高遠 誠一郎⑬

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高遠 誠一郎⑬

「どこに行くのですか園部先生!?」 「上田桃華の家です」 「ちょちょちょ、落ち着いて下さい」  病院を飛び出して速足で歩き続ける園部先生の前に回り込み、両手を広げて止めた。顔は上気して目は血走っている、とても冷静な判断を下せる精神状態ではなさそうだ。 「高遠先生は許せるんですか?」  呟いたような小さな声なのに、体の芯から発せられたかの如く熱く、怒気がこもっているのが分かり、私は数歩後ずさった。 「しかしですね、証拠がないことには」 「警察ですか……」 「え?」 「私は警察官じゃありません、だから自分の判断で決めます。丸野さんが嘘をついているとは思えないんです。こんな酷い事をしておいて、彼女たちが何の罰も受けないなんて絶対に間違ってる! 帳尻が合わない! 罪を認めさせて丸野さんに謝らせます。高遠先生にはご迷惑をお掛けしません、一人で行きますから」  一気に捲し立てると私の腕をくぐり抜けて再び歩き出した。若さゆえの正義感か、もしくは過去の記憶による怒りなのかは分からない。けれど、子供だろうが悪は悪と断罪できる当たり前の理を私は少しずつ、薄皮を剥ぐように失ってきたのかもしれない。それが大人になる事だと自分に嘘をついて。私の目指す、皆が笑い合える理想のクラスは、数人の犠牲者の上に成り立つ偽りの場所なのだろうか? いや、そうじゃない。 「園部先生!」  久しぶりに出した馬鹿でかい声に自分で驚いた。彼女は足をピタリと止めてコチラを振り向く。 「上田桃華の家はこっちです」  園部先生は破顔して「ハイっ!」と返事した。自らが正しいと思う行動に身を置く、ただそれだけの事なのに気持ちが晴れやかになり足取りは軽くなった。 「場所も分からずにどうやって行こうとしたのですか?」 「すみません、頭に血が昇って……」 「上田桃華の姉の家庭訪問で一度行った事があります、強敵ですよ」  記憶にあるのは如何にも教育ママといった風情の母親だった。自信に満ち溢れていて、我が子に対する絶大なる信頼は、家庭訪問という生徒の親にとっては恐縮しがちなイベントにもかかわらず、一切の気後れを見せずに私は終始圧倒されてしまった。  幸か不幸か丸野愛子が入院している総合病院から歩いて十五分ほどの位置に上田桃華の自宅はあった。時刻は十八時前、夕飯時なので当人も母親も在宅している可能性は高い。なんと切り出すべきか考える間もなく見覚えのある大邸宅が見えてきた。  似たような形の建売住宅が並ぶ中で突如、真っ黒な巨大建造物は現れる。他の一軒家の六棟分はありそうな敷地に三階建ての母屋、一階の半分はガレージになっていて、見たこともないエンブレムの外車が三台駐車してある。夕闇に照らされた漆黒の塊は、ロールプレイングゲームに出てくるラスボスが現れてもおかしくないような、禍々しい雰囲気すらある。私は鉄格子のような黒光りした門の前で思わず息を呑んだ。 「ここですか?」  園部先生の問いに頷くと、彼女は何の躊躇いもなくインターホンを人差し指で押した。『ピンポーン』と間の抜けた音が静かな住宅街に鳴り響く。一秒、二秒、三秒。留守なら留守で構わないぞ、これだけの金持ちなら平日から外食に出ていてもなんら不思議はない。 「はい、どちら様でしょう?」  淡い期待は数秒で裏切られ、ハキハキとした女性の声がインターホンから聞こえてきた。母親だろうか。 「桐野小学校の園部と申しますが、桃華さんはご在宅でしょうか?」  彼女は負けじとハッキリとした声で応じた。 「あらまぁ先生でしたか、いまお開けしますわ」  こちらの質問には答えずに彼女はそう言うと、目の前の黒い門がスライドして開き、玄関までのアプローチが目の前に広がった。落ち葉ひとつ落ちていない石畳を進み、観音開きの大きな扉の前で立ち止まった。そして程なくして片側の扉が開き小柄な女性が顔を覗かせた。
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