第16話 危険の兆候

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第16話 危険の兆候

 そんなわけで次の日のペンタウェレは、メンフィスの街のロバ飼いの組合に寄るところから仕事を始めた。前日に、チェティが訪れていたのと同じ場所だ。  ロバを貸してくれる農夫の家を聞き、そこを訪ねて五頭ばかり借りて、ロバを引いて北の街へと向かう。農夫がロバ引きの子供を一人つけてくれたお陰で、ロバを連れていくこと自体は楽なものだったが、本来なら、治安維持部隊の隊長がゆやる仕事内容ではない。  (これじゃ、ただのお使いだな。どうせ同じ道だし、帰りに北の城壁のほうも様子見てくるか…。) 急がせても決して早く歩かない、自己中心的な歩みのロバの尻を叩きながら、彼は、はるか北の方に見えている、作りかけの城壁のほうに視線を向けていた。  二日ほど前に儀式によって開かれた新しい街の神殿は、既に、ずいぶんと盛況だった。今日は神輿や神官たちの姿は無いが、代わりに、人々がひっきりなしに礼拝所に入っていく。  「ほお、賑やかになってきたもんだな」 まだ作りかけの建物も多いが、既に街としての体裁は整っている。あとは、店や各種の施設が出来れば、もっと大きくなるに違いない。  新しく出来た街にはまだ、町長のような代表者はいないため、ペンタウェレは、ひとまずウセルハトのもとを訪ねた。元が大神殿の衛兵で身元がはっきりしているし、地元出身者で信用できるからだ。  訪ねてみると、彼は自宅の隣の家の壁を塗るのを手伝っていた。積み上げた日干しレンガの上に泥と漆喰を塗りつけて、壁にする作業だ。  「ウセルハト。」 声を掛けると、屋根の上にいた青年が振り返る。  「あっ、はい。…ペンタウェレさん? どうしたんですか、今日はロバなんて連れて」  「ここの街の住人から、レンガ運びのロバが足りんと言われてな。役所の手配で借りてきたんだ。お前に預けてもいいか」  「ええっ? 本当ですか」 彼は身軽に屋根の上から滑り降りて来て、ペンタウェレの前で膝を払った。  「五頭も借りられるんですね。助かります。」  「とりあえず、雇用期間はニ週間だ。期日になったら、メンフィスのロバ引き組合に返してくれ。場所は、分かるよな?」  「はい、勿論。」 真面目に答えたあと、ウセルハトは、我慢しきれなくなって相好(そうごう)を崩した。  「…だけどまさか、州軍の隊長さんがロバを引いてくるなんて」 後ろで、ロバ引きの子供も笑っている。  「言うなよ。それに隊長っつったって、うちは新しく出来た部隊で立場は曖昧だし、執政官どのの直下だから使いっ走りみたいなもんなんだよ」 むすっとしながら、ペンタウェレは答える。  「いえ、良いことだと思いますよ。古くからいる州軍の人は、あまり市井(しせい)に関わって来ないんです。街や郊外の巡回をしてる兵士も乱暴な人が多いし、正直、いい印象は無かったんです」  「ほう。」 州軍の本体――ペンタウェレが一瞬だけ所属していた警邏(けいら)隊の上官に当たる人物は、確かに、あまり表に出てこない。数年前に汚職で州軍全体の統括を行う軍隊長が失職したあと、間に合わせのように繰り上げになった武官で、ペンタウェレも、就職する際に面接で会ったきりなのだ。  「まあ、こんなちょっとしたことで印象が良くなるなら、儲けもんだな。おい、お前はもう戻っていいぞ」 ロバ引きの子供に声をかけてから、ペンタウェレは、街を見回した。  それから、ふと、近くの小さな民家の庭に繋がれたままのロバが居ることに気がついた。  「ん? あそこにも、ヒマしてるロバがいるじゃねえか。あれは?」  「ああ、あれは、あそこに住んでる異国人のものですよ」 と、ウセルハト。  「力持ちな人なので、自宅にいる時にはレンガ積みを手伝ってもらってます。その時はロバも借りたりしているんですが、今日は不在みたいですね。ロバが一頭いないから、きっと、連れてったんでしょう」  「異国人…?」  「元傭兵とかじゃないんでしょうか。一人で来ていて、この国の言葉は、ほとんど話せないみたいでしたよ」 確かに、既に作り終わった日干しレンガ積みの小さな家は、一人暮らし用のものに見える。  ペンタウェレは、腰までの高さに作られた塀を乗り越えて、民家の庭に入った。見知らぬ人間が近づいてくても、ロバは我関せずといった顔で、近くの茂みの草を掘り返している。  確かに、不在らしい。中には、人の気配はない。  (それにしても…)  元傭兵が一人で、こんな農村に? それに、ロバといえば、それなりの資産だ。それをニ頭も。  見たところ、残っているほうのロバはまだ若く、資産価値は高そうだ。老いたロバならタダ同然で引き取れることもあるが、そうではない。  言葉もろくに話せない、まだこの国に来たばかりの人間が、まとまった資産を持っていること自体に違和感があった。  「勝手に入るのは、まずいですよ」 ペンタウェレの連れてきたロバを近所の人たちの手に委ねてきたウセルハトが、塀の向こうから声をかける。  「おい、ここに住んでるのは、どんな奴だ」  「どんな、って…。」  「元衛兵の目から見て、どうなのか、ってことだ。オレが見てきた東の遠征隊は、ロクでもない連中が大量に紛れ込んでる部隊でな。まともに働くなんて到底無理な、今まで一度も納税したことのないような奴も大量にいたんだよ。