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第17話 明らかになる事実
チェティの行き先は、メンフィスより下流にある第二州だった。州の標章に腿の絵を使っているため、通称は「大腿の州」。対する第一州メンフィスは、もちろん、別名である「白い城壁」を標章として使っている。
その州の印の刻まれた印章は、チェティの首からしっかりと提げられている。州の正式な仕事をしている役人が持ち歩くもので、執政官パイベスに貸し与えられたのだった。
印章のお陰で、チェティの旅は、当初予定していたよりも順調に進んでいた。
具体的には、州の使者として急ぎの用事だということで、メンフィスの港で足の早い小型船を一隻、まるごと借りられたのが大きかった。それで、人が何人か集まるまで出港しない乗り合いの船を使うより早く出港して、寄り道せず真っ直ぐに第二州の岸辺に到着した。
そして、彼はいま、二つの州の境目に近い、川辺の小さな村の前に立っているのだった。
仕事で第二州に来るのは、初めてだった。
州役人の仕事では、所属している州以外に出ることは無いし、こちらに親戚がいるわけでもない。普通の人々は、自分の住処からそう遠くまで出かけることはない。
土地勘もない。どこに、どんな街があるかも把握していない。ただ、どこへ向かえばいいかだけは分かっている。
(たぶん、州都まで行けばメンフィスと同じようにロバ飼いの組合はある。…でも、探している遠征隊は、おそらく、組合は通していない)
それは、ほとんど直感だった。
消えた遠征隊は、できる限り足取りを隠すようにして移動していた。
遠征隊を仕立てた貴族も、メンフィスでは、案内人しか雇っていなかったのだ。となれば、きっと、第二州でも、足の付きやすい方法は使っていないに違いない。
それで、手当たり次第に川べりの村落を周ることにしたのだった。
ほとんど総当たりに近いやり方だったが、運良く、幾つ目かの村で、聞きたかったことを知っている人に出くわした。
「すいません。少し、お聞きしたいことがあるんですが
「はいよ。…ん? あんた、お役人さんかい?」
畑の側で、ロバに草を食べさせていた農夫は、怪訝そうにチェティを眺めやった。
種蒔きも終わろうというこの季節、役人が耕作地を見回ることは、通常なら無いはずなのだった。
「最近この辺りで、西のオアシスから戻ってきたロバの話を聞いたことはないでしょうか。もしくは、ロバを貸した、とかでもいいんです。西から戻ってきた、十頭ほどのロバ隊の行方を探しています」
「ロバ…オアシス…。んー、ああ、それなら、村の若い衆がそんな話をしていたなあ」
「本当ですか?! どんな話でしたか」
チェティの勢いに驚きながら、農夫は、うーんと唸って思い出すように首を捻った。
「わしも詳しくは知らんのだが、どこかの貴族に言われて、ロバ引きをやったのがキツかったとか…。ああ、ほら。あそこを歩いてる奴が知ってるはずだ。おーい」
農夫は、通りかかった村の若者に手を振った。
「お前、最近までオアシスのほうに出かけとっただろう」
「うん。それが?」
若者は、きょとんとした顔で見慣れぬ役人と農夫とを見比べている。
「ロバ十頭の遠征隊だったはずなんです。オアシスから、隊商の道を使わずに戻って来たんですか?」
「うん、そうだよ。何か変わった雇い主でさあ。首都まで行って荷物積み込んで、そこからオアシス経由してこっちまで戻ってきた。すっげえ遠かったよ。ニヶ月はかかったな」
「ニヶ月…?」
メンフィスから往復する通常の遠征の、倍の期間だ。当然、人やロバを雇うための額も、ニ倍かかる。不可能ではないが、普通なら、そんな道は選択しない。
――そう、普通なら。
「戻ってきたのは、最近なんですか」
「そうだよ、一週間くらい前かな。出かけた時はまだ種蒔きの時期でほんとは忙しかったんだけどさ、支払いが良かったから。一ヶ月くらいで戻れると思ってたんだよね。大変だったよ」
「依頼主は、セヘティイブケルという名前の貴族ですか。」
「そうそう、よく知ってんな。メンフィスで案内人と、貴族の代理人の人と合流してさ。まず首都まで行くって言われて、びっくりした。案内人も段取りが悪いとかなんとか文句行ってたけど、結局、期間分の支払いはするって言われて、押し切られたようなもんだな。」
「で、そのあと、沼地を突っ切ったんだろ?」
最初にチェティが話しかけた農夫が、まるで笑い話のように言う。
「そうなんだよ。いやあ、ほんと大変だったなあ。一生に一度の冒険だよ」
「……。」
チェティの頭の中で、情報が組み合わさっていく。
行方不明になった王の遠征隊と、メンフィスで親方だけを雇った貴族の隊商。
同時期に出発してオアシスへ出発した、不可解な二つの隊が重なってゆく。
うっすらと疑ってはいたが、やはり、二つは同一のものなのか? だとしたら――。
「戻ってきたあと、ロバの積荷は? オアシスから持ち帰った品があるはずですよね。依頼人の貴族に引き渡したんですか」
「ああ、そうだよ。川べりまで運んでさ、上流から底の平たい川船で迎えに来てた。新しい船だったなあ」
「上流から?」
「うん、川べりに着いたとき、まだ船が来てなかったんだよな。で、二日くらい待たされた。船は確かに上流から来たよ」
(ということは――まさか、メンフィスで受け取った船を使った?)
