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第13話 大神殿への訪問者
ジェフティは、大神殿の奥にある書記たちの仕事場、筆写室で、西の墓地に送った巡回兵の報告を受けていた。
メンフィスの西方に広がる墓地は、歴代の王や貴族たちの墓があり、大神殿が警護をするという名目で管理費を受け取っている。つまりは大神殿の所領と同じ扱いの警備管轄内にあたる。
王の遠征隊の足取りが途切れたのはメンフィスの西にある墓地に入るあたりという話だったから、衛兵を追加で送って巡回させていたのだった。
もちろん、何か見つかることだけを期待していたわけではない。
単純に、遠征隊がその辺りで盗賊に襲われた、とかいう話なら、兵を送るまでもなく、とっくに目撃情報が聞こえてきているはずだった。そうではないのなら、襲撃の可能性は低い。
それに、遠征隊が行方不明になったのは、一ヶ月以上も前のはずなのだ。今から手がかりを探しても遅い。
ジェフティが知りたかったのは、沙漠からメンフィス州の領域内に入るあたりの、今の治安状況だった。
少し前まで、西の古い墓地のあたりには、空っぽになった岩窟墓を利用して、勝手に住み着いていた移民がいた。他にも何か異常があるのではないかと、彼は疑っていたのだった。
だが、戻ってきた衛兵は、それを否定する報告をしていた。
「怪しい動きは在りません。新たに住み着いた者もおりませんでした」
目の前には、ジェフティの信頼している古参衛兵の一人が立っている。実戦経験こそ乏しいが、もう数十年、大神殿に出入りするありとあらゆる類いの人間を観察してきた、人を見る目においては長けている、哨戒役にはうってつけの、抜け目の無い兵士だ。
「ただ、ピラミッドの辺りには人が多いようでした。ほとんどは異国人です。観光…というか、物見遊山というか。そんなところですね。元兵士と思われる者もいれば、明らかに民間人と思われる者、女子供まで。高台に並んでいる三基は特に目立ちますから、遠くから見て、やって来たようでした」
「……。」
ジェフティは、小さく頷いただけで無表情に続きを促す。
「ピラミッドに登って、転がり落ちて難儀している者を救出しました。それから、中に入れないのかと聞いてきたりする者もいて、これは神王さまたちの王墓だから下手に触ったり登ったりしてはいけないのだと説明するのに一苦労でした。なぜこんなものを作ったのか、とか、何の意味があるのか、とか、とにかく質問攻めでしたよ。あの辺の巡回は、もう少し増やしたほうがいいかもしれませんね」
「――なるほどな。」
ピラミッドの前には、それが作られた当時には、墓守と祭祀のための住民が暮らす、門前町とでも言うべき小さな集落があったのだ。警護も、異国人への説明も、その街の住民が引き受けていた。
だが、その集落も、何百年か前の戦乱の時代に王家からの支援が途絶えて以来、廃墟となって久しい。王墓もかなり荒らされて、今では、沙漠の中にただ屹立している、岩の山だ。
メンフィスの街からも少し距離があり、定期的な巡回は出来るにしても、常時見張っているというわけにはいかなかった。
「今の王家からは、あの場所の管理は申しつけられていない。プタハヘテプ様に確認はするが、冥界神の神殿としては、墓所が荒らされることを防げれば、それ以上を求められることは無いと思う。」
「では、今まで通りの巡回で?」
「そうしてくれ。ただの観光客ならある程度は大目に見ても構わない。明らかに怪しい連中がウロついているようなら、その時は報告を上げてくれ」
「かしこまりました。」
兵は、一礼して機敏な動作で部屋を出てゆく。
ジェフティは、組んでいた指をほどいて、小さく息をついた。
(異国人、か…。)
もちろん、異国人全般が怪しいわけでもないし、必ず犯罪者になるわけでもない。この国に馴染んで、規律を守って暮らしている者も沢山いる。弟チェティの許嫁、イウネトの母親だって、元は異国人だった。
ただ、何ヶ月か前、神像が行方不明になった事件の時に出くわした男のように、あからさまにこの国に対して害意を持つ、油断の出来ない相手が混じっているのも事実なのだ。
入れ替わるようにして、別の兵士がやって来た。
「失礼します。西の墓所の巡回の件でご報告事項があります」
「うん? さっき、ピラミッドのある高台の件は聞いたが、それ以外の場所なのか」
「高台の下の墓地のほうですね。異常があれば報告してほしいという話でしたが、その辺りで放牧していた地元民が妙なことを言っていたんです。しばらく前に、妙な兵士が勝手に幕営していた、と」
