私だけのヴァンパイア

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
「先生……先生の秘密は、誰にも言わないから」  職場である保健室のベッドの上。俺の体にまたがる百歳以上は年下の、まだ18歳の女の子とは到底思えない魅惑的な声が耳元で囁く。彼女の手には、きゃしゃな身体には似合わない、血が乾いたような黒々とした色の、禍々しいモノがあった。それは俺にとって懐かしいモノだった。遠い昔、一族のお婆さんから一度だけ聞いた――。 * 「ん……」  女生徒の色っぽい声が学校という本来聞こえてはいけない場所から聞こえる背徳感と血をいただく高揚感。永遠とも思える長い間生きてきたヴァンパイアの俺が辿り着いた、天職とも言える職場が、女子高の養護教諭。いわゆる保健室の先生だった。  ヴァンパイアの見た目は成人してから緩く老けるようになる。百年以上生きているが、今の見た目は人間の30代くらいだろうか。生きる糧である人間の血は若い女性のものが好みで、スムーズに吸血できるように女性の落とし方を人間社会で学んだ。元々ヴァンパイアというのは人間を惹きつけるフェロモンというのが出ているらしい。親しい間柄になるのは容易だったが……。  今はちょうど保健室のベッドで寝ている女生徒の指から吸血をしたところだ。声が漏れたのはくすぐったかったからだろう。遠い昔は派手に首から血をいただいていたようだが、あんなものはヴァンパイアたちのパフォーマンスや自己満に過ぎない。ヴァンパイアたちが人間に退治されるようになり、ごっそりと数が減った現代では、人間を惹きつけ惑わし、体内の血を吸いつくすなんてことは出来なかった。こっそりと目立たないように吸血するヴァンパイアしかいない。生きるために必要な血の量も徐々に減らしても平気になっていった。日中だってUV対策をすれば動けるし、にんにくや十字架も耐えられないこともない。こうやって正体がバレないように、社会に最適化し溶け込んで暮らしている。 「先生~!」  親しくなり過ぎた故にドアを勢いよく開けてくる女生徒の声に驚きつつも、仕切られたカーテンから出て、平静を装い対応する。こうやって生徒側が慣れて来た頃が潮時なのだと理解していた。ここに来て5年。そろそろ職場を変える時が近づいている。 *  9月の始業式の日。久しぶりの学校で、特に貧血で具合が悪くなる子がちらほらと出てくるから朝から忙しかった。昼過ぎにようやく落ち着いたころ、知らない生徒が保健室にやって来た。「失礼します」とか細い声が聞こえた瞬間に、何かがいつもと違っていた。姿を見て、鼓動が早くなる。ごく普通の、きちんと校則に沿って制服を着た、黒髪のボブで幼さの残る、ただの人間なのに。 「はい。どうしたの」 「ちょっと具合が悪くて……」  名前と利用理由を用紙に記入してもらう。いつも通りのやり取りなのに落ち着かなかった。動揺を隠しつつ、空いているベッドを使うよう促す。この学校は上履きの色で学年が分かる。3年生だが初めて見る子だった。転校生だとしたら9月に来るのは随分と遅いような気がするが。生徒たちはただの吸血対象でしかない。特別な感情は持ったことなどなかったのに。用紙に書かれた名前をなぞった。「守屋(もりや)しいな」。何故か俺はカーテンの向こうで眠る、守屋という生徒のことが気になって仕方がなかった。 *  文化祭が近づく10月の半ば。守屋は初めて保健室に来た日から頻繁に俺の前に現れた。分かったのはやはり転校生だったこと。そしてクラスの同級生は皆受験に集中していて、どこかピリついていた雰囲気で馴染めなかったらしい。 「……保健室は自習室ではないんだが」 「なら追い出したらいいじゃない」  次第に静かで落ち着くからと、放課後に保健室で守屋が勉強するようになっていた。守屋は幼さの残る顔の印象そのままで、すぐに口答えのする、とても生意気な生徒だった。 「先生。アイスコーヒー」 「保健室はカフェでもないんだが」  いつの間にかコップを持ち込んで、俺のインスタントコーヒーを飲むのも当たり前になっていた。優しい保健室の先生で通っている俺は自分の分のついでに守屋の分のコーヒーも作ってやった。もう言われなくてもミルクを1つ入れてあげていることには気付かないフリをしていた。 「先生。ここ教えて」 「古文なんて覚えてない」 「ふ~ん……じゃあ保健なら教えられる?」  手元のペンをベッドの方向を差すように動かして、明らかにからかうような口調で言われた。 「セクハラか?追い出すぞ?」 「冗談なのに~。それよりさぁ、先生文化祭来るの?」 「まぁ一応保健室で待機してるよ」 「じゃあ一緒にコスプレしよ!ハロウィンがテーマなんだってさ」 「じゃあの意味が分からないが」 「いいでしょ?高校最後の文化祭が一人じゃ寂しいもん。ねぇ、一生のお願い!」  先ほどまでは色っぽく誘うようなことを言ったと思ったら、今度はおねだりをする子どもみたいに両手を合わせてこちらを伺ってくる。