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部下と私の恋愛事情
『俺、誰とも付き合うつもりはないですから』
事が済んだ直後に言う言葉ではないと思った。
”関係を持ったのだから付き合ってほしい”などと言うつもりはない。
私もいい大人だ。
けれど、ホンの少しだけ期待してしまったのも事実。
だからあえてこのタイミングでこの言葉を言われると『本気にするなよ』と、釘を刺されたみたいで私のプライドが傷つく。
しかも余韻にすら浸らせてくれないのか、彼は。
だから言った。
「そういえば、明日の会議の資料50部追加しておいてくれたかな?」
「……あ、はい」
彼の顔に浮かぶのは困惑か、それとも?
「てゆうか奈津子さん、ベットの上で仕事の話やめません?」
形のいい薄い唇が綺麗な弧を描いた。
私だってこんな話したくてしているわけじゃない。
伝えたかったのはつまりこういうこと。
『私ってやつは、こんな時でも、明日の会議の事を気にかけるくら仕事一筋の女なんだから。君なんかに執着しないわよ』
っていうニュアンスを私なりに含ませたつもりだったのに。
「……汲んでくれる訳ないか、やっぱり」
「なんですか?」
「ううん、なんでも」
この子、西野君は私の部下だ。
年は7つ下。
近頃の若い子って、平気で上司に手を出すんだ。
なんて考えたけど、
彼からしてみれば私の方が“若い部下に手を出す上司”ってところか。
西野君の周りにはいつも数人の若い女子社員の取り巻きがいて、社内でも1・2を争う人気っぷり。
しかも、取引先の女子社員からも人気があるらしいのだ。
この間も同じチームの女子社員から恋愛相談を受けたばかり。
人事の〇〇さんが西野君にアプローチをかけていて目障りだ。とか、取引先の社長が色目を使っていて困るだとか、いろいろ。
「ていうか、チーフはいいですよね。西野君を誘う口実沢山あるじゃないですかぁ」
「何言ってるの?私は誘わないわよ」
「ですよね、誘った時点でセクハラですもんねぇ」
棘のある言葉を平気で言えるのは若い子の特権だ。
無意識なのか、実はわざとなのかは定かではないけれど、棘で刺されても聞き流すのが大人の女という物だ――と思うようにしている。
私が聞き役に徹しているのをいいことに、彼女は更に饒舌に語る。
「今朝なんてエレベーター前で待ち構えていた経理の女に告られててぇ、マジヤバいんですよ。早くしないとどうでもいい女に彼を奪われちゃうじゃないですか」
なにが、マジでやばいのだろうか。しかも、早い者勝ちみたいないいっぷり。
『バーゲンセールで奪い合うブランド物のバックじゃないのよ、彼は』そう言ってやりたかったけれど、止めておいた。
「で、チーフにお願いがあるんですよ」
「ムリ」
「ちょ、聞いてからにしてくださいよ。いやこれ、チーフにしか頼めないっていうか」
「なに」
「西野君に、うちらの誰が気に入ってるのかって探りを入れてもらいたいんですよ」
彼女の言う“うちら”とは、同じチームの取り巻き連中の事だろう。仲良しのフリして、水面下では駆け引きと腹の探り合い。
なんだかそんな関係を、懐かしく思えてしまう自分がいる。もう、10年前の話だ。
「それは自分で聞けばいいじゃない」
「聞けないから頼んでるんですよ。みんなの目もあるし。直接聞いて気まずくなったら私、仕事来れなくなるし。てか、辞めるし」
「え、それは困るからやめてね」
「ですよねー。だから、お願いしますよ。奈津子チーフ」
そう頼み込まれて断れなかった私は、取引先での打ち合わせが終わった後で、西野君を食事に誘った。
勿論自腹で。
なんかこう、釈然としないものがあったけれど、西野君に食事を奢るのは嫌ではなかったから。まあ、よしとした。
「え、メシ?奈津子さんが誘ってくれるなんて、本気で嬉しいです」
おおげさに喜んで見せる彼が、なぜかかわいく見えて。
少し奮発してやろうという気持ちが湧いて、向かったのは恵比寿のイタリアン。
「おー、すげえ。いつもこんなとこに来るんですか?」
「ううん、たまにね」
「いい店ですね。奈津子さんらしいセンス」
そういわれていい気分になった。
「コースでオーダーするつもりだったんだけど、いい?」
「あ、はい」
「メインはどうする?」
「じゃあ――」
彼が選んだ肉料理に合わせて、選んでもらった赤ワインは、私をいつもより酔わせた。
途中から何を話したのかが分からなくなって、幾度となく同じ質問を繰り返したのかもしれない。
『西野君は同じチームの中の子たちで誰が好みで、付き合うならどの子?』