「幕営? 州軍なのか」
「いえ。どうも、格好からして違いそうです。州軍ならメンフィスの印を付けているはずですが、それは無かったと。代わりに、革張りの盾を持って小姓を連れた、立派な格好の男がいたそうです」
すうっ、とジェフティの眼差しが静かになった。
「…王の直下。政府軍か」
「そうなんでしょうか。十人以上いて、何人かずつ組になって出入りしていたそうです。時期は一ヶ月近く前だと。話を聞いた地元民曰く、その兵士たちに依頼されて、毎日、川べりからロバで水を運ぶ仕事を、しばらくやっていたそうです。それなりの駄賃を貰えたと話していました」
「つまり、簡易的な駐屯基地を作っていたわけだな。場所は、州境界の先なのか」
「そのようですね。場所を聞いて確認しに行ってみましたが、確かに、数十人が生活していたような痕跡が見られました。残っていたものは何もありませんでした」
「そうか、分かった。有用な報告をありがとう。その件で何か追加で分かったことがあれば、すぐに知らせてくれ」
「はい」
二人目の兵士も、一礼して筆写室を出ていく。
ジェフティは、考え込んでいた。
(一ヶ月前に、政府軍? ――しばらく留まっていた。…と、いうことは、おそらく、探していたのは 西から戻って来るはずの遠征隊か)
不可解だった状況の意味が、少しずつ見え始めていた。
そして、彼もまた、ペンタウェレと同じ結論に達しようとしていた。
この依頼には、何か、裏の事情があるのだと。
しばらく思考したのち、彼は筆写室を出て、大神殿の本殿へと向かった。
この時間、大神官プタハヘテプは至聖所の脇にある神官専用の書庫のほうで、経典を読むか、筆写するかしているはずだった。必要最低限しか修行したがらない息子とは違い、神官としての職務遂行のための自己研鑽には余念がないのだ。
だが、いつもと違い、今日は、来客の案内中だった。
本殿の脇まで来た時、ジェフティは、プタハヘテプが変わった容姿の二人連れとともに参道を歩いているのに気がついた。
一見すれば、貴族と書記という、良くある取り合わせ。
だが、前を歩く貴族のほうは、明らかに異国人風の顔立ちで、後ろに付き従っている老齢の書記のほうが、この国の人間のように見えた。
「おお、ジェフティ。ちょうど良かった」
プタハヘテプは、立ち止まってこちらを見ているジェフティに気づくと、笑顔を作って彼を呼び寄せた。
「下流の州から来られた客人で、パジェドゥ殿と、書記のケンメス殿だ。工房のほうも見たいと仰せでな。市街地の案内なら、お前が得意だろう。こちらの方々をお連れしては貰えないか」
言いながら、軽く目配せしてみせる。
「はい、それは構いません。」
疑問を隠しつつ、彼は、平静さを装った。
「どのような場所をご希望でしょうか。」
「装飾品の店、見たい」
名前こそ、この国のものだが、外見はどう見てもアジア人な男は、たどたどしい言葉で言って、にっと歯を見せて笑った。
「いいもの、立派なやつ、たくさん」
「気に入ったものがあれば購入して帰りたいとのことです」
後ろに付き従う書記が、通訳代わりに付け足した。
「畏まりました。では、装飾品から見てまいりましょう。金細工、宝石細工などの店が集まっている通りがございます。ご予算は、いかほどでしょうか」
書記は、貴族の格好をした男に何か囁き、話し合ったあとでジェフティに答える。
「予算の上限はありません。出来るだけ上質なものを見たい、とのことです。王が身につけるような品を」
(――なんとも、大それた客人だな)
薄い笑みの下で彼は、奇妙な二人連れを観察していた。
下流から来た、と、プタハヘテプは言っていた。だとすると、叛旗を翻した下流の三州のいずれかからに違いない。
王を名乗って即位式まで行ったアヴァリスの州知事は、異国人を優遇する政策を採っているとう。だとすれば、この異国人は何がしかの官位に取り立てられた新興貴族とでも言うべき地位のはずだった。
「この街へは初めて来られたのですか。」
歩きながら、ジェフティはそれとなく訊ねる。
「はじめて。大きい街。こんな街は、見たことがない」
「そう、閣下は初めてです。この国に来られて、まだ一年経っておりませんから。」
「そうですか。では、次は祭りの時期に来られると良いかと思います。収穫の時期には豊穣祭があります。実に賑やかなものですよ」
大神官が自ら案内した、ということは、それなりの寄進を申し出たのだろう。そして、州高官のような肩書を持つ人物だったに違いない。
この国に来て、たった一年の異国人が、わざわざそんなことを? 何のために?
