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第10話 秘密の夜
「弟だろうなあ」
チェティの持ち帰った情報を聞くなり、父は、あっさりとそう言った。
食事を前に向き合っていたチェティとジェフティは、きょとんとした顔になる。
「弟…ですか」
「そうだ。レフェルジェフレンには優秀な弟がいた。下流の州で州知事をやっておったが、つい最近、王の僭称者の側についた。名を、アンテフイケルという。」
相変わらずの記憶力だ。と同時に、チェティも、合点がいった。
下流で使う用の船。葬送用の石碑の碑文。そして、――名を隠して発注しなければならない理由も。
「なるほど。ということは、中央政府から見れば、敵側についた裏切り者ですね。その手の者が堂々とメンフィスに出入りしていると知られるのは、確かに都合が悪い」
と、ジェフティ。
「それに州知事ともなれば、並の貴族より遥かに財力があります。元々こちらの出身なら、工房の種類や場所についても詳しいはずですしね」
「うむ。と、いうわけで謎の貴族の正体は分かったが、問題は、そやつがオアシスに送った隊商は、我らの王陛下の仕立てた遠征隊と、どう関係しているのか、ということだな」
セジェムが言うのと同時に、どこかから吹き込んだ風で、小さな灯りがかすかに揺れた。
部屋の中は既に薄暗い。今はもう、夜の時間なのだ。
「両者の出発が、ほぼ同時期というのが気になっています」
チェティは、思ったことを素直に口にした。
「無関係とも思えません。同行したシェシ親方が戻ってきて、話が聞ければ何か分かるかと思いますが、それを待っていられないのなら、首都にも人を送って、今回の遠征隊を調達したのが誰なのか、ロバ引きや警護はどういう人をつけたのか、もう少し情報を集めたほうがいいかもしれません」
「それなら、パイベスどのが調べておるよ」
「え、執政官どのが、ですか?」
「ただ座って報告を待っているだけの方ではない。元は軍部の高官だったのだ。軍人の同僚には、人のつてがあるとのことだったな。警護にあたった者の素性くらいは分かるだろう」
「今は、州知事どのも首都に滞在されているはずですね。船で発たれたようですし、どんなに遅くとも明日には到着されているはず」
ジェフティは、あごに手をやって考え込んだ。
「…そういえば、中央政府は、なぜ州知事どのをわざわざ召喚したんでしょうか。この件の調査の指揮を執らせるつもりなら、逆に、呼ばずに当地に留めるはずですが」
「呼んだのが、王本人か、その取り巻きかでも話は変わるが、な。」
セジェムの言葉には、いちいち含みがある。
「急ぎで解決が必要なんですよね?」
チェティが言うと、父は、小さく頷いた。
「遠征隊の荷物を取り戻すことは重要ではない。というより、それは、もはや不可能だと思っている。遠征隊が送られたのは二ヶ月前。何か起きたとすれば、一ヶ月も前だろうからな。――わしらが気にしなければならんのは、何が起きて、誰が関わっているのか、だ」
「確実な証拠が必要ですね」
と、ジェフティが口を開く。
「西の墓地に送った巡回兵が、明日、戻ってくることになっています。私のは、彼らから現地の状況を聞いておきましょう。チェティ、お前は工房で、王家からの依頼を請けた者がいるか、調べてくれないか」
「えっ? どうしてですか」
「隊商でメンフィスまで物資を輸送するつもりだったなら、先に職人の予定を押さえておくものじゃないか?」
「あっ、…確かに、そうですね」
それから、しばらく考え込んだあと、ぽつりと呟く。
「それと、街の職人街では、王の遠征隊が行方不明という話は、誰も知りませんでした。」
「ほう。」
「他の遠征隊もしくは商隊についても、です。…この件は、誰か中央政府の人が調べたあと、のはずなんですよね? なのに、誰もメンフィスの街で聞き込みはしていないような気配でした。不思議です」
「……。」
セジェムも、ジェフティも黙ったままだ。
何か思いついたことがあるにしろ、確証がないなら口にしない。二人とも、そそういう性格なのは、チェティが良く分かっている。
「そろそろ、時間も遅いな。続きは明日にして、床に就くとしようか」
飲みかけだったビールの残りを流し込んで、父は、席を立った。食べかけの皿はチェティが、間違えて蹴飛ばさないよう台所のほうへ運んでいく。
もう、ご近所は寝静まっているのだろう。通りは静かで、どこか遠くで野犬の喧嘩するような吠え声が聞こえるくらい。台所から繋がる裏口のほうは真っ暗で、かまどの上にある排煙口から、明るい月明かりが差し込んでいる。
階下にいた三人がそれぞれの寝室に入っていく物音を聞いていたのは、二階にいた少女たちだ。
メリトとイウネトは、同じ部屋に寝台を置いていた。本当ならとっくに眠っていなければならなない時間だったが、二人ともまだ起きていて、話し声が止むのをじっと待っていたのだ。