そんな奴がロバなんて持ってんのは意外じゃねえか。この街に住み着いたからには、兵士じゃなく農民として食ってくつもりなんだろうが、耕作は出来そうなのか?」  「そういえば、しばらく前には、帰還兵で治安が悪くなった話で持ち切りでしたよね。」 ウセルハトは、頷いた。  「でも、ここに住んでる人は特に何も問題は起こしていませんよ。寡黙な方なんですが、頼んだ仕事は熱心にやってくれるので、皆助かってます。ただ、確かに耕作には向いていなさそうですね。時々メンフィスに出かけているようなので、そちらで職を探しているんじゃないかと思っています。」  「ふうん、メンフィスにね。ってことは、今日不在なのも、職探しかもしれんのか」  「はい」 それなら、まだ、分からなくもない。  だが、それなら最初から街に近いところに住めばいいし、わざわざ家を作る意味がない。  それに、この国の言葉が喋れないのなら、兵士にしろ、他の仕事にしろ、採用される可能性は低い。  (何がしたいのか、よくわからん奴だな。怪しいっちゃ怪しい、が…)  「あっ、ペンタウェレさん?」 ウセルハトが止めるのを無視して、彼は、入り口に降ろされていた扉代わりの二重の布を捲って、小さな小屋の中に入り込んだ。  入ってすぐの場所は、小さなかまどをしつらえた土間。部屋の奥の一部を高くして、寝台代わりにしてあるだけの構造。  ぐるりと見回せば、それだけで事足りる。一人暮らしの最低限の宿、といった雰囲気で、家というよりは、壁と屋根をつけただけの部屋だ。視覚からすれば、特に見るべきものはない。  ただ、嗅覚のほうは――。  (この、匂い…) 鼻をひくつかせたあと、彼はふと、寝台になっている場所に敷かれた、敷布のほうに視線をやった。この辺りでよく使われる、葦や茅を編んだものとは違う、羊毛で分厚く織り込まれた異国風の布だ。  何気なく、その布の端をつまんで捲った彼は、その下の僅かな窪みにぴたりと収められた、湾曲した形の異国の刀を見つけて、ぎょっとした。  鈍い色に使い込まれた金属。持ち手に巻かれた皮は手の脂で黒く汚れ、擦り切れている。  そして、その側には、僅かな色付きの粉が落ちていた。  彼は指でそっと粉を撫で、光に翳してその色をしばらくじっと眺めていた。  それから、敷布を戻して何事もなかったように外に出ていく。  ちょうど、ウセルハトが入り口のほうに周って来ていた。品行方正でまじめな彼は、人の家の壁を乗り越えるような無作法はしないのだ。怒ったような、困ったような顔をして、責める口調になっている。  「ペンタウェレさん。勝手に人の家に入るのはまずいですよ」  「ああ、悪い。ただの小屋だと思ったら、けっこうしっかり家になってた」  「見ればわかるでしょう。だから、ほら、外に出て下さい」  「分かった、分かったって。」 まるで、禁止された区域に入り込んだ参拝者を追い出す時の態度だ。衛兵を辞めても、衛兵時代の癖が抜けていないらしい。  「で、ここに住んでる傭兵っぽい男だが、名前は? 何て名乗ってた」  「え? ええと…確か、サァエフ? だったかと思います。」  「この国の名前だな。多分、こっちに来てから付けた偽名だ。」  「偽名、って…。移住してきた場所に合わせて付けた、通り名じゃないんですか。よくあることですよ。」 ウセルハトは、無意識のうちに近所の住人を庇おうとしているようだった。  「ってことは、元の名前は知らないんだな」  「ええ。聞いていません」  「そうか」 ペンタウェレの眼差しに気づいて、若い元衛兵は、少し不安になったようだった。  「…何か、気になることでも?」  「ん、まあ。ちょっとな」  (気のせい、ってわけでもなさそうだな) ペンタウェレの直感は、ここに住む男がただの傭兵ではないことを告げている。  何人もの人を斬り殺してきた匂い。  そう、あの刀からは、染み付いた死の気配がした。  「ウセルハト。その、サァエフって元傭兵、それとなく見張っとけ。お前の家族を守りたいのなら」  「え…?」  「だが、何か揉め事があっても戦うな。お前じゃ絶対に勝てん。」 言いながら彼は、家の前で明るい顔で近所の主婦仲間と話している、若い娘のほうにちらと視線を向けた。  それが、ウセルハトの新妻なのだろう。彼が大神殿の務めを辞めてまで一緒になりたいと願った女性だ。大切に思っていないはずはない。  問題に巻き込んで、彼らを不幸な目に合わたくはないのだ。だからこその警告だった。  「もし何か気付いたことがあったら、オレか、オレの部下に知らせてくれ。頼んだ」  「あの…一体…。」  「今は詳しいことは言えねぇ。じゃあな」 中途半端に会話を打ち切って、ペンタウェレは足早に街を後にした。  自分がここにいる限り、件の元傭兵は戻ってこない、という確信があった。  (あの形の刀は、何度か東で見たことがあるな。…好戦的な沙漠の民が持ってたやつだ。) 以前、剣を手にしたスリと素手で渡り合ったことがあるが、それは、相手が、剣など持ったこともなく、使い方を知らなかったからだ。  もし使い方を良く知った者が手にしていたら、素手ではまず勝てない。  そして相手も、同じことを考えるに決まっている。  今やペンタウェレは、はっきりと、移民という無害な羊たちの中に紛れ込んだ危険の兆候を読み取っていた。
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