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第12話 遠征隊の行方
ネフェルカプタハとペンタウェレが北の街で出くわしていたその日、チェティのほうは、再び職人街での聞き込みに奔走していた。
まずは、昨日と同じき貴族や王族が懇意にしている高級品の工房からだ。
王もしくは王家からの注文が入っていないか、という質問をして回ったのだが、いずれの工房も、そんな注文や予定の先押さえは請けていない、と答えた。
それどころか、この先、ろくな仕事が入ってこないのではないかと、心配している声ばかりが上がってきた。
「下流の州が勝手に王を名乗ったって聞いた。ってことは、交易路が絶たれたんだろう? 木材も、銀や銅も、北方か東方から来るもんだろ」
「貴族連中からの発注は、このところ減ってるよ。南のクシュからの金も入ってこないって聞いたが」
「どうなるのかねえ。石材ならなんとかなるだろうけど、棺は木製だろ? 職人の仕事が無くなっちゃ困るんだがね」
「……そうですね」
工房に務める職人たちの心配はもっともだった。
チェティも、この先どうなるか分からないのだから何も答えようがない。ただ話を聞いて、相槌だけ打っては次の工房を訪ねる。その繰り返しだ。
そうしているうちに、イウヘティブの勤めている工房の前までやって来た。
入り口を覗くと、昨日と同じように職人たちが忙しそうに仕事をしていた。だが、イウヘティブの姿は見当たらない。
(あれ…?)
「何だ。昨日の役人じゃないか。」
代わりに、強面の親方が表にいて、弟子たちの仕事ぶりを眺めていた。
「少し、聞きたいことがあったんですが…イウヘティブさんは、今日は仕事じゃなかったんですね」
「仕事だとも。どうせまた、サボっとるんだ」
親方は、むっとしたように答えた。
「あいつめ、娘との結婚が決まってからというもの、仕事に身が入っとらん。一人前になったとはいえ、まだまだ技術が甘い。結婚を許したからといって、それで終わりと思って貰っちゃ困るんだがな。」
「はあ…。」
イウヘティブがサボりとは。普段はそんなふうには見えない、真面目な好青年だと思っていたのだが。
「で?」
親方は、チェティをじろりと見やった。
「今日は何の用だ」
「あ、はい。…最近、王家からの依頼を請けたことはないかと思って聞きに来ました。もしくは、請ける予定で先押さえしたい、という話などは?」
「ない。」
親方は、きっぱりとした口調で即答した。
「王家の誰からも、依頼など来ていない。この通りの工房はどこも、請けていない。そんな話があれば、すぐに噂になる。他のところに聞くだけ無駄だ」
「…そうですか」
ということは、石工たちにも声がかかっていないのだ。
貴金属や木材を使う品なら、それらが手に入らないという理由で依頼しないことがあるにしても、石材までとは――。
そもそも、西のオアシスで手に入る貴重品と言えば、像の目にはめ込む象嵌用の石や準輝石、或いは、石碑や棺に塗りつける色のための染料なのだ。石工を手配しておかずに、遠征隊を送るなんてことは、あり得ない。
今までに聞き込みをしてきた工房のいずれにも発注や予約をかけていないということは、遠征隊が無事にメンフィスに到着していたとしても、仕事の依頼すら出来ないではないか。
奇妙な話だった。
調達物品は王の埋葬準備のための資源、納入先はメンフィスの街の工房、という、事前情報と全く噛み合わない。
(もしかして、物品か納入先が違う? それとも…)
ふと、ロバ飼いの組合で聞いた話が思い起こされた。
ニヶ月前に、道案内役の親方の斡旋だけを求めた謎の貴族――下流の州の州知事は、ロバも、ロバ引きも、護衛の兵も自前で準備していた、という。
そして出発は、王の遠征隊と同じニヶ月前。
何か、根本的な勘違いをしている気がしてきた。何かを見落としている。或いは――。
「おい。どうした」
動きを止めてしまったチェティを見て、親方が声を掛ける。
はっとして、彼は慌てて頭を提げた。
「すいません、お忙しいところお邪魔しました。ありがとうございます」
「あん? もういいのか。お前さん――」
大急ぎで立ち去っていくチェティは、そのあとの言葉を聞いていない。
やれやれ、というように首を振って、大柄な石工の親方は、奥の自分の仕事場へと戻っていった。
頭の中で渦を巻く考えがまとまらないままに、チェティは、再びロバ引きの組合を訪れていた。
ちょうど、組合の前にロバが数頭、集められていて、ロバ引きが受付で何か話している。
