第22話 転機―ペンタウェレ

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第22話 転機―ペンタウェレ

 チェティがいなくなったという知らせが大神殿に届くより、少し前。  ネフェルカプタハの伝言をイウネトから受け取ったペンタウェレは、その日の予定を全て部下に押し付けて、大急ぎでメンフィスの北の新しい街へと駆けつけた。  だが、ネフェルカプタハの見た時のまま、家の中には誰もおらず、ロバの姿も消えている。  「おい、ウセルハト。奴はいつ戻ってきて、いつ出ていった」 つい、詰問口調になってしまう。ウセルハトは、困惑した顔だ。  「昨日はロバが一頭いただろ。そいつを引き取りに戻ってたはずだ」  「気づきませんでした。物音も聞いていません」  「ちっ…。」 念の為に家に入って、敷物の下を確認するが、隠されていた武器も無くなっている。  (ここにはもう、戻って来ねぇだろうな) おそらく、疑われていることを察知して拠点を移したか、ここに宿を構える必要のあった用事が済んだのだ。  問題は、男の次の行き先だ。  「あの」 ウセルハトは、心配そうな顔をしていた。  「何か、拙いことをしたでしょうか」  「…いや。お前は何も悪くない」 そう、相手のほうが一枚上手だったというだけだ。  この時点で、ペンタウェレは確信していた。――ここに住んでいた異国人というのは、ただの一般人ではない、と。  兵士の詰め所へと戻ってきた彼は、ちょうど巡回に出ようとしていた兵士に呼び止められた。  「さっき、議会書記の人から伝言がありましたよ。戻ってきたらすぐ来てくれって」  「議会書記…ああ、父さんかな。ありがとう、行ってくるわ」 きっと、何か分かったのに違いない。  この何日かで通い慣れてしまった州議会の隣にある書庫に顔を出すと、セジェムが、文字のびっしり書かれた陶片のかけらを前に、難しい顔をして考え込んでいた。  「父さん、それは?」  「チェティが戻った。その報告だ。イウネトが届けに来てくれた」  「イウネトが? 何で、チェティが自分で来なかったんです」  「メリトの友達が家に戻っていないそうでな。探しに行ったらしい」  「はぁ? こんな時に?」  「ま、あいつはそういう奴だな。妹が落ち込んどるのを見て、後先考えず飛び出したんだろう」 セジェムは一瞬だけ苦笑して、それからすぐに真顔に戻った。  「それに、必要な情報はきっちり伝えて来た。行方不明になった遠征隊の行方が分かったぞ。読み通り、第二州に抜けていた。ロバもロバ引きも、そちらで雇われていたらしい」  「荷物は?」  「残念ながら、ほとんどは下流の州に送られたあとのようだ。ロバが戻るのに合わせて、船で待ち合わせしたようだな。ま、それ自体は予想の範囲内だ。問題は、ロバで二頭分の荷物が別口でメンフィスに送られた可能性がある、ということだ」  「ロバで、二頭分…二頭?」 ペンタウェレは、眉を寄せた。  「遠征隊の護衛だった異国人風の男が、自前のロバで持ち去ったそうだ。ふむ、その表情からして、何か突き止めていたようだな」  「ああ。ちょうど、新しく出来た街に一人で住んでいた怪しい異国人が姿をくらませた、って話を調べてたところなんですよ。ロバを二頭連れて、武器も持ってた。多分、そいつですね」  「なるほど。つまり、嗅ぎ回っているのに気づかれて、すんでのところで逃げられてしまったわけだ」  「ですね。悪ぃ父さん、これはオレの失態だ」  「なぁに、まだ遠くへは行っていないはずだ。追いついて、尻尾を捕まえられるかもしれんぞ」 セジェムは、にやりと笑った。  「大神殿の客人としてやってきた、異国人の貴族だ。奴の居場所を探れ」  「は? 探すのは傭兵なのに、貴族を?」  「遠征隊を手配したのは、その、パジェドゥなる貴族にくっついて来た書記のケンメスだ。ということは、遠征隊の護衛をしていた用心棒の雇い主も同じでなければおかしい。雇い主がまだこの街にいるのなら、高飛びはしないだろう?」  「ああ…なるほど、そういうことか」  「だが、ケンメスは貴族の付き人として、大神殿にも客人として迎えられておる。怪しいからといって、いきなりしょっぴくわけにもいかんからな。そこは、考えて動くんだぞ」  「分かってますよ。」  「必要があれば、ジェフティにも――」 言いかけた時にはもう、ペンタウェレの姿は部屋の外へ消えようとしている。敢えて続きを聞くまいとするかのように。  「やれやれ。相変わらずだな」 年の近い二人は、意地でも距離を置こうとするのだ。