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白衣のサンタクロース
12月24日。
有坂美緒は大きなため息をついた。
窓の外を見れば、うんざりするくらいに降り積もった雪。東京で生まれ育った彼女にとって、北国の雪は厄介なもの以外の何ものでもなかった。
夫の転勤のために札幌市内へ引っ越してきて半年ちょっと。ここには友達もいない。近くにはおしゃれなスーパーもカフェもあるけれど、この半年の間に何度も通ったので飽きてしまった。遠出をしたくても、運転は危ないからと出かけるときはいつもタクシーだ。それもなんだか自由がないような気がして、ここ数日彼女は家にこもりきりになった。
その理由はほかにもう一つあるのだが、それを今日夫の佑一郎に打ち明けるつもりでいた。豪勢な手料理と、ケーキを用意して。
――でも。
『……ごめんな、美緒。今日当直変わらなきゃならなくなった』
夫から電話があったのは、ターキーがこんがりと焼き上がった午後7時半。
『佑君、嘘でしょ?』
『ごめん、美緒』
電話口で何度も謝る夫に、ため息という返事をして、一方的に電話を切ってしまったのにはほんの少しだけ罪悪感持った。
夫は総合病院で産婦人科医をしていて、毎日がとても忙しい。
本当は今日、当直ではなかったはずなのに、と美緒は焼きあがったターキーを恨めしそうに見つめた。
「もういい。怒られてもいいからプレゼントは届けにいく!」
美緒は声高らかに宣言すると、分厚いコートを羽織ってタクシーを呼んだ。
*
「有坂先生、LDRの妊婦さん胎児の心拍数が落ちてきてます」
分娩室に駆け込んできた看護師が、医師である佑一郎へ告げた。
「わかった、ここの縫合が終わったらすぐに行く」
クリスマスイブの産科病棟は、いつも以上に忙しかった。
なぜだ。
佑一郎はその理由を探そうと思ったが、答えはすぐに見つけることが出来た。
「先生、ありがとうござました。最高のクリスマスプレゼントをいただくことができました」
産婦の夫が目に涙を浮かべてそういうので、佑一郎は妙に納得した。
「おめでとうございます。クリスマスプレゼント、ですか……」
赤ん坊がクリスマスプレゼントだとしたら、自分はサンタか。
なら、今晩は忙しくても仕方がないんだろうな。
佑一郎は苦笑いしながら、小走りでLDRへと向かった。
※LDR:陣痛時から分娩・回復までを家庭的な雰囲気(自宅の寝室のような)の中で行う部屋。
陣痛分娩室【Labor Delivery Recovery】
午後9時。
病棟の忙しさの波が、どうにか静まった頃。急患が来ていると外来に呼び出された佑一郎は患者の姿をみて目を丸くした。
「美緒、どうした」
驚く佑一郎に美緒は、問診票を突きつけた。
「今晩は、先生。私患者です。だからちゃんと診察をしてくださいね」
「え、ああ」
佑一郎は美緒の気迫に押されて、何も言わずに問診表に目を通す。
「有坂美緒さん、27歳」
「はい」
「既婚で、大きな病気もしたことがない……と、え――」
「どんな病気でしょうか?先生」
「尿検査を、いや、そんなの待てない。内診台に上がってエコーを」
寄ってきた研修医を追い出して、佑一郎はいつも患者にしているように、美緒の内診を始める。
まさか、まさか、とはやる気持ちを押さえて、佑一郎はプローブの先端をゆっくりと動かしていく。
やがて、液晶画面に映し出され画像に佑一郎は目を見開いた。
「美緒っ」
そう叫んでおもむろに立ち上がると、美緒の上半身と自分を隔てていたカーテンを勢いよく開ける。
「ちょっと、佑君。カーテン閉めて」
「やだよ、オレサンタなのにプレゼントもらえるなんて思ってなくて、それで、あの、美緒」
どうやら混乱しているらしい夫の頭を美緒は掴んで引き寄せると、ゆっくりと唇を合わせた。
「最高のクリスマスプレゼントでしょ?パパ」
メリークリスマス
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