高遠 誠一郎⑩

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高遠 誠一郎⑩

「いらっしゃい先生、連絡もらえて嬉しいよ。あれ、そっちのギャルは嫁? にしては若いな。愛人かい?」  椎谷豊は玄関先で軽口を叩いて破顔した。中肉中背に何の特徴もない薄い顔。毎回会うたびに、ああ、こんな顔だったなあと過去の記憶を刺激する。本人曰く、それが仕事に大いに役立つそうで、私も妙に納得したものである。彼の職業は探偵だ。そして六年一組、椎谷勇人の父親だった。  一回り以上も離れた彼とは三年前に、行き付けの小料理屋『たつ治』で隣同士になり意気投合した。聞けば小学生の息子が私と同じ小学校に通っていると言うではないか。地元の飲み屋なのだから、そんな事もあるだろうと気にも留めなかった。当時は担任では無かったが、五年生のクラス替えから偶然にも私のクラスに息子の隼人が入って来てからは、ちょくちょくとは言わないが半年に一度は連絡を取り、たわいも無い話で盛り上がる飲み仲間になった。 「おじゃまします」  二階建ての一軒家、築浅でもないが古いとも言えない。つまり何の変哲もない、風景に溶け込んだ家に我々はお邪魔した。リビングも汚くはないが整然としている訳でもない。探偵というのは生活に至るまで特徴を持たないのだろうかと感心する。 「ビールでいいか?」  キッチンからの声に「今日は真面目な話なんだ、お茶にしとくよ」と返すと残念そうに肩を落とした。彼は酒好きである。もっとも私と同様、嗜む程度で量は飲めない。 「彼女は教育実習生の園部先生だ」  自己紹介もそこそこに、椎名豊に今回の自殺未遂事件について簡単に説明した。初めはそれが俺に何の関係があるんだよ、酒でも飲もうぜ。といった表情だったが、ペットのピヨ彦が殺された可能性があると話すや身を乗り出して興味を示した。 「なるほど、つまりピヨ彦は自然死ではなくて殺人、いや殺鳥。その事実を知ってしまった丸野愛子がショックで自殺をはかったと、そー言うこったな?」 「まだそうと決まったわけじゃ――」 「皆まで言うな! その証拠を俺に掴んでくれと、そー言うこったな?」 「いや、まあそうなんだけど」  話が早いのは喜ばしいが、あまり張り切られるのも些か怖い。 「最近の小学生ってのはそこまで残酷になってんのかい、恐ろしいねえ」 「いや、だから決まったわけじゃ。あと、くれぐれもそんな事を嗅ぎ回ってるってバレないようにしてくれよ」  懲戒免職、とまではいかないだろうが。 「バッカだなあ、俺はプロよ? そんなヘマするかいな。おーい勇人! いるかー? 降りてこーい!」  天井に向かって叫び、おもむろに息子を呼び出した。ギシギシと階段を踏み鳴らしてヒョッコリと勇人が顔を見せる。 「げっ! 先生、なにしてんだよ」  日焼けした肌に端正な顔立ち、クラスでも女子に人気の椎谷勇人は母親似なのだろう。その母親とやらは五年前に男を作り出て行ったらしい。 「よ、宿題おわったか?」 「これからだよ」 「探偵ごっこばかりして、ちっとも勉強しやがらねえからなコイツは」  父が息子の尻を叩くと、勇人は面倒くさそうに椎谷豊の横に座った。そう、彼は父親の影響で椎谷探偵社なる組織を学校内で作り活動していて、驚く事にそれなりの成果を上げているのだ。  直近では生徒の持ち物が頻繁に無くなる事件がクラス内で勃発した。といっても消しゴムや鉛筆、クリアファイルなどの細々したもので、盗まれた本人すら気が付かないような品物ばかりであった。さらに盗まれた品は数日後に本人の元へ返却される始末だ。とは言え気味が悪い、しかし警察に届けるには少しばかり大袈裟か。そこで登場したのが勇人だ。彼は他の生徒には何も言わず放課後、職員室を訪ねてきた。 「内輪の犯行だぜ、先生」  足を組んで腕組みしながら勇人は嘯いた。彼の言う内輪とは同じ学校の人間という事らしい。確かにわざわざ外部の人間が危険を犯して学校に忍び込み、ガラクタのような物を盗んで帰るとは思えない。まあ小学生にしては鋭い考察なのかも知れないが秀逸と言うほどでもないだろう。 「俺に任せときな」  そう言って職員室を後にした勇人はそれから一週間で犯人を挙げた。その方法は小学生らしい考察とは打って変わり盗撮だった。教室の後ろにある黒板には様々なカラーの丸いマグネットが張り付いている、プリントなど止めて置く際に便利な代物だが、この一つが超小型の隠しカメラを内蔵したフェイクだったのだ。