その原因となった少年時代の経緯もよく知っているだけに、セジェムは、強く引き留めようともしなかった。  州議会の建物を出たペンタウェレは、足の向くまま、メンフィスの中心街にある船着き場へと来ていた。  下流の街から来た異国人は船で到着したのだし、その船がまだあれば、まだ街にいるのかどうかくらいは分かると思ったのだ。  どの船なのかは、大神殿の衛兵たちに聞けば分かるだろう、そう思いながらふと見ると、ちょうど船着き場のあたりを衛兵たちが巡回している。  「おい、お前ら。何ウロウロしてるんだ?」 声を掛けると、衛兵たちは、怪訝そうになったあと、すぐに、はっとした顔になった。  「…もしかして、ジェフティさんの弟さん、ですか? 」  「そうだよ。」 不機嫌な顔をしながらも、彼は答える。容姿が似ていると、こういうとき名乗る必要すら無くて楽なのはいいが、あまり嬉しくはない。  「あいつの指示か? 何を調べてるんだ」  「異国人の用心棒を探してるんですよ。」  「ん? ロバで二頭ぶんの荷物をメンフィスに運び込んだかもしれないっていう奴のことか?」  「ええ、そうですが…ご存知でしたか」  「なるほど。ってことは、オレとあいつは同じ奴を探してるらしい」 チェティからの報告は、おそらく、先にジェフティのほうにも伝えられていたのだろう。情報の出どころが同じなら、探しているものも同じになるのは当然だった。  「大神殿に来た異国人の貴族でパジェドゥって奴に、書記がくっついてただろう。そいつが雇い主らしいんだが、まだ、この辺りにいるのか? どの船に乗ってきたか分かるか」  「それなら、あの船ですね」 大神殿の衛兵たちは、素直に船を教えてくれた。ペンタウェレの身元ははっきりしているのだから、隠す理由はないと思ったのだろう。  船は、桟橋の一番端に停泊している。船員たちはのんびり、船べりに腰掛けて釣りなどを楽しんでいる。すぐに出港する気配は無さそうだ。中に主人がいてはそう落ち着いてもいられないだろうし、船の主はどこかへ出かけているのだろろう。  (警戒してるふうもない。…ロバの荷物は、船には無いのか) 相手が貴族だろうが、怪しい荷物があれば、少なくとも、足止めして話を聞く理由くらいにはなる。だが、流石にそんな分かりやすい穴は無さそうだった。  「で、肝心の用心棒は――」 ちょうどそこへ、向こうのほうから衛兵の一人が駆けてきた。  「おい、居たぞ。目撃情報があった」  「んっ、どこにいた」  「倉庫街だけど…え? 州兵が何でここにいるんだ」  「ジェフティさんの弟さんだよ。何か、州軍のほうでも同じ奴を探してるらしい」  「っつーことだ。倉庫街のどこだって?」  「ええと…あの、建物を間切りして、区画で貸してる辺りですよ。そこの一番端の建物に、よく出入りしてたって話です」  「あそこか。おし、行こうぜ」  「……。」 なんだか妙なことになったな、とという顔をしつつつ、州兵たちは、ペンタウェレの後ろについてきた。  先陣を切って倉庫街にたどり着いたペンタウェレは、すぐにその場所を見つけた。数人の衛兵が集まって、辺りで聞き込みをしていたからだ。  「うっす、お疲れ。怪しい男が居たのは、このへんか?」  「…え、あっ、ジェフティさんとこの…」  「何だ、こないだウチの部下としてた奴じゃん。」 相手は、気まずそうな顔でそっと視線を逸らす。にやりと笑って、ペンタウェレは兵の後ろの倉庫を見やった。扉は固く閉ざされている。  「そこか」  「借り主は不在です。扉は縄で施錠されているので、勝手に入れません」  「ふーん、確かに、ここっぽいな」 入り口の近くには、ロバの糞が落ちている。倉庫の入り口は表通りとは反対側を向いているし、一番端の区画だ。人目を避けて出入りするには都合よく、隠し事もしやすい。  だが、ペンタウェレの目を引きつけたのは、それらの事実ではなかった。  倉庫から少し離れた、隣の建物との境目のあたりに、何か、見覚えのあるものが…。  彼は、近づいて、無造作に投げ捨てられていた布かばんを拾い上げた。  まるで、もう不要になった無価値なものを放り投げておいたかのようだ。開けてみると中には、書記の使う筆記用具一式が入っている。  「これは、チェティの…。」 間違いない。いつも持ち歩いていたのを見ていたのだ。何故、これが、こんなところに落ちている?  頭は素早く回転し、彼は、状況を理解した、  振り返って、閉ざされた扉に耳を当てる。人の気配はない。中から物音もしない。  とてつもなく嫌な予感がする。  