ジェフティは、賑やかな大通りを選んで客人たちを案内した。
異国から来た貴族は目を見張り、あちこちをキョロキョロ見回して、いかにも都会に慣れていないふうの態度だ。時折、後ろに付き従っている書記に何か尋ねては、ひそひそと話し合っている。
漏れ聞こえてくるジェフティには分からない単語からして、どうやら、異国の言葉で会話をしているらしかった。
(と、いうことは、この書記は異国人の言葉が分かるのか。成る程な)
元々、国境に近い州には異国人が多く住み着いていた。反旗を翻した州とは、そうした州ばかりだった。
異国人の血を引くか、親しく接していたこの国の住民も多かったのだろう。そうでなければ、いきなり異国人の優遇政策を取って新たな王を名乗ることなど、あり得ない。
(問題は、そんな連中が、何故この街へ来たのか…だ)
ジェフティは、工房の立ち並ぶ職人街の手前で足を止めた。
「こちらが職人街でございます。高級な装飾品を作っております。特注品が多いですが、出来合いのものも、いくらか置いてありますよ」
「おお!」
異国人の貴族は、金細工の工房に駆け寄って、明るい入り口付近で小さなノミで丁寧に金を整形している職人の手元をじっと見つめた。
人の近づく気配に気づいた職人が、むっとしたように顔を上げる。
職人が言いたいことを瞬時に察したジェフテイは、やんわりとした口調で、客人たちに告げた。
「あまり、近づきすぎませんよう。手元に影が落ちては作業出来ませんし、金の欠片が飛んでしまいます」
その言葉の意味を理解しているのか、していないのか、パジェドゥは、興奮したように何か、異国の言葉で呟く。
「”素晴らしい。完成品は無いのか”と仰せです」
通訳の書記が言う。
「――訊ねてみます」
ジェフティは、工房の奥にいた、顔なじみの男に声をかけた。
「こちらの方が、上等な品を見たいと仰せだ。貴族に注文を請けて作っているような品は?」
「ありますが、…旦那。あいつ、アジア人じゃないんですかい?」
「異国人だが、下流の州では高官らしい」
ジェフティは、抜け目のない付き添いの書記には聞こえないよう、小声で囁いた。
「金払いは良さそうだ。気に入ったものが購入するとも言っている。丁重に扱うといい」
「へえ、そういうことなら」
職人は、意図を察したようにニヤリとして、客人たちのほうを振り返った。
「奥へどうぞ。試着のための部屋がありますから」
貴族と書記は、工房の奥の明るい部屋へと案内されていく。
ここは、賓客をもてなし、商談をまとめたり、完成品を確認してもらったりするための部屋なのだ。庭園のように仕立てられた中庭に面して、居心地よく仕立てられた部屋に長椅子と小さな卓が置かれている。
「こちらでお待ちを。」
引っ込んでいった職人は、やがて、手にした台座の上に、幾つかの品を載せて現れた。
金の腕輪が幾つか。それと、宝石と金を組み合わせた立派な胸飾り。足に嵌める輪もある。
工房の巧みな技術によって見事な造形に仕上げられてはいるものの、それらが、王家や貴族の特注品を作る過程で出た金かすを集めて作られた、金の含まれる割合の低い再利用品のようなもので、輝きだけは立派に見せかけたものだということを、ジェフティは知っている。裕福な商人や新興貴族が、とにかく格好だけは立派に装いたいときに手を出す代物なのだ。
「こちらなどは、いかがでしょう。」
「オオ、いい」
異国の貴族は、ずいぶん気をよくしたようだった。
「どうぞ、お手にとってお確かめください」
「閣下、お試しになられては?」
「うむ」
