したとか、仲間はずれにされたとか丸野さんは言っていませんでしたか?」
その質問で流石に丸野愛子の母親は怪訝な顔を見せた。当然だろう。
「いえ、とんでもない。だって先週だってみんなで家に遊びに来てましたから……。ああ、そうです。その次の日にピヨ彦は亡くなったんです」
私は隣にいる園部先生と顔を見合わせた。
「あ、あの。インコはどうして亡くなったのですか?」
その質問は私がした。
「原因は分からないんです、私が買い物から帰って来て鳥籠に何となく目をやったらもう死んでいて、でも五年も生きていたので寿命だったのかなって」
「病院には?」
「ええ、でも完全に動かなくなっていたので無駄かと思いましてね。行きませんでした……。それにほら、触りたくないし。苦手なんですよ鳥、それをあの子がどうしてもって聞かなくて、世話は全て自分でするのを条件に買ってあげたんです。でもちゃんとペット火葬もしてあげたし……」
母親は咎められた子供のように小さくなった。私は数秒思案した。動機がイマイチ弱い自殺、突然死んだペットのインコ、その前日に遊びに来ていた友達、子供への愛情が希薄そうな母親。点と点が線にならないよう祈るしかなかった。
「愛子ちゃんはそれで?」
「え? ああ、学校から帰って来て号泣してましたよ。ええ、大切にしてましたから。あの子、軽度の吃音症なんですけどね、ピヨ彦に話しかける時は流暢に話すんです、でもずっと泣いていても仕方ないから、ちゃんと供養してあげようねって、あの子もそれで納得しました」
悲しい別れであった事は想像に難くないが、ペットが死ぬたび子供たちに自殺されては生き物なんて飼えない。彼女が特筆して感傷的なタイプであったのかも知れないが。
「それからはかなり情緒不安定になってしまって……。落ち込んでたと思ったら次の日は激怒していたり、次の日はふさぎ込んだり、そしてついにはあんな事に……」
母親はアイスコーヒーを舐めるように一口だけ飲んだ。目はあちこちに移動して焦点が定まっていない。
「激怒って、愛子ちゃんがですか?」
「ええ」
「私はたった三週間のお付き合いですが、彼女が激しく怒る姿はちょっと想像出来ないのですが」
園部先生の意見に母親はうんうんと頷く。
「おっしゃる通りです、普段おとなしい子なんですよ。あまり感情を表に出さないと言うか、吃音症の影響もあるかも知れませんが、あの日の夜は」
「何に対してそこまで?」
「ええ、どうしたのと聞いても話が要領を得ないんですよ、ピヨ彦は殺された、なんて言うんです」
私は再び園部先生と顔を見合わせた。
「殺されたとは物騒ですね、一体誰に?」
「それが桃華ちゃん達に殺されたなんて言うんですよ。わたしあの子がおかしくなっちゃったんだと思いました、だってそうでしょう? なんで桃華ちゃんがピヨ彦を殺すんですか? 仮に殺そうとしてもどうやって? 私が留守の間にこっそり忍び込んだって言うんですか? その時間帯は学校にいるでしょ、桃華ちゃんその日休んだの?」
母親は詰問するように捲し立てた、おそらく丸野愛子にも同じように責め立てたに違いない。そこでハッキリした。この母親は自分の娘をまるで信用していない。担任教師をしているとこのタイプの親は一クラスに一人か二人は必ず存在する。その理由はさまざまだが、多くは不安、焦り、見栄からくるものである。
学業不振、発達障害、コミュニケーション能力が引く周りに比べて幼い子供を持つ親は、自分の子供が同級生と違う不安、将来への焦り、周囲の目をやたらと気にする見栄が結果として我が子を他の子供よりも下に見るようになり、信用しなくなる。丸野愛子の母親はその典型に見えた。
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