「んじゃあ、今日からまた一ヶ月。しっかり頼むぜ」
「ああ。行ってくる」
ロバ引きは、ロバたちを連れて北の方に去ってゆく。
入れ替わるように受付の前にやって来たチェティを見て、昨日と同じ受付の男は、不思議そうな顔になった。
「昨日のお役人さんじゃないか。どうしたんです。まだ、何か?」
「いえ、少し…。今のロバたちは、どこへ送られたんですか」
「ああ。北の、城壁作りさ。契約更新が一ヶ月ごとになってて、その手続きに来てたんだよ。今、うちからは三十頭ばかし出してるね」
「じゃあ、あの人はずっと、城壁づくりをしてるんですね」
「そうなりますな。いつもは仕事のない時期なのに、今年はそれがあるんで儲かってますよ。」
「西へ向かう隊商は、ここ半年、出ていないという話でしたよね」
「そうだよ。昨日お話した一件だけだ。それも親方を紹介しただけだが」
「あの…」
自分でも何を聞こうとしているのか分からないまま、チェティの口からは、質問がこぼれ出た。
「首都から西のオアシスへ向かう時に、メンフィスを経由せずに、湖のほとりを通る道を案内することは、在り得るでしょうか」
「――ん? どういう意味です」
「いえ…、メンフィスからオアシスへ向かう際に、道案内の親方が、通常の隊商の道以外を選ぶことは、在り得るのかと思って」
そう。
そこが、問題なのだった。
そもそも、今回の調査対象の不可解な遠征隊は、最初から普通とは違う道を辿っていた。
王の遠征隊は、なぜ、通常は使われないような道を辿ったのか。…行きの道が通常と異なっていたのなら、帰り道もそうだったのかもしれない。
ただの思いつきに過ぎない質問だった。この時点ではチェティはまだ、自分の抱いている疑問の正体に気づいていない。
ロバ引き組合の男の回答は、明快だった。
「うーん、考えにくいですねえ。あそこは沼地が多いでしょう。おまけにワニだらけだ。水位の高いこの季節だと、湿気が多いのもロバは嫌がります。ご存知か分かりませんが、ロバってのは水が苦手なものなんですよ。だから、普通なら、あの道は使われないんです」
「なるほど…。それじゃ、普通ならあり得ないんですね」
「面倒でも、いちどメンフィスまで戻ったほうが結果的には早いですね。まあ、それでも湖の縁を無理やり突っ切ったんなら、よっぽどの素人か、意外性のある道を試してみたかったとかいう馬鹿くらいじゃないですか?」
(――意外性?)
チェティの頭の中に、何か明かりが閃いた。
そう、意外性だ。誰も、そんなところを通ろうとは思わないような。
首都から西へ向かうロバを見かけたとしても、誰も行き先が沙漠の向こうとは思わない。近くの街か、せいぜい湖の対岸くらいに行くのだと思うに違いない。
探している遠征隊が雇ったのは、素人の案内人ではない。なのに敢えて通常と違う道を辿ったのなら、内密に出発する必要があった旅なのかもしれない。
だとしたら、それは何のため?
「もう一つ聞きたいのですが、オアシスからメンフィスに戻って来る時、隊商の道以外を使うことは出来るんでしょうか。」
「ええ? うーん…そうですね…難しいですな。ただ、昔、砂嵐の季節に道に迷った商隊が少し下流に出ちまったことがあって、川べりを辿って戻ってきた、って話を聞いたことがありますね」
「下流…メンフィスより下流ってことは、北の岸辺ですか?」
「そうそう。まあ、帰路はとりあえず東へ向かえば、どっか川べりにはたどり着きますからね。川に出ちまえば、あとは北か南か、陸路で向かう先はどっちかしか無いでしょう」
(…もしかして)
チェティの頭の中で、見えなかった可能性が明確な形を得て組み上がってゆく。
行きで案内人が必要だったのは、通常と異なる道を辿って目的地へたどり着くため、湖を越えた先で、本来の「隊商の道」と合流する地点をが探す必要があったためかもしれない。
逆に、帰り道は、本来の道を辿れば州境界までは戻って来られるし、メンフィスのある第一州の近くまで来たところで道から外れても、とりあえず東へ向かえば、川べりに出ることは出来る、という。
そう、不可解な道を辿り、帰路で姿を消した遠征隊にとって、案内人が必須なのは、行きの道だけだった。帰り道は最初から、途中までしか正規の道を辿るつもりがなかったのに違いない。
その隊商が、消えた場所、つまり目撃情報が途絶えた場所はメンフィスのすぐ西、沙漠との境目。
そこから真っすぐ東へ向かわずに、少し北の方角にずれて川べりに出た、としたら――?