甘いドルチェが運ばれてくる頃には、もう完全に出来上がっていたのだと思う。
「――で、西野君は付き合うとしたら、どのこを選ぶわけ?」
「だから、どうして奈津子さんが探りをいれてくるんですか?」
「探りじゃないし」
そう言いながら、溶けだしたジェラートをスプーンですくって口に運んだ。
ひんやりと冷たくて、酔い覚ましにちょうどいい。私はその甘い塊をもう一口、すくって食べた。
「あ、垂れてますよ。もう、子供みたいだ」
言いながら彼は、私の唇の端に付いたそれを手を伸ばして指で拭った。
触れられた瞬間、ビッリっと電流が流れた気がして、驚いた私は手元にあったワイングラスを肘でひっくり返した。
「――キャア」
赤い液体がテーブルクロスの端から滴って、私のスカートに落ちてくる。
「ああ、奈津子さん、大丈夫ですかっ!?」
西野君はすくさま私に駆け寄って、広がってしまったワインのシミをハンカチで拭いてくれた。
「これ、早く洗わないと落ちなくなりますよね」
タクシーでワンメーターの距離だという中目黒にある彼のマンションへ連れてこられた私は、遠慮しながらも上がらせてもらった。
「スカート、早く脱いでください」
靴を脱いだ傍から彼が言う。
「え、あ、うん」
含まれる意味が違っても、その言葉自体にドキリとする。
「奈津子さん、ここ、キレイじゃないけどバスルーム使ってください。脱いだらバスタオル巻いて、で、そのスカートを俺に渡してください。シミ抜きしますから」
「……わかった」
私は彼に指示されたとおりにバスルームでスカートをぬごうとした。
でも、バスタオルを腰に巻いた姿なんて見せたくない。
私だって女だ。
いくら酔っているとはいえ羞恥心はある。
どうしたらいいものかとうろうろとしてみる。
と、目の前の扉がノックされた。
「奈津子さん、もういいですか?」
「え、まだ……」
カチャリと、容赦なく開けられたドア。
ネクタイを外した西野君の視線が私の下半身に注がれる。
「俺が脱がせてあげましょうか?」
「や、あっ」
私の腰にまわされた彼の手。
スカートのホックをはずし、ファスナーを下げる。
「ちょっと、西野君、ダメだよ」
「なら、ちゃんと抵抗してくださいよ」
その手は、スカートを脱がせると、ストッキングとショーツに手を掛けた。
中途半端に脱がされたままの私は、西野君に手を掴まれて、寝室のベッドまで引っ張っていかれる。
こんな状況で部下と――?
そもそも私が彼を誘った理由はなんだったのかわからなくなりそうだ。
きっと、さっきレストランで、西野君に触れられたとき、おそらく私は彼に感電してしまって、正常な思考回路がショートしたんだと思う。
うん、絶対にそうだ。
そしてさっきから、何度もビリビリ甘く痺れるような快感を与えられて、私はさらに壊れていく。
だからもう、何も考えられなくなってじぶんから彼を受け入れた。
本当なら、こんなセックスの後は余韻に浸りたいものなのに……突然、あんなこと言うから一気に冷めちゃったじゃないか。
「……奈津子さん」
「え?なに」
「もう一回、してもいいですか」
……したい。
でも、これ以上体を重ねたら私が惨めになるじゃない?
だから、「……だめ」そういって近づいてくる西野君の顔を押し返した。
「どうしてダメなんですか?」
「もう、だめよ。こういうことは好きな人とね。いるんでしょ?お気に入りは誰よ?いい加減答えなさい」
してしまった後だけど、一応当初の目的は果たしておかないと。
私は、取ってつけたような質問をした。
「付き合うつもりないなんて言ってると誰かに持って行かれちゃうから」
そういいながら、その背中をパシンと叩こうとした腕は、一瞬で捕らわれてしまう。
「――もう、いい加減にしてください」
西野君は唸るようにそういって、私を押し倒した。
「やっ……」
抵抗しようとすると、もう片方の腕も捕らわれていとも簡単に押さえつけられてしまう。
彼は私の腰のあたりに跨ったままじっと見下ろしている。
「食事に誘ってくれたから、すごくうれしかったのに、話といえばあいつらのことばかりで」
「……西野君?」
「俺はあいつらの誰とも付き合うつもりはなくて……」
少し震えた声で、西野君は言う。
「さっきいったのは、奈津子さん以外とは付き合うつもりがない――って意味だったんですけど」
「……えっ?」
――彼の真意を汲みとれなかったのは、私の方だったみたいだ。
「だからもう一回、いいですか?まあ、ダメだって言われても聞き入れてあげませんけどね」
終
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