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田村弥太郎①
あの頃、絶望していた僕を救ってくれたのは、友達でも親でもなく、赴任してきたばかりの若い先生だった――。
小さな体で自分の何倍もあるエサを運ぶ、アリを観察するのが好きだった。規則正しく整列して、巣穴に戻る彼らには、きっと仲間同士の争いなんてないんだと思う。
給食に出たコッペパンを、消しゴムくらいにちぎってポケットに入れておいた。放課後、僕はそれをさらに小さく、米粒くらいの大きさにしてからアリの行列の横にそっと置いてみた。
アリ達はパンには目もくれずに、隊列を崩さないで行進する。パンは好きじゃないのかな? そんな疑問を抱いていると不意に背後から声をかけられた。
「おいフリンデブ、何してんだよ」
振り返ると同じクラスの後藤くんと鎌田くんが、仁王立ちして僕を見下ろしていた。六年生の一学期まで渾名はデブだった。シンプルに見た目を反映している、それがフリンデブにグレードアップしたのは、夏休みに僕のお母さんが教頭先生とデートしている所を生徒に目撃されたからだ。フリンと言う言葉は初めて知ったけど、とても嫌な響きだった。
「な、なにもしてないよ」
しゃがんだまま答えると、いきなり鎌田くんの蹴りが飛んできた、そのままアリの行列に倒れこんでしまい慌てて起き上がる。アリ達の綺麗な隊列は乱れ、あきらかにパニックに陥っている。潰れてしまったのか動かないアリも沢山いた。
「あー、ごめん、ごめんね」
四つん這いになって動かなくなったアリを人差し指でそっと触れる、だめだ、動かない、僕のせいだ。
「誰に言ってんだよ?」
後藤くんが僕の前に回り込んできてしゃがんだ。ハッとしてその顔を覗くと、唇の端を卑しく持ち上げて笑っている。
「やべーよコイツ、アリと喋ってんよ」
後藤くんが立ち上がり大笑いすると、背後から鎌田くんの「キモッ」と蔑んだ呟きが耳をかすめる。
「お前さあ、そんなんだから友達いねえんだよ」
「う、うん」
僕には友達がいない、みんなが仲の良い人とお昼休みに校庭で遊んだり、一緒に帰ったりする中、常に一人で行動している。もちろん好きで一人なわけじゃない。気がついたら一人だったんだ。
「俺らが友達になってやるよ」
「え?」
後藤くんの言葉に思わず顔を上げて見上げた。後ろを振り返ると鎌田くんがニヤニヤとした顔で僕を見ている。
「そのアリンコ、全部踏み潰せよ」
後藤くんが言った。地面のアリ達を指差している。彼らは落ち着きを取り戻したのか、先ほどより綺麗な隊列を組み、その中の一匹が僕のパンを背中に乗せようとしていた。
「え? 踏み潰すって……」
「これからお前の友達は俺たちだろ? だったら昔の友達はサヨナラしないとダメだろう」
「プッ、クククッ」
背後から押し殺したような笑い声が聞こえてきたけど、僕は振り返れずにジッとアリの行列を見た。
「で、でも……」
そんな事したくない、アリだって一生懸命生きている。分からないけどそんな気がした。
「いいか、弥太郎。これからもずーっと。中学も高校もずーっと、一人でお前は生きていくのか? アリさんと友達で良いのか? 嫌だろ?」
「う、うん」
僕は曖昧に頷いた。これからずっと独りぼっち、大人になってもずっと。それはすごく怖いような気がして、なんだか吐き気がした。
「だったらやってくれ。これは友達になる為の試練なんだよ、な、弥太郎」
弥太郎、なんて甘美な響き。名前で呼ばれるのがこんなに気持ちが良いものだなんて忘れていた。お母さんですら最近は「あんた」とか「ねえ」でしか僕を呼ばないから。
「弥太郎なら出来るさ」
後ろから肩をポンと叩かれた。鎌田くんが優しく微笑んでいる。僕は立って足元を見下ろした。アリの隊列はすっかり元に戻り、綺麗な行進が再開している。いつの間にはパンは巣穴に吸い込まれていた。
僕は右足を大きく上げた、そのまま振り下ろせば友達が出来る。その時はそんな不条理な約束に、なんの疑問も抱かなかった。
一人ぼっちは寂しかった。平気なふりをしていた、僕は一人でも平気さ、可哀想なんかじゃない。そう心の中で強がっていた。本当はみんなと遊びたかった、仲間に入れて欲しかった。でも勇気がなかった。
視界が滲む、アリの行列の横にポツポツと滴り落ちた水滴を見て、自分が泣いている事に気がついた。ダメだ、早くしないと。また独りぼっちになるぞ。弱気の自分を強気な僕が鼓舞する。
「うわー!!」
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