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第2話
次の日。音楽室へ移動するとき、恵は廊下をいつもよりゆっくりと歩いた。隣の教室をのぞくためだ。
あ、いた。
教室の奥にいた翔太は椅子に座り、とても集中している様子だった。
すると、数人の男子が翔太の席にやってきた。話し声は聞こえない。だけど、翔太と男子たちは仲がいいわけじゃないことは廊下からでも見て分かった。
男子たちはニヤニヤとなにかを言っているが、翔太は男子たちを無視している。
すると、一人の男子が翔太の服の袖を引っ張った。そういえば、翔太の服が昨日と同じだ、と恵が気づいた瞬間、顔を真っ赤にした翔太が男子を突き飛ばした。
男子はバランスを崩し、机と一緒に倒れる。驚いた女子がかん高い悲鳴をあげるのと同時に、恵はその場から逃げるように教室を通り過ぎた。
「びっくりした……」
森崎翔太、やっぱりやばいやつなのかな?
だけど、倒れた男子を見下ろす翔太の顔は怒っているというよりも、困っているようだった。
それから一日中、授業中も、給食を食べているときも、恵の頭から翔太の表情が離れなかった。
「よっ」
河原へ向かうと先に翔太が土手に腰掛けていた。
「やぁ」
ぽつんと座る翔太の背中を見て、恵はなんて声をかければいいのか迷っていたから気づいてくれて助かったと思った。
暴れる翔太。突き飛ばしたあとの困った顔の翔太。無邪気にラップへのあこがれを語る翔太。
恵の中では、まだどれが翔太の本性なのかわかっていなかった。
「昨日教えてもらった詩の作り方を参考にしてさ、ラップの歌詞を考えようと思ったんだけど、一日かけれも全然思いつかなくて」
テーマは学校なんだけど、と翔太はランドセルからノートを取り出す。
教室で書いていたのはこれかな。
恵はノートを受け取る。しかし、読もうとすると文字がゆがんでしまう。恵は顔を近づけ、ゆっくりと文字を見つめる。
「そんなに俺の字汚い?」
「そういうわけじゃないんだけど」
「もしかして文字読むの苦手系?」
「えっと」
「貸して。俺読むわ」
そういって翔太は恵の手からノートを引き取った。どれくらい時間が経っていたのかわからないが、しびれをきらしてしまったのだろう。
「ごめん」
恵が謝ると、翔太は眉間にしわをよせ、不思議そうに首をかたむけた。
「ん? 別に謝ることじゃないっしょ。ここには学校はめんどくさいって書いてある」
謝ることじゃない。そうかな。
っていうか。
「え、書いてるのそれだけ?」
「だってそうじゃん。そこから関連する言葉とかなくね?」
「じゃあ、学校のなにがめんどくさいの?」
「宿題と授業かな。俺頭悪いし。あと早起きなきゃいけないのもめんどくさい」
「そしたらめんどくさいを言い換えてみよう」
めんどくさいと感じるのはなにかやりたくないことをやらなければならないときだ。そんなときに思う気持ちは……。
「たとえばさ」
恵は頭の中でできた詩を読み上げる。
学校はめんどくさい
早起きはつらい 授業もつまんない
おまけに宿題なんてやっていられない
「とか?」
恵が思いついた詩を誰かに伝えるのは初めて詩を詠んだ国語の授業以来だった。そのときだってプリントに書いたものが教室の後ろに掲示されただけ。誰かに聞かせるために声に出して読んだのはこれが初めてだ。
きんちょうで心臓がぎゅうっとしぼられるようだ。しかし。
「おぉ! ちゃんと韻が踏めてる!」
驚きと喜びに満ちた翔太の顔を見て、恵は安心して息を吐いた。
「昨日いくつかラップを聞いてみたんだ」
動画投稿サイトでラップと検索すると怖そうな大人が向かいあって交代で相手に悪口を言う動画がたくさんヒットした。
それはラップの中でもMCバトルというジャンルでどちらのほうがラッパーを行うMCとして優れているか競い戦うものだという。
最初は怖かったが、ただの悪口ではなく、聞き心地がいい言葉選びや観客を味方につける盛り上げ方などにいつしか夢中になってしまった。
そしてラップのスキル(技術)についても調べた。
中でも有名なのがライムだ。韻を踏むという意味で、さっきの詩でいうと。
めんどくさい。
つらい。
つまんない。
やっていられない。
これらは全部最後の二文字が「あ・い」の音だ。こんな風に同じ音の言葉を繰り返すことをライムという。
「ライムは押韻っていう詩を詠むときにも使う技法と同じだから、なんとなくわかって」
「さすが! じゃあさじゃあさ、こんな感じのフロウでさ!」
「フロウ?」
フロウとは歌い方、という意味だが恵はまだ知らなかった。そんな恵を置いて、翔太は立ち上がり、首をゆらしてリズムに乗る。
HEY YO!
学校まじで めんどくさい
早起きつらい 授業つまんない
おまけに宿題やってらんないっ!
ラップを歌い終えると、翔太は眉毛をつりあげ、腕を組んでポーズをとる。
「すごい! なんかラップっぽい気がする!」
「だろ?!」
翔太はポーズを決めたまま動かない。
翔太のキメ顔はイマイチだが、翔太のリズミカルな歌い方で、詩がたちまちラップへと変わったことに恵はワクワクが止まらなかった。
「なんかよくない?」
「なにが?」
「なんかこういう、関係っていうか、俺たちみたいなのよくない?!」
翔太は気持ちがたかぶるといつもより余計に言葉が出てこない。
だけど恵には翔太の言いたいことはなんとなく伝わったし、恵も同じことを考えていた。
森崎くんの想いをぼくが言葉に変換して、それをまた森崎くんがラップとして表現する。その過程の中で、森崎くんが自分でも気づいていない気持ちをぼくがくみ取り、文字の読み書きなどのぼくができないことを森崎くんに手伝ってもらう。こういう関係は。
「相互扶助ってやつだね」
「そ、そーご……、なにそれ?」
「お互いを支えあうって意味だよ。持ちつ持たれつ、だね」
「なるほどな。……ってお前、今わざと難しい言葉選んだだろ!」
翔太のツッコミに恵がふき出し、あとに続いて翔太も笑った。
恵はまだ翔太のことをすべてわかったわけではない。だけど。
『別に謝ることじゃないっしょ』
みんなが知らないであろう翔太のやさしさを知れたことが嬉しかった。
ひとしきり笑ったあと、翔太はまたリズミカルに体をゆらす。
HEY YO!
そーごふじょ! どんなもんでしょ!
二人で一緒! 最高っしょ!?
翔太のラップは夕空に響きわたった。
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