序章

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序章 「あなたはもう必要ないわ。だから、出て行ってちょうだい」  ある日の午後、災厄がやって来た。  なんの前触れもなく。  なんの前触れもなく、同性のわたしでも二度三度と見てしまうほど素敵なレディが王都からやって来た。  彼女の外見は、そこそこの美しさではあるけれど出るところは「バンッ!」と出ている豊満なボディ。それから、ド派手な色合いできわどいカットのドレスを着用している「セクシーレディ」という感じ。  田舎には不釣り合いなそんな彼女が、突然王都からこのサンダーソン公爵領にやって来たのである。  わたしがサンダーソン公爵邸の玄関扉を出た瞬間、というよりか彼女と目と目が合った瞬間、彼女はそう言い放った。  わたしは、もちろん彼女のことを知らない。  わたしの実家であるニューランズ男爵家は、王都にある。一応、実家といっていいと思う。その男爵家で生まれ育ったのだから。とはいえ、その大半は貴族令嬢としてではなく使用人以下の扱いだったけれど。そんなわたしは、当然のことながら社交界デビューをさせてもらえなかった。それどころか、いかなる貴族との接触を禁止されていた。というか、貴族だけでなくあらゆる他人と接触する機会はなかったのだけれど。  だから、たとえ彼女が王都で有名であったとしてもわたしが彼女のことを知らなくて当然かもしれない。 「あなた、融資の担保代わりなんですって? クラークからきいたわ。彼、言っていたわよ。『妻にと無理矢理おしつけたから、領地の屋敷に置いてやっている。当然、愛など存在するわけはない。そもそも、そのレディは感情がない。陰気すぎる。おれだけでなく、だれからも愛されるようなレディではない』とね。わたしは、クラークにそのように相談されたとき、全力で彼を慰めたわ。そうしたら、自然と結ばれていたわ。もちろん、わたしたちの間に愛はある。まぁたしかに、順番は逆かもしれないけれど。いずれにせよ、わたしはあなたと違ってクラークに愛されている。だから、彼を略奪することにしたの。彼もあなたと離縁する気になっているし。それにしても、結婚してまだ季節がかわってもいなというのに、もう離縁されるのってどんな感じなのかしらね? 口惜しいとか情けないとかかしら? まっ、わたしにはどうでもいいことだけど。とにかく、そういうわけだから」  彼女は、豊満すぎる胸をゆすり腰をくゆらせお尻をプリプリさせながら近づいてきた。 (こんな微妙なカットのドレス、王都で流行っているのかしら?)  そんなセクシーな彼女をボーッと見つめつつ、どうでもいいことを考えてしまった。  実家では、ずっとボロボロのシャツとズボンで家事をしていた。サンダーソン公爵夫人になってからは、さすがにそういうわけにはいかない。ずっと昔に亡くなったお母様のドレスを隠し持ってきたので、それを着用している。 「ねぇ、きいている? それとも、わたしの言うことが理解出来ない? ああ、ショックのあまり呆然としているのね。なんでもいいけど、とにかくクラークはすでにわたしのものよ。あなたから彼を奪ったの。いま、王都で大流行の略奪婚というわけ。というわけで、すぐに出て行ってちょうだい。夫を奪われた哀れな負け犬は、さっさと消えてしまうのよ。そして、嘆き悲しんで命を絶つなりなんなりすればいい。命を絶ったら、あの世で恨んでもいいわよ。化けて出てもいいしね。わたし、そういうのは怖くもなんともないから」  彼女は、わけのわからない持論を展開してから大笑いをした。 (王都で略奪婚が流行っているですって? 世の中、おかしなことになっているのね)  自分のことより、夫を略奪されたであろう多くのレディたちに同情を禁じ得ない。  というよりか、そんな不義が流行っているなんて世も末だと恐ろしくなった。  どのような世の中であれ、わたしは夫を略奪された。そして、略奪した張本人が領地までおしかけてきてわたしを屋敷から追い出した。  わたしのことが大嫌いな夫を略奪されるという災厄は、突然やってきた。  しかもこの朝、懐妊したのが判明したところだった。  わたしは、略奪された夫との子を授かったのだ。
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