ペンタウェレは、無言に腰から短剣を抜いて、目の前の扉を閉ざしている、取っ手にくくりつけられた縄を解きにかかった。  「あっ、勝手に…ちょっと!」  「お咎めなら、あとで受ける。時間が無ぇ」 縄が切れて落ちる。  勢いよく扉を開いて踏み込んだペンタウェレの前に、何もない、がらんとした日干しレンガの壁に囲まれた空間だけが広がっている。  「何もない、ですね」 後ろから覗き込んだ兵たちが呟く。  「倉庫を引き払ったあとでしょうか」  「ちっ…遅かったか」 奥のほうには、何か荷物が置かれていた形跡がある。地面に落ちている僅かな色つきの粉は、北の新しく出来た街に一人暮らしをしていた男の家で見たものと同じだ。  (おそらく、最初はあの家に隠していた。で、倉庫を借りて、こっちに移した) 袋の数は分からないが、顔料の材料となる色付きの石と、宝石類を入れたもの、最低でも二つはあったはずだ。地面には、幾つもの足跡が乱れ、袋をひきずったような跡がついている。  「おい。ここの借り主は? 調べがついているのか」 無意識のうちに、声は、危機迫る色を帯びていた。大神殿の衛兵たちは、思わず、びくっとなる。  「え、えっと。それは…今、聞き込み中で」  「最後に人が出入りしてたのは、いつだ。表にあったロバの糞はまだ新しい。今日あたり、来てたはずだろう?」  「はい、ちょうどさっき、聞き込みの途中で…異国人風の男が、ロバに何か積んで出ていったって話をしてました」  「何かって? どんな荷物か、聞いたのか」  「袋に入った、大きめのものらしいです。ロバの背中の両脇に垂れ下がるくらいのもあったそうですが。」 ペンタウェレは、唇を噛んだ。  (…人ひとり分くらい、ってことか) おそらくチェティは、一人でここへやって来て、拙い相手と出くわしてしまったのだ。そして、昼日中の街中にも関わらず、悲鳴一つ上げる間もなく攫われてしまった。  (そういうことが出来る奴らを知っている。暗殺でも、人さらいでも、簡単にやってのけるような奴らを) 握りしめた拳から、パキパキと関節の鳴る音がする。衛兵たちは、恐れをなして黙ったまま入り口から引き下がった。  「あ、あの、私たちは、引き続き聞き込みを…してきます!」 そうして、逃げるように辺りに散らばっていった。  ペンタウェレのほうは、何もない空間を睨みつけたあと、船着き場通りのほうに出た。  ――何が起きたのかが分かった今、やるべきことは、決まっている。  「おい」 逃げようとしていた大神殿の衛兵の一人を捕まえると、彼は、さっき拾ったかばんを、その手に握らせた。  「こいつを、大至急でジェフティの奴に渡して来い。で、オレがブチ切れてたっつってやれ。あいつなら、それで意味が分かるだろう」  「は、はい。分かりました」 衛兵は、怯えた顔で、こくこくと頷いた。  ペンタウェレは、片手で顔を覆いながらため息をついた。  ジェフティの手を借りなければならないのは癪だったが、事態が事態だ。意地など張っている場合ではない。  それからほどなくして、ジェフティは、ペンタウェレが大神殿の衛兵たちと一緒に聞き込みをしているところへ現れた。  「ペンタウェレ。状況は?」 声をかけられて、呼び出した側は、全く嬉しくなさそうに振り返る。  そっくりな顔をした、格好と体格だけが対照的な二人が並んで立っている。滅多に顔を突き合わせない者同士なのだ。たまたま気付いた州兵や大神殿の衛兵たちは、その様子を思わず二度見した。  「倉庫から、デカい荷物をロバに積んで運び出すのを見てた奴がいる。おそらく、中身はチェティだ。」  「生きているんだろうな」  「さあな。もしあいつに何かあったら、そん時は、オレが処刑人になることを許してくれ」  「殺人罪は通常、大神殿の法廷では裁かない。州側の法廷だ。根回しするなら、執政官どのだろう」  「場所によるだろ?」  「……。」 ジェフティは、じっと目の前の弟を見つめた。  「西の墓地か」  「さすがクソ兄貴、話がはええ」 ペンタウェレは、全く嬉しくなさそうに口元を歪めた。  「街の外に出るところまでは足取りが辿れたんだ。行き先なんて、そう多くない。これから行って、取り戻してくる。街中のほうは任せたぜ」  「ああ。引き受けた」 ほとんど必要最低限の会話だったが、彼らは、自分のなすべき役割を理解していた。  特権に守られた者たちを追い詰めるためには、状況証拠を突きつけるだけでは足りない。聖と俗、両方から攻める必要があるのだと。
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