たった18年しか生きていないくせに、高校生というものはすぐに「最後」だとか「一生」だとか、大げさに物を言うものだ。 「先生は色白で貧血っぽいし、ヴァンパイアとか似合いそうだね!」 「こっちは仕事なんだ。白衣は着てないと」 「え~……じゃあナースの格好しようかな~」  衣装をネットで探しているのか、スマホをいじりだした守屋。「ヴァンパイア」という単語を聞いて動揺するほど間抜けではないが、やはり不意に言葉にだされるのは心臓に悪かった。 *  文化祭当日。保健室の外はとても賑やかだったが、俺自身は暇だった。コーヒーを淹れて、こっそりスマホで映画を見て時間を潰していた。 「先生~!差し入れ!」  バタバタと足音がすると思ったら、手に食べ物を一杯持った守屋が足で扉を開けてやって来た。なんて行儀の悪い。しかし食事を持ってきたことは評価できる。ちょうどお腹が空いていたところだった。 「期待してなかったが中々美味いな。ありがとう」 「ねぇ先生。食べ物の感想より先に言うことあるんじゃないの?」 「お礼なら言っただろ」 「違う!目の前に!かわいいナースが!いるでしょうが!」 「はいはい。かわいいかわいい」  女子高生の扱い方など慣れている。ちゃんと「かわいい」などと伝えないほうが良いのだ。お互いのために。しかし不服だったのか、守屋は俺の腕を取るとベッドの方まで引っ張り、そして突き飛ばした。俺の体にまたがる守屋の顔はとても不機嫌だ。適当にあしらうと、こういうことも良くある。 「なぁ守屋。セクハラはダメだって言ってるだろ?」 「セクハラじゃない……先生。私の目、ちゃんと見て?」 「はぁ……いいからどいて――」  言葉の途中で、守屋の手が俺の頬に添えられて、無理やり目を合わせられると、途端に声が出なくなった。守屋の目に吸い込まれるような感覚がした。初めて守屋を見た時と同じように、鼓動が早まった。 「先生?大丈夫?」  体を動かしたいのに、上手く動かない。守屋の目から逃れられずに、支配されているようだった。 「大丈夫じゃないんだ?やっぱり」 「やっぱりって……守屋、お前、一体……」 「……先生、私の目はね、人間じゃないものが分かるの」 「は?何言って……」 「先生。きっと先生は、自分だけが特別だと思ってたでしょう?でも違うの。先生が、ヴァンパイアが人間の世界に馴染めるように進化していったように、私たち人間も、進化してるの」 「守屋、俺の正体……気付いて……」 「ごめんね先生。私ずっと昔からヴァンパイアを討伐する一族の血を引いているの。先生のこと……大好きだけど……でも私がここで逃がしても、他の一族の人たちがいつか追い詰める。だから……せめて、私の手で――」  守屋の手には、幼いころにお婆さんから聞いた話にそっくりな、それはそれは怖ろしいヴァンパイアを殺すという杭があった。血が乾いたような黒々とした色の、禍々しい杭。 「その杭で、俺はどうなる?」 「灰になって、跡形もなく無くなるよ」 「そうか……」 「怖い?大丈夫だよ。一瞬だから」 「恐怖はないよ……最期に、一つ言っておこうと思うんだが、いいかな」 「何?」 「しいなに惹かれてた」  最期なのだから良いかと思って、初めて生徒のことを名前で呼んだら、思ったより良い反応が返って来た。ずっと緊張感のある、支配的な目をしていたしいなの目が、一瞬だけ人間を惹きつけた時の目をしていたのを見逃さなかった。それだけで心が救われたような気がした。 「……先生、気持ちは嬉しいけど、それは、私の目が、ヴァンパイアを惹きつけるように出来てて……」 「俺と一緒だな」 「そうだよ……ヴァンパイアの特徴だから気をつけろって、散々言われてきたもの。だから、私が先生を想う気持ちも、全部勘違いなんだ」 「そうか……じゃあ俺からの一生のお願い、聞いてくれるか?」 「何?」 「ずっと、勘違いしててくれ」  しいなの目から涙がこぼれて、それすら官能的に見えた。勘違いだとしても、人間の進化も侮れないと思った。 「……もう言い残すことない?」 「あぁ」 「先生のこと、他に誰か知ってるの?」 「……もう誰も俺の正体を知っている奴なんて、いないかもな」 「そう……」  しいなは自分で涙をぬぐった。その目には強い意志が感じられた。俺はこの子になら、最期を託しても良いと思えた。この惹きつけられる感情が、勘違いだとしても。 「先生……先生の秘密は、誰にも言わないから」 「じゃあ、俺のことを知っているのはしいなだけだな」 「そうだよ。私だけの秘密」 「それでいい」 「……先生、ごめんね……」 「あぁ。じゃあな」  俺は自分の最期の瞬間を、瞬きもせずにただ最後まで見つめ続けた。しいなの手にある杭が、目の前で俺の心臓めがけて振り下ろされる――。 「――さようなら、私だけのヴァンパイア」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!