高遠 誠一郎⑫

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高遠 誠一郎⑫

 次の日、再び私達は丸野愛子の病室を訪れた。母親の姿は無く、彼女は昨日と同じように窓の外に視線を向けていた。違うのはベッドの背もたれに角度が付いていて上半身が起きている所だけである。       「こんにちわ」  園部先生が遠慮がちに声をかけると、彼女はゆっくりと視線を窓から私たちに移した。少し顔色が良くなったように見えるのは、昨日よりも表情が柔らかいからだろうか。 「こんにちわ」  丸野愛子は囁くように言いながら軽く頭を下げた。 「お母さんは?」 「買い物して夕飯の支度したらまた来るって……」  園部先生の質問に彼女はしっかりと答えた。精神的にも安定しているようで安堵する。これから話す事で取り乱したりしないように慎重に進めなければならない。私たちは壁際に立て掛けられている、折りたたみの椅子をベッドサイドに広げて腰をかけた。 「足の具合はどう? 痛くない?」 「うん、大丈夫」  園部先生と丸野愛子は当たり障りない会話をしばらく続けた。私は横でただ見守っているだけで何の役にも立っていない。丸野愛子は丸顔の可愛らしい女の子だった、笑うと小さな歯がのぞき、大きな瞳が糸のように細くなる。吃音症と聞いていたが園部先生との会話ではその症状はあまり見られない。 「先生……ありがとう」  唐突に丸野愛子はそう言った。目を伏せて下を向くと長い髪が顔にかかり表情が窺えない。 「え、なにが?」 「わたしのこと信じてくれて……」  なるほど、と私は合点した。おそらく彼女は昨日のカフェでのやり取りを聞いていたのだろう。園部先生が母親に激昂する姿を見て自分の味方、信用できる大人と判断したのだ。今日の殊勝な態度にも頷ける。 「ううん」  園部先生は目を閉じてかぶりを振った。 「わたしね、虐められてるの……」 「え?」 「桃華ちゃん達に」  丸野愛子は俯いたままポツポツと言葉を繋いだ。私たちは黙って彼女の告白に耳を傾ける。 「表向きは仲良しの四人グループみたいでしょ? でも違う、あの三人はわたしのこと友達なんて思ってない。あたし、上手く話せないから――」  上田桃華たちは、緊張すると吃音症の症状が出る丸野愛子に早口言葉を無理やり言わせ、(ども)る彼女を見て大笑いした。その映像を動画で撮影して、何度も再生しては彼女の真似をして、また笑った。  やめてよと言いながら触れようとすれば病気が移ると悲鳴を上げ、涙を見せれば被害者ぶるなと恫喝された。好きでもない男の子に告白させられたり、蝉の抜け殻を砕いて食べさせられたり、上田桃華たちがその場で思いついた嫌がらせは続いた。でも拒否できなかった、すれば学校で一人ぼっちになってしまう。それは虐められるよりも恐ろしく、真っ暗な宇宙に放り出されるように思えた、と丸野愛子は語った。  そんな折にやってきた教育実習の園部先生に彼女は憧れを抱き、積極的に話しかけた。明るくてハキハキと喋る先生に少しでも近づきたくて。しかし、それが上田桃華の癇に障ったらしい。人気者に媚を売る卑怯者、ミーハー女。虐めはどんどんエスカレートしていきついに。 「丸野さん」  私はここがタイミングだと思い、話に割って入った。彼女から向けられた視線に敵意がない事を確認してホッとする。仲間の仲間は敵ではないと判断してくれたのかも知れない。 「あまり思い出したくないだろうけど、ピヨ彦が殺されたと言うのは本当ですか?」  私の質問に彼女はゆっくり頷いた。 「その犯人は上田さん達だと?」  再び同じ動作をした。肯定とみなして先に進める。 「どうして彼女たちが犯人だと分かったのかな? 何か証拠があるとか?」  ふるふると首を横に振ると、長い髪の毛先が揺れた。決定的な証拠があればそいつを突きつけて学校問題にしてやろうと考えている、この話が本当ならばいくら何でもタチが悪い。 「桃華ちゃんに聞かれたの、あの鳥はまだ元気かって……」  丸野愛子はポツポツと語り出した。その説明は辿々しく、時折り吃音症の症状も見られたが概ね理解する事ができた。  上田桃華たちが遊びに来た次の日、つまりピヨ彦が死んだ日、彼女らはやたらとピヨ彦の安否を確認してきたそうだ。今まで何度か家に遊びに来る事はあったが、そんな風に聞かれるのは初めてだと彼女は言う。  嫌な予感、一抹の不安を感じて家に帰るとピヨ彦は動かなくなっていた。母親は気味悪がって触れもしなかったが、丸野愛子が鳥籠から救出したピヨ彦は、生き物とは思えないほど硬くなっていたらしい。