パジェドゥは腕輪を嵌め、胸飾りを下げて、うっとりとそれらを眺めた。窓から差し込む外の光で、金の輝きが白く塗られた漆喰の壁にきらきらと反射する。
「どうだ?」
「素晴らしい。まるで王になられたかのようで」
ジェフティは、思わず苦笑した。
(いささか言い過ぎだな。場合によっては不敬罪だ)
ちら、と職人の男を見やると、そちらも同じように苦笑いしている。
差し出された品は、それほど上等な出来栄えではない。――少なくとも、この街の工房においては。
「もし、お気に召しましたなら、腕輪の大きさを合わせましょう。胸飾りも、長さを調節することは出来ます。紐を短くして、心臓のあたりにくるようにすれば、もう少し上品な形になるかと」
「うむ、うむ。」
成り上がり貴族はご満悦だ。
それから、小声で素早く書記に何か囁く。
「――なるほど。ご主人、さきほど表で作っているのを見かけたような、細かな細工をすることも出来るのですかな?」
「勿論です。時間はかかりますが、欲しい形、入れたい意匠、大きさなど、ご希望どおりの品も承れますよ。ただ、材料をご準備いただく必要がございますね」
「材料?」
「はい」
職人は、笑顔で明快に答える。
「この工房に、無限に湧き出す金塊はございません。常に大量の金塊を保持しているわけでもございません。見本の品のほかは、注文される方々がお持ちになった材料で作らせていただいております。」
「……ふむ」
パジェドゥは、ちらと書記のほうを見やって、何か囁いた。
「後日、材料を持って来ましょう。」
書記が答える。
(本当に? 出来るのか)
ジェフティは、内心ではその言葉を疑っていた。ただの見栄なのか、それとも本当に、この異国人にはそれほどの財があるのか。もしあるとしたら――それは、果たして、”正しい”方法で所有されているものなのか?
それからジェフティは、幾つかの工房を案内して周ったあと、大通りの大神殿前に繋がる道で客人たちと別れた。
客人たちは、ご満悦に船着き場のほうへと消えていった。下流から来たのなら、おそらくは船で到着したのだろう。船を宿にしているか、船着き場に近い宿場町に宿をとっているに違いない。
大神殿へ戻り、筆写室を覗く。
「いま戻った。何か、急ぎの用事はあるかい?」
同僚の書記たちに訊ねる。
「急ぎではありませんが、確認していただきたい書類は席のほうに置いてあります」
「そうか。では、あとで確認しておくよ」
「それと、プタハヘテプ様から、戻られたら来て欲しいとの伝言です。本殿のほうにいらっしゃるそうです」
「分かった。行ってくる」
書庫を通り過ぎて、本殿のほうへと向かう。
プタハヘテプは、神官専用の書庫の前の長椅子に腰を下ろして、暮れようとする短い昼の日差しの下で巻物を広げていた。
「戻ったか」
近づいてくる書記の青年に気づいて、大神官は巻物を脇に置いた。
「工房を案内して参りました。ご満足いただけたものかと」
「そうか」
「あれは、離反した州の高官でしょうか」
単刀直入な質問に、プタハヘテプは、口元を歪めて頷いた。
「高名なる聖域を一目見てみたい、などと言っておったが、まあ、半分は観光のようなものだろう。今はまだ、この国のいずれかの神に帰依するつもりかどうかは分からんな。」
「少なくとも、書記のほうは偵察任務を帯びていそうに思えました。年齢からしても、言動からしても、この国の事情には十分すぎるほど通じているでしょうね」
「うむ」
頷いたあと、プタハヘテプは意外な言葉を口にした。
「あの男はかつて、首都の、さる高官の元で働いていた。最後に此処を訪れたのは、もう、二十年も前の話だがな」
「では、あの方を昔からご存知だったのですか」