職人街で、セヘティイブケルという名の貴族の依頼を請けたことがないかと聞き込みをしとていた時、船大工が船を急ぎで作って引き渡した、という話をしていたのだ。
この若者たちが戻ってきたのがほんの一週間前だというのなら、時期はほぼ一致する。
「ロバとロバ引きは、全員、この近くで雇われたんですね。護衛は? 遠征隊なら、普通は護衛がつくものかと思いますが」
「ああ、なんか、傭兵上がりの男が一人ついてたよ。強面の異国人で、やたらと威圧的な奴でさあ。逆らったらヤバそうだったから、おれたちは黙って従うしかなかったんだよね。道案内の親方はブツクサ文句行ってて、そのうち、ぶっ殺されるんじゃないかとヒヤヒヤしてた」
若者は、気楽に笑う。
「一人だけ、ですか。少ないですね。」
「うん、まあ、でも腕は立ちそうだった。」
「一緒に行った親方は、シェシさんですか?」
「そうそう。で、オアシスで宿の階段から転がり落ちてさ、アバラやっちまったらしくて、そこで別れたよ。そのあと、別の奴を道案内に雇って、ここまで戻ってきたんだ。まあ大変だったよ。途中で道が無くなっちまった時は、絶対迷ったと思ったしね」
(隊商の道を外れた時か。…いまの話からして、シェシ親方の怪我は本当そうだな。ただ、怪我をした経緯には疑問も残る)
「お役人さん、何でそんな話を聞きたいんだい?」
「うん、珍しい話だからって、そんなもん聞いてどうするんだ」
チェティは、はっとした。
「あの…えっと」
こんな時、相棒のネフェルカプタハならすんなり、それらしい言い訳を思いつくだろうに、チェティには、咄嗟にごまかす言い訳の才能はない。
「その、…雇い主の貴族の人が、ちょっと、色々と」
「ん? 何か、やらかしたのか」
「ええと…偽名を使って…。」
「あー、分かったぞ!」
若者は、ぽんと手を打った。
「脱税だ! そうだろ」
「え?」
「いや、おかしいと思ってたんだよな。普通さ、高価な品を持ち込む時って、州境界を越えたら関税がかかるじゃんか。あの時、荷物を船に積みこむだけ積み込んだらスーって下流のほうにいっちまったんだよな。払ってないんだろ」
「あ、…そう、なんですよね。」
ほっとして、チェティは話を合わせる。
「十頭ぶんの荷物は、ぜんぶ船で下流に?」
「うん。…あ、違うな。全部じゃないかもしれない。」
「全部じゃない?」
「あの遠征、ロバ十頭連れてったんだけど、そのうち二頭は、さっき言った強面の護衛が連れて来てたんだよ。んで、幾らかそいつが積んで持ってったはずだ」
「護衛が…持っていった? どこに?」
「さあ、分かんねえよ。元々、そいつと合流したのはメンフィスだったし、上流のほうに向かってったし、そっちに住んでるんじゃないのかねえ」
(メンフィスに…?)