もちろん父親から失敬してきた物である。  放課後、誰もいなくなった教室で二人。勇人はスマートフォンでその映像を私に見せた。そこには誰もいない教室で辺りをキョロキョロと伺いながら犯行に及ぶ生徒の姿が映し出されていた。意外な事に女の子だ。窃盗犯には男が相応しいと言う事では勿論ない。 「これ、二組の小松陽菜か?」  さすがプロが使う隠しカメラは画質が良く、教室の後ろから撮影した動画にも関わらずしっかりと鮮明に捉えている。 「ああ」  勇人は短く答えると、隣の机から椅子を引っ張り出して座った。両手を頭の後ろで組みながら「ふぅ」と溜め息を吐いた。こんな仕草がやけに様になる大人びた雰囲気が彼にはある。そして言った。 「許してやってくれないかな?」  それはお願いと言うよりは提案のように私には聞こえた。勇人は犯人が小松陽菜だと判明すると直ぐに彼女に接触したらしい。帰り道、彼女の後をつけて一人になった所で声をかけた。件の映像で彼女が盗んだ品物はシャープペンシルの芯一本、そんな物が買えないほどの貧困家庭でない事はすでに調査済みだった。何でこんな事をしているんだ、と言う彼の問いに彼女はその場で泣き崩れてしまったらしい。そして、それは驚くべき事に嬉し泣きであった。  要約するとこうである。小松陽菜は椎谷勇人に恋をしていた。それは小学校低学年の頃からの片想いで、十二歳と言う年齢からすればかなり長いと言える。しかし神様の意地悪か日頃の行いかは分からないが、彼女が勇人と同じクラスになる事は一度も無かった。二クラスしかないから確率は二分の一、それを引き当てる事は遂に出来ないまま最後の学年を迎えた。  これはその年にもよるが、小学生はクラスが違うと思いのほか交流が無い。地域の野球やサッカーチームなど学校外で活動している生徒はその限りではないが、そうじゃない生徒は大抵同じクラスの中で友達を作る。ゆえに小松陽菜は椎谷勇人とまったく繋がりがないのである。そんな彼女がとった作戦が今回の窃盗事件という事だ。  椎谷探偵社の存在はすでに彼女の知る所であり、椎谷勇人と接触するには格好の機会だと考えた。何か事件があれば彼は動く、しかしあまりにも凶悪な犯罪だと警察が動いてしまう。彼は動くが警察には通報されない、その絶妙なラインを彼女なりに考えた結果が、消しゴムやシャーペンの芯の窃盗なのである。そして思惑通り彼は動いた、そして思惑通り彼に捕まった。この歪んだ愛情表現に私は少し薄ら寒いものを感じた。 「もうやらないように俺から言っておいたからさ」  元々、誰も被害に遭ったと思っていないし騒ぎを大きくするつもりもない。が、真実を知ってしまった以上は彼女の担任に報告した方が良いのではないか。そんな事を思案していると勇人は言った。 「マッチはまだ信用できねえよ」  マッチとは小松陽菜の担任である町田先生だ、まだ若く二枚目で生徒の人気も高い。 「町田先生はとても熱心な人だぞ」 「知ってるよ、でも熱すぎるっていうか。まだ若いよ、たぶん親にまでいっちまう」  父親が探偵だからか、元々の資質か分からないが勇人の分析は的を射ている。確かに町田先生に報告すれば被害の大小に関わらずキチンと責任を取らせる為、親に報告するだろう。そしてそれは間違ってはいない、間違ってはいないが最善かと言われたら否だと私は思う。 「頼むよ、先生だから報告したんだぜ」  そうなのだ、別に私に報告しない、もしくは犯人は見つからなかったと嘘をつけば彼女を見逃してくれなんて頼む必要もなかった。それでも勇人はキチンと事実を述べて、その上で不問にしてくれと懇願している、赤の他人のために。そこに男気を感じた。 「なんだ、小松陽菜に惚れたか?」 「ばっ! ちげーよ、俺は上田絵梨華一筋なんだよ」  知っている。残念ながら相手にされていない事も。 「分かったよ、今回の件は二人の秘密だ」  先生だから報告したんだぜ。のセリフに気を良くしたからではない。いや、多少はしたが実際彼女の為にも公にはしない方が得策だろう、他の生徒にバレたりしたら好奇の目に晒されて二次被害に発展する恐れがある。勇人もその辺りを心配しているに違いない、この件で私は彼に一目置くようになった。
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