「あの、ありがとうございます! 助かりました」
「ん? ああ、良くわからないけど、お役に立てたんなら…」
ぽかんとしている受付の男を振り返りもせずに、チェティは、全速力で役所を目指して走り出した。
もし、考えているとおりだったとしたら、行方不明になった遠征隊の行方は――。
「父上!」
叫びながら書庫に駆け込んできたチェティを見て、さすがに今回ばかりは、父も、いつも居る老齢の書記も、びくっとなって振り返る。
「なんだい、チェティ。そんなに慌てて」
「今から、第二州に行ってきます。出張申請と、兄さんへの伝言、頼めますか」
「構わんが…、第二州? 隣の州に一体、何の用だい」
「確かめたいことがあるんです。」
チェティは、手早く状況を説明する。
「遠征隊が湿地帯を通ったのは、意外な道を通ることで行方をごまかすためだったかもしれません。だとしたら、帰路も通常とは異なる道を辿った可能性があります。途中で隊商の道を逸れて、メンフィスより少し北の川べりに出たかもしれない。この州に入っていないなら、北の『下の国 第二州』…ケペシュ州に出るはずです」
「――ほう。なるほど」
セジェムはすぐに、状況を飲み込んだ。
「そこでロバ隊を解散させて、荷物を船に積み込めば、誰も、元が王の遠征隊の荷物とは気づかんな」
「はい。なので、第二州との境界あたりで直接、目撃情報を探します。それらしい荷物を積んだ船がメンフィスに入港したかどうかの調査は、ペンタウェレ兄さんにお願いしてください」
「うむ。伝えておく。が、第二州に行って戻るには、最低でも四日はかかるぞ。調査を入れれば五日だ」
「今から出て、今日中に船を捕まえれば…なんとか四日で収められるはずです」
「ならば、これを持っていけ」
振り返ると、書庫の奥の部屋の前にパイベスが立っていた。州の印の入った印章を差し出している。
チェティもすっかり忘れていたが、パイベスの執務室は、議会書庫の隣の部屋。つまり、いま話している場所のすぐ隣なのだ。
「執政官どの…えっと、すいません。報告もなしに」
「ふん、そんな大きな声で話していれば、いやでも聞こえるわ。ようやく掴んだ手がかりだ。空振りでないことを祈りたいところだな」
差し出された印章は、紐を通して首から提げられるようになっている。州知事の正式な遣いが身につけるものだ。
「いいんですか」
「構わん。今回の仕事は州の用事なのだからな。それがあれば、メンフィスの船着き場でも、隣の州でも、最大限の便宜を図ってもらえるだろう。とっとと船を見つけて、行ってこい」
「ありがとうございます!」
受け取った印章を大切に首に提げて上着の下に入れると、チェティは、入ってきた時と同じように勢いよく飛び出してゆく。
「まるで葦の茂みから飛び立つ水鳥の如く、だな。」
上司が何気なく呟くのを聞いて、セジェムは眉を寄せた。
「お言葉ですが、あの子は物音に驚いて飛びたつ水鳥ほど臆病ではありませんぞ。せめて耳聡く俊敏なること兎の如し、とかですな」
「兎か。それよりは――おっと。それよりも、今の話しだ」
パイベスは、セジェムのほうを軽く睨んだ。
「さてはお前、こうなることは分かっていたな? 行方不明になった理由が単なる賊の襲撃ではないと、最初から予想していただろう」
「まさか。遠征隊が消え失せるなど普通に考えてあり得ない、分かっていたのはそれだけです。あとは、誰がどうやって、遠征隊の行方を誤魔化したのか、ということ」
今ばかりはセジェムも、いつもの、人を煙に巻くような笑顔ではなく、真面目な表情になっていた。
「我々はまだ、”誰が”この件を仕組んだのか、という本題に入れておりません。いえ、――正確には、この調査依頼がどういう意図で出されたものか、という点が分かりませんな」
「意図?」
「王の遠征隊とやらは、そもそも正規のものだったのかどうか。チェティの言った通りです。行きの道が通常とは異なっていた時点で、その出発は、首都の監視の目を欺いたものだった可能性がある。帰路も同じく、追っ手を逃れるような道筋を選んだ――となれば、その遠征隊自体が、どうにもキナ臭いと思いませんかな」
「む…、」
パイベスは、思わず唸らざるを得なかった。
「ところで、首都に送られた使いのほうは、いかがですかな。遠征隊がどういった構成だったのか、お調べになっていたでしょう」
「おそらく、明日には戻るだろう。遅くとも明後日には」
憮然とした顔のまま、男はくるりと背を向けた。
「使いが戻れば報せる。それまでに、調べられることは調べておけ」
戻ってきたペンタウェレから彼らの元に、新たな事実が伝えられるのは、その日の夕方のことだ。
「政府軍と思われる兵たちが、州境界の先の沙漠で一週間ほど人目を避けて哨戒を行っていた」。
その事実は、チェティやセジェムの推測を裏付けるものでもあった。
行方知れずとなった王の遠征隊は、おそらく、王の意図に反して送り出されたものだった。
そして、王家の名を使ってオアシスで貴重な物資を手に入れたにも関わらず、持ち去られた積荷は、王の手元には渡らなかったのだ。
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