では、ロバとロバ引きだけが、この第二州からやって来て、道案内の親方と護衛は、メンフィスで合流したのか。
「もう一度、オアシスへ行った人数を確認させてください。ロバ十頭。ロバ引きは? 何人でしたか」
「四人だ。おれを入れて四人。二人は、メシ作る係と雑用係だよ。」
「それと、シェシ親方と、護衛の…」
「名前は聞いてないなあ。ほとんど喋らない奴だった。この国の言葉は、あんまり分かってなかったのかも」
「それだけ、ですか?」
「あと、その貴族の召使みたいな奴が一人。書記かもな。手紙とか書類とか持ってて、首都での積み込みも、オアシスに着いてからも、そいつが走り回って手配してた。護衛の男とは顔見知りっぽかったな。」
「…なるほど」
チェティは、かばんから筆記具を取り出して、聞いた内容をさらさらと書き留めた。
ロバ十頭に、人間が七人。思っていたより人数は少ないが、最低限の役割が揃っている。
「で、異国人風の護衛はここで別れて上流へ向かい、書記は船で下流のほうへ帰っていったんですね。ロバ引きの四人は、皆さん、この近所の方ですか」
「そうだよ。必要なら、呼んで来ようか?」
「ええ、あとで。それより、積荷についても教えて欲しいんです。持ち帰ったのは、西で採れる宝石、顔料の元になる鉱石などでいいですか」
「多分そうだな。中身は見てないけど、石ころが多かったのは確かだよ。高価なものだってのは、あとで分かった。仕事が終わったあとの支払いに幾つか受け取ったけど、街に持ってったらいい値段がついたよ」
「支払いの一部が、持ち帰った品の現物支給だったんですか」
「そう。前払い貰って出かけたんだが、予定より日数かかっちまったからなあ。その延長ぶんだったんだよ。まあ、結果的に得したから、大変な目に遭った甲斐はあったな」
「…なるほど。ありがとうございます」
筆記具を仕舞って、チェティは、若者に礼を言った。
「念の為に、他の方にも話を聞けるでしょうか」
「おう。いいよ。おれの弟も一緒に行ったんだ。むこうの畑にいるはずだから…」
そうして、近くにいた何人かにも同じことを聞いて周って、ようやくチェティは確信を持った。
”遠征隊”は、やはり、実際には一つだったのだ。
起点はメンフィスではなく、ここ、第二州だった。メンフィスに戻るものと思われていたから行方不明になったように見えていただけで、実際には最初から、出発的となった第二州へ帰着するつもりだったのだ。
行方不明になった遠征隊の行方は判明した。
二つが同じものだとすれば、遠征隊を手配したのがアンテフイケル、――レフェルジェフレンの弟で、下流の州の州知事をしている人物だということも分かる。
州知事のもとを訪れた王宮からの使者は、そのことを隠して、「王の遠征隊」と言ったのだ。…おそらくは、行方を捜させる口実として使うために。
メンフィスへ戻る船の上で、チェティは、これまでに分かったことを頭の中で組み立てつつ、考え込んでいた。
(遠征隊の通った道も、行程も、消えたロバや人の行方も分かった。…分からないのは、一部の荷物の行方だけだ)
下流の州に送られた荷物は、おそらく、アンテフイケルの管理するいずこかの街に到着しているだろう。それらは、もはや、取り変えしようもない。
だが、ロバ二頭ぶんだけ小分けにされて、護衛の男がどこかへ運んでいったという。
(可能性が一番高いのは、メンフィスだ。出かける前に、ペンタウェレ兄さんに荷物の行方を探すよう伝えてほしいって依頼したけど、船の積荷しか調べてなかったら、気付いていないかもしれない)
それに、もし途中でロバから積荷を下ろして、手で少しずつ街に運び込んでいたりしたら、誰も、異常に気づくことは無いかもしれない。
西のオアシスで採れる宝石や鉱石類は、確かに高価なものではあるが、王家の専有物というわけでもないのだ。オアシスの人間が自分たちで掘ったり、拾ったりしたものを街に持ち込むことはあるし、王家から褒美として貴族に下げ渡されたものが出回ることもある。
ロバ十頭分、という通常あり得ない量が一気に運ばれていたから目立っただけで、小分けにされてしまえば、もはや、正規の流通と何も変わらない。
チェティは、首から提げた紐の先の印章に手をやった。
出かける前にパイベスから預かってきた使者の印だ。これのお陰で、予定より早く街に戻れる。
いまは、一刻も早く戻って、父や兄たちに分かったことを共有しなければ。
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