「たまたまな。向こうは、もう、忘れられていると思っているかもしれんが」
確かに、二十年前のことなど、普通ならとっくに忘れている。それなのに、大神官はなぜ、そんな昔のことを覚えているのだろう。
ジェフティは微かな疑問を覚えたが、きっと、それだけ目立っていたのだろうと理解するに留めた。ケンメスは、プタハヘテプの特別な記憶に収まるような人物だったに違いない、と。
「それがまたお越しになったというのは、引退されて故郷に戻られた、とかでしょうか」
「いや。事情は噂でしか知らんが、中央での仕事は、ずいぶん前に罷免されている。おそらく、パイベス殿と似たような状況だ」
「……。」
この州の執政官となっているパイベスは、元は南の国境を守っていた軍の副官で、かつての官職を罷免されて故郷へ戻ってきたのだ。それも、ジェフティの調べたところでは、ほとんど陰謀に近い言いがかりをつけられて、無理やり解雇されたようなものだった。
それと似た状況といは――つまり、政治闘争に負けて、はじき出された、ということか。
「そんな方が、今は王の僭称者に与し、異国人の高官に仕えているわけですか。何やら、きな臭いものを感じます」
「だが、表立って敵対しているわけでもない以上、街から追い出すことも出来ん」
プタハヘテプは、微かな笑みを浮かべて長椅子からた違った。
回廊の端に、若い下級神官の姿が見えたのだ。そろそろ、夕刻のお勤めの準備を始める時間だった。
「この件、気に留めおいてくれ。他に報告があれば、お勤めの後で聞く」
「かしこまりました。」
「カプタハは、戻ったか?」
歩き出しながら、プタハヘテプは若い神官に訊ねている。
「いえ。まだ北の街から戻られておりません。」
「そうか。――まあ、神輿も戻っていないのなら、単に時間がかかっているだけなのだろう。良い、今日はあいつ抜きでお勤めをするとしよう」
回廊の奥へと去ってゆく神官たちの白い衣が薄闇に溶けてゆく。
ジェフティは、長椅子の端に置き忘れられた巻物を見下ろしたまま、じっと考え込んでいた。
――かつて中央で働いていた、優秀な書記。
あの老齢の書記は、この街の事情にも詳しく、本来ならジェフティの道案内など必要もないはずの人物だったのだ。
それを知っていながら、プタハヘテプが敢えてジェフティに道案内をさせたのは、見張り役を兼ねてに違いない。
異国人のほうは、ただの都会慣れしていない田舎者かもしれない。だが、書記のほうはどうだっただろう。
(あの書記は、あまり主人のほうに注意を向けていなかった。それに、…安っぽい装身具をやけに大仰に褒めてみせた。中央に勤めていたことがあるのなら、最上級の品さえ見たことがあったはずなのに)
工房を周っている間、ちらちらと周囲を確認するような視線を送っていたのは、案内をしながら気づいていた。それに時々、主人である異国人と、ジェフティには分からない言葉で話し合っていたのも気にかかる。
(敵情視察か? 前回とは別の方法で)
ジェフティの脳裏に、一度は捕らえたはずなのに、蛇のような驚異的な動きで縄抜けして逃げ出した男のことが思い浮かんだ。
あの事件のあと、問題の男の風貌は大神殿の衛兵たちに共有し、怪しい者がいれば報告を上げるようにと伝えている。同じ陣営に属するかもしれない異国人も同様だ。
だが、”貴族の格好をして、通訳の書記を連れた”異国人なら?
たとえ人目を引くにせよ、堂々と大神殿の客人として訪れる者に、何か疑いをかける者など、普通は、居ないはずなのだった。
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