扉に耳をぴたりとつけて注意深く気配を探っていたメリトは、振り返って、義理の姉になるはずの一つ年上の少女に囁いた。
「お父さんたち、そろそろ寝たみたい」
「うん、でも、抜け出すのは良くないわよ」
イウネトは、寝台の端に腰を下ろして、困ったような顔で言った。
「ほんとに行くつもり? 予言の壺なんて、どうせ当たらないわよ」
「あたしはどうでもいいんだけど、ケミィが、どうしても行きたいっていうんだもん…。一人じゃ怖いって…。」
「まったく。」
イウネトはため息をついて、首を振った。
二人が話しているのは、数日前の結婚式で聞いた噂のことだ。
籠屋通りと織機通りの間にある空き地の地下室にある赤い壺に聞きたいことを囁い何か入れておくと、翌日、返事が来ている――。
そんなものは、ただの子供騙しの作り話しだとイウネトは言ったのだが、メリトの友達で、最年少の少女ケミィは信じ込んでいて、どうしても、いちど試してみたいと言い出したのだ。
だが、一人で行くのは怖い、と、いちばん仲の良いメリトに同行を求めてきたのだった。
「あたしは将来とか興味ないもん。付き添いだけ」
メリトは、頬を膨らませながら言い返す。
「信じてない。そんなの信じるほど、子供じゃないもん。友達のためだから。ね。イウネトお姉ちゃん、黙っててね」
「しょうがないなあ。」
イウネトは、つたない偽装工作のされた隣の寝台を見やった。
そこには、服を丸めて、上から掛布をかけて人が寝ているように見せかけている。
すぐにばれそうなものだが、暗ければ気づかないかもしれない。子供ながらの知恵を働かせた結果だった。
「誰か来たら、寝てるって言っておくから」
「ありがとう、イウネトお姉ちゃん!」
「でも、早く帰ってくるのよ。気をつけてね」
「分かってる」
二階の他の部屋が寝静まっているのを確認してから、メリトは、足音を忍ばせて階段を降りてゆく。
イウネトは寝台の上で、もう一つため息をついた。
(今日は、月が明るいから大丈夫よね…。)
城壁の中なら、夜でも巡回の兵がいる。時々野犬がうろついているくらいで、治安は悪くないのだ。とはいえ、こんな夜に幼い女の子二人だけで出歩くなんて、無謀も良いところだった。
(何も無いと、いいんだけど。)
無理にでも止めるべきだったのか。それとも、せめて自分も一緒についていけば良かったのか。
イウネトは、気が気ではないままに、寝台に横たわりながらメリトの帰りを待っていた。
それから何時間かして、月の角度が変わり始める頃、ようやくメリトは戻ってきた。
うとうとしかかっていたイウネトは、はっとして、扉を軋ませながらそろそろと部屋に入ってくる影を見守った。
どこも、怪我などはしていなさそうだ。ほっとして、イウネトは寝台の上に起き上がって、もう一人の少女を出迎えた。
「お帰り。寒かったでしょ」
「うん…。」
メリトは、妙に落ち込んでいる様子だった。
彼女が隣の寝台に潜り込むのを待ってから、イウネトは、顔を寄せて話しかけた。
「どうだったの」
「あのね、もう何か、入ってたんだって」
「入ってた?」
「何か、文字の書かれた紙切れだって。前に来た人へのお返事かもって、ケミィが言ってた。でも読めなくて、そのまま壺の中に入れてきたんだって」
「紙切れ…、それって新しいもの?」
「わかんない。でも、きっとそう。そのまま戻して来たって、ケミィは言ってた」
それなら、「返事が来る」という部分は、噂ではなく本当なのか。噂を聞いて、前日にこっそり地下室に入った誰かがいて、次の日に、つまり今夜のうちに、返事を取りに行くつもりだったのかもしれない。
もっとも、その場合は、返事を入れたのが誰なのか、という話になるのだが。
「地下室っていうのは、本当にあったのね」
「うん。赤い壺も本当だったって。中に入るまでは怖がってたけど、いったん入っちゃえば大したことなかったみたい」
「ケミィは、諦めたの?」
「また行くんじゃないかな。だけど、あたしはもう、付き合いたくない。ケミィの家は職人街だから近いけど、うちからじゃ、ちょっとと遠いもん。途中で巡回の兵士さんに見つかりそうになって、しばらく隠れてたんだよ。疲れちゃった」
ふあ、と小さく欠伸をして、少女はごろりと寝返りを打った。
「それじゃ、おやすみ…」
「おやすみなさい」
イウネトも、隣の寝台で目を閉じる。
少女たちの一夜の小さな冒険は、これで終わりなのだ。ケミィだって、そう何度も夜に家を抜け出して、家の人にばれないとも限らない。
友達のメリトも付き合ってくれなくなれば、一人で夜に出歩くなんて出来ないだろうし、そのうち諦めるだろう、と、イウネトは、そう思っていた。
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