さすがに彼女もそれが生きている、病院に連れて行けば間に合うといった状態はとっくに過ぎていると悟り、ベランダにあるプランターに埋葬しようとした。そうする事でピヨ彦は花として生まれ変われると考えたからだ。  しかし、母親は全力でこれを止めた。彼女にすれば鳥の死骸をベランダのプランターに埋めるなど冗談じゃないと考えたに違いない。そこで苦肉の策として提案したのがペット火葬というわけだ。決してピヨ彦の死を慮っての行動ではない所が、あの軽薄そうな母親にピッタリだと妙に納得した。  次の日、学校でピヨ彦の死を上田桃華たちに告げると歓声が上がった。三人はヤバイヤバイを繰り返してやたらテンションが高かったと言う。それはペットの死を共に悲しんでくれているようには、どう贔屓目に見ても映らなかった。しかし、それでもこの段階で彼女たちがピヨ彦を殺したなどとは、微塵も思わなかったそうだ。  その日、とても授業を真面目に受ける精神状態じゃなかった丸野愛子は、休み時間のたびにトイレに篭り一人泣いていた。たかがインコが死んだくらいで大袈裟なんだよ。そんな風に思われるのが嫌で、とにかく一人になりたかった。給食もほとんど残して、昼休みもトイレの個室でただただ涙を流していると、扉の向こうに上田桃華たちの声が聞こえてきた。彼女は個室にいるのが自分だと悟られないように息を殺し、存在感を消した。 「やばくない? まじで死んだよ」 「完全犯罪」 「火葬したとかウケない? 焼き鳥じゃん」 「桃華はまじで鬼畜」 「はあ? あのクソ女が悪いんだよ、媚び売りやがって」 「あいつか、園部」 「だるいよねアイツ」 「給食に混ぜちゃう?」 「人間は死なないっしょ」  最後はけたたましい笑い声と共に予鈴が鳴ると、上田桃華たちはトイレから出て行った。何を話しているか分からなかった、けれどピヨ彦にあいつらが何かした、そのせいで死んだのだと言うことだけは理解できた。本鈴が鳴ってもその場から一歩も動けなかった。ピヨ彦を殺したのは上田桃華、その現実離れした妄想が次第に輪郭を帯びてきて現実になる。あの子ならやると結論が出た時の感情は、悲しみから怒りに変化していた。  母親が帰宅するとピヨ彦の死因を必死に説明した。アイツらに、上田桃華にピヨ彦は殺されたのだと。無念を晴らすに為にはこの事実を公にして断罪しなければならないと。鼻息を荒くして捲し立てる娘を、母親は軽蔑するような蔑んだ目で見下ろした。このほら吹き。確かにそう言った。  母親はいかに上田桃華の両親が立派な人でお金持ちで、お姉さんも優秀なのだと熱弁した。あなたのお父さんとは格が違うのよ、と。なぜかこの件に無関係な父親の悪口まで混ざっている。両親が立派? 姉が優秀? お金持ち? だから何? 私はピヨ彦を殺したのは上田桃華だから責任を取らせてくれ、謝罪させてくれと言っているのに、目の前にいる母親であるはずの物体は、頭上から延々と上田桃華の無罪を主張している。 「愛子はどうしてそんな嘘ばかり付くの? だからちゃんと話せなくなっちゃうのよ」  何かが壊れる音がした。それは決して落としたり、無くしたりしてはいけない物で、すべての人間が平等に持ち合わせている大切な物。それが今、実の母親によって叩き割られた気がした。 「もう、いいです……」  それが母親と話した最後の言葉で、気が付いたら病院のベッドで寝ていた。ベランダから飛び降りた時の記憶は一切ない。丸野愛子の話を要約するとこのようになる。  私は隣に座る園部先生を見た。彼女もコチラを見て頷いている。やはりピヨ彦は殺されたのだ、上田桃華らにアボガドを食べさせられて。しかし証拠がない、上田宅の冷蔵庫からアボガドが消えただけでは話にならないだろう。逆にこちらが名誉毀損で訴えられる可能性すらある、彼女の父親は弁護士なのだ。 「先生……。お願い、ピヨ彦の、お願い……」  丸野愛子はしゃくり上げながら泣き出した。キチンと話し終えるまで我慢していたのだろう、決壊したダムのように涙が頬を伝っていく。しかし現実は厳しい、心情的には何とかしてやりたいが確証、証拠がなければ何もできない。  話を聞く限り上田桃華は自白するようなタマではないだろう。私が思案していると園部先生は立ち上がってハンカチを取り出し、丸野愛子の涙を拭いて正面から見つめた。 「ピヨ彦の仇は私が討つ!」  丸野愛子は布団を被り嗚咽を漏らしている。「ありがとう、先生ありがとう